「何故、カレラを殺した…っ」

 爪が食い込むほど拳を握り締め、喉の奥から声を絞り出す。腕と肩が小刻みにわななき、深紅の瞳が一層昏い輝きを放った。

 男は、だがヴィンセントの変化にも片方の眉だけを上げただけだった。

「――怒っているのか? 何故だ? 理解できないな。何をそう怒る必要がある。たかが人間のことで」

「貴様ッ」

「ああ。それともおまえ自身を傷付けたことを怒っているのか?」

「何故カレラを殺したのかと訊いているっ!」

 饒舌な男は、吸血鬼の階級も無視してむき出しの敵意を向けるヴィンセントを不思議なものを見るように眺めていたが、同じ質問を繰り返すと興味が失せたように溜め息を吐いた。

「――初めは両方殺すつもりだったよ」

 穏やかな口調には、独特の剣呑な響きがある。脅しではなく宣告でもなく、ただ純然たる意思にも関わらず、言葉には殺気にも似た力が宿っていた。

「しかし、あの人間の言葉で気が変わった。どちらを残してもよかったが、人間を残したとしても何も出来ないまま死ぬだろうからな。より面白そうな方を残したまでのことだ。――それが人間の望みでもあったな」

「なに……?」

 聞き捨てならない言葉にヴィンセントの表情が変わる。

「だが、おまえがその程度ならば、向こうを残した方が面白かったかも知れんな」

「どういうことだ」

 半年前のあの街で、男の気配を感じてからカレラの元へ辿り着くまで、確かに少しの間があった。ヴィンセントが宿屋の扉を蹴破るまでの僅かな間に何があったのかを、ヴィンセントは知らない。

 それを知る唯一の仇は当時を思い出すように、自問自答するように、銀暗色の瞳を遠くに向けた。

「あの人間は変わっていたな。聖人だからなのか? 自分の命乞いよりも、おまえを助けて欲しいと言って――」

 鋭く伸びた爪が頭上から男を襲う。

 前触れもなく一気に跳躍したヴィンセントが男を急襲し、頭上から必殺の一撃を振り下ろした。渾身の力を込めた爪が男を裂く刹那、その腕を男が鷲掴んだ。

「礼儀をわきまえろ。私が話している最中だぞ」

「くっ、」

 骨が軋む音がする。

 ヴィンセントは不自然な格好で着地させられた瞬間、自身の腕を男の手からもぎ取ると後方へ飛び退った。

 相手にもならない。

 判っていたとはいえ、再びまざまざと見せ付けられた能力差にヴィンセントは愕然とした。

 手段を選ばず、禁忌を犯し、同族の血を啜って力を高めた。高めた筈だった。

 それでも、まだこんなにも遠いのか。

 カレラを失った今、もう自分には何も残されてはいない。

 ただ復讐のみ。

 それだけが最期の望み。

 それだけが成し遂げなければならないもの。

 だが、それがこんなにも遠い。

 それでもヴィンセントに他の道はない。

「……」

 一瞬失いかけた敵意が再びその瞳に赤く灯る。

 それを眺め、男はもう一度溜め息を吐いた。

「つくづくおまえの行動は理解できんな。一体何がしたい」

「……貴様を殺す」

「その弱さでか?」

 嘲笑うこともせず男はそう言うと、ふと思案顔になり、まじまじとヴィンセントの顔に見入った。

 

 吸血鬼は凶悪な利己的思考を基本とする。己の為であれば他者をいかに害しようと構わず、正義感などは微塵も持ち得ない。理性は高いものの人間のような倫理感はなく、快楽を好み好色好戦的である。そして何より、自尊心を傷付けられることを嫌い、他者への関心は薄く排他的な傾向が強い。

 それは親子や恋人という関係ですら同様だった。

 しかし、今男の目の前にいる吸血鬼は、そんな常識では推し量ることの出来ない行動ばかりをとっている。

 その理由を見定めるように、分析するように、男は禁忌を犯した下級吸血鬼を見詰めた。

「人と交わり、人に毒されたのか。それとも……」

 男が右手を翳すと、月光に薄められた宵闇が手の影へと吸い込まれるように凝縮し、大きな物体へと姿を変えていく。

「この人間に何かあるのか?」

「……!!」

 金色の取っ手の付いた大きな鳥篭。

 闇から生まれたその金の檻の中に、半年前無惨に奪われた最愛の恋人が閉じ込められていた。

 声にならない嗚咽が咆哮となってヴィンセントの口から迸る。

 瞬きすら忘れた深紅の瞳が、囚われたカレラを凝視する。

 半年振りに見るその顔は、だが生前と何一つ変わらなかった。

 青白い肌は血の気こそ感じられないものの、柔らかな唇には微かな赤みが残っている。栗色の近い金の髪は頬を縁取って流れ、長い睫毛が風に震えていた。

 眠っているようだった。

 今にも瞳を開けて、名前を呼んでくれそうだった。

 その鳥篭さえなければ。

「ああああああぁっ!!」

 カレラを見詰める瞳から赤黒い血が流れ出す。牙と爪とが限界まで鋭く尖り、髪は逆立って全身が細かく震えていた。

「やはりこれか」

 呟く男の顔に、壮絶な笑みが浮かぶ。

 そこには端正な男の顔は既になかった。不自然なほど吊り上がった眼は倍の大きさに広がり、ニタリと不気味な笑みを浮かべる口許には、長く白い牙が月光を鈍く反射していた。

 

 

 

この続きは、2010年4月24日発売の
その罪の行方 -贖罪-
でお読み頂けます。どうぞお楽しみに!

 

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