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◆1-2 依頼人/ハインリヒ

1-2 依頼人/ハインリヒ

「ああ……ぁん、ねえ、もっと、もっとぉー」

 宿につき、案内された部屋に通されるなり、ため息をつく間もなく隣室から聞こえてた嬌声(注・明らかに男の声だ)に、ハインリヒは思わず手にしていた荷物を取り落としてしまった。
 これは何の厭がらせか。
 そう深読みせずにはいられなかった。
 繁華街といってもいささか場末に寄った立地である。平素であればまずハインリヒのような男が選ぶ宿ではない。おそらくは通りで客の袖を引いている娼婦や男娼を連れ込むために使われているのだろう。それが、ありありと分かる。
 室内の装飾はそれなりに見栄え良く整えられている。一見すると貴族か、裕福な商人の屋敷にでも紛れ込んだように錯覚するほどだ。いや、あくまでも錯覚だが。
 壁一面を覆うタペストリーだけは、相当の年代物ながら見事なもので、一角獣と半裸の乙女や少年たちが睦み合う楽園の光景が精緻に織り込まれている。
 ……が、そんな見せかけに誤魔化されるのはよほどの世間知らずだけだろう。
 これだけ隣室の声が筒抜けなのだ。タペストリーをめくりあげれば壁と呼ぶのも憚られるような板っ切れとご対面することになるのだろうと容易に想像がつく。

「要するにこれは……あの小僧の小遣い稼ぎか……」

 ハインリヒは寝台に転がり、忌々しくニコルの顔を思い出していた。
 コクトーの人形を培養液から出せるようになるまでの数日間、ホルテンシュタットに滞在することになったのだが、もともとそんな予定ではなかったから、宿の手配などなにもしてはいなかった。平素ハインリヒはホルテンシュタットに滞在するとき、知人の屋敷に宿を借りることが多いのだが、今回は用件が用件だけにそれも憚られる。ニコルがコクトーの使いとして訪ねてくるような事になれば、一大事である。貴族の当主としての対面を考えれば、万が一にもウロボロスの快楽人形を作らせるために錬金術師の工房に出入しているなどと世間に知られるわけにはゆかなかった。
 そんなハインリヒに『いい宿を知っているよ』とニコルが満面の笑みで救いの手を差し伸べてくれたというわけだ。
 その時にはこんな状況には考えが及ばなかった。ニコルに対してはずっと、ろくに茶も入れられない役立たずな使用人という認識しかなかったのだが、その時ばかりはニコルの笑みが天使の微笑と見えたほどだったのだ。
 おそらくニコルはハインリヒをここへ案内し、客の斡旋料をちゃっかり受け取ったのだろう。そう考えみれば、なるほど天使の笑みが溢れるのも無理はない。
 すぐにもう一方の隣室からも艶っぽい声が漏れ聞こえ始めた。そっちで喘いでいるのは男ではなかったが、明らかに女が複数いるのだと分かる。

「………………」

 こんな場所でひとり寝台に転がっているのが馬鹿馬鹿しくなってくる。
 今すぐにでも部屋を出て、別の宿に鞍替したい気分だった。贅沢を言うつもりはなかった。とりあえず雨風をしのげればそれでいい。貧相な部屋でも何でも構わなかった。いや、ここで夜を明かすことに比べれば、野宿の方がまだマシだとさえ思えてくる。
 だがそれでも、苛立ちを堪えて毛布を被った。
 人形を培養液から出せるようになったら、ニコルが知らせに来るはずだった。そのためにはここで待つしかない。
 切れ切れに聞こえてくる艷めいた声が、まるで絡みつくように耳朶を刺激する。その声に、かすかに興奮し始めていることをハインリヒは苦く自覚していた。重なりあう声のうちの、男娼のものと思われる喘ぎだけを無意識のうちに追っている。
 恋人に抱かれるとき、キャロルもあんな声をあげていたのだろうか。
 ちりっと胸を焦がして嫉妬が沸き上がってくる。
 もしハインリヒが弟に自らの欲望を告げていたら、キャロルは応えてくれただろうか?そして、あんな風に――兄としてではなく、牡としての行動を――求めてくれたのだろうか。

『兄上……』

 そう呼びかけるキャロルの声を聞いたような気がした。
 確かにキャロルの声だったが、生前のキャロルがそんな風に艷めいた響きでハインリヒに呼びかけたことなど一度もない。
 見たことなどないはずのキャロルの肢体までもがまるで現実のもののように像を結んでいる。
 これまでにもキャロルとの情事を思ったことはあるが、これほど明瞭にその姿が浮かんできたことはなかった。コクトーの工房であの人形を見たからなのかもしれない。目の前にいるキャロルは、不自然なほどに均衡のとれた彫像のような美しさだった。

『欲しい……すごく……』

 ハインリヒの上に胸に恥ずかしげに顔をうずめておおいかぶさっていたキャロルが体を起こし、しなやかに身を反らせる。キャロルの華奢な指先が蠢いてハインリヒの怒張を探り当て、その硬さを確かめるように撫でていた。

(夢だ。夢を見ているんだ、俺は……)

 意識のどこかが醒めて、そう自覚している。
 キャロルにこんな行為をさせたことはなかったし、相手がキャロルでなくとも……ハインリヒはこれまでに淫らに求め合うような性の愉しみ方をしたことはなかった。
 夢の中だと分かっているからこそ、淫らに欲望に身をまかせるキャロルを容認できているのだろう。そう、苦く思った。
 キャロルが生きていたころ、ハインリヒにはそんなことは許せなかった。自分自身に対しても、そして、キャロルに対しても……だ。キャロルにどれほどの欲望を感じても、決してそれを認めることはできなかったし、その欲望にキャロルが応える可能性など、考えたこともない。
 男として、性の欲望を抱くことは自然だろう。
 そう思いながらもキャロルだけはそうした汚濁とは別の場所にあるべき存在と思いたかったのかもしれない。弟に対して欲望を抱く自分を嫌悪し、女ではなく男に関心を寄せるキャロルの性癖からも頑なに目を背け続けていた。

 いずれキャロルも一人前の男になれば女に興味を持つようになるだろう。それを見届ければ、俺だってキャロルに抱く欲望からきっと解放される。

 そんな風にずっと自分をごまかし続けていたのだ。
 結局、それがキャロルを追いつめて行ったのだろうと今は感じられる。清らかな存在でいることを、求めすぎていたのだ。

『俺を欲しがってこんなにしているんだな、キャロル』

 夢の中だと分かっているから、そう言えた。
 ハインリヒの体を跨いで開かれた足のあいだにそそり立っているキャロルの欲望の証に触れる。初めはキャロルがその華奢な指でハインリヒの昂ぶりを扱くリズムに合わせて。そして次第に、その行為の主導権が自分の手に委ねられていくのを感じながら……。

『ああ、兄上……私は……も、う……』

 震える喘ぎ。
 キャロルが切なげに腰を揺らし、硬く張り詰めた牡を自らハインリヒのてのひらに擦りつけてくる。見上げているハインリヒが、思わず息を飲むほどの淫らな表情。荒い息の漏れる唇の狭間からのぞきみえる舌先が、自ら愛撫するように唇を舐めていくその動きが、たまらなく可愛らしかった。
 もうキャロルの姿は、あの培養液に浸されていた無機質な美しさを持つ人形と同じではなかった。なだらかな丸みを持った肩の線や、少し頼りなく見える薄い胸板。コクトーが精緻に作り上げたあの芸術品のような肉体の緊張感に満ちた印象が薄れて、柔らかな温かみを持った姿へと変わっている。

『イッてもいい? 兄上の手で……イキたい……』

 その声に、ハインリヒもまた、肌を這うさざなみのようにぞくぞくと興奮が沸き上がってくるのを感じていた。
 答えを逡巡したのは、そのせいだ。
 性の快楽に漂うキャロルの表情に……見入っていたから。
 そして次の瞬間、てのひらに温かな飛沫がほとばしるのを、確かに感じた。

(俺を許してくれ、キャロル……)

 キャロルの姿も、その感触も曖昧に輪郭を失って行き、光とも闇ともつかぬ、白い霧のようなものに包まれて消えていった。

(こんなにも愛しいのに、おまえを守ってやれなかった俺を……)



「ずいぶんとお疲れのご様子ですね……」

 明らかに寝不足だと分かるハインリヒの顔にちらりと目をやって、コクトーは不快そうに眉を寄せた。
 宿では朝から晩までどこかの部屋で喘ぎ声が上がっているような状況だったし、痴話喧嘩はもとより、さっさと金を払えだの、あの程度なら金なんか払えるかだのと怒号が上がることも日常茶飯事だった。
 そうでなくても亡き弟に思いを馳せ、コクトーの人形作りの作業は順調なのだろうかと不安を感じ、いつ来るか分からないニコルの知らせを苛々と待っていたのである。睡眠など、ろくにとれるわけはない。
 人形を培養液から出す準備が整うのを待つこと五日。
 はっきり言ってハインリヒにとっては長すぎる時間だった。

「それはお互い様だろう」

 ぼそり、とそう言い返す。
 コクトーの方も、あまり眠ってなどいないようだった。ウロボロスの快楽人形を作り上げるのに錬金術師が具体的に何をどうするかは見当もつかないし、コクトーも実際の作業を決してハインリヒに見せようとはしないのだが、この五日間、不眠不休で作業を続けていたのだろうことは、やつれた表情を見れば充分に伝わってくる。

「私は遊んでいたわけではありませんが……」

 少しばかり刺のある口調でコクトーは言った。『あなたと違って』という言外に潜む含みがじわじわとその表情からは沸き上がっている。
 それでもかすかに笑み(愛想笑いなどと表現するにはあまりにも冷え冷えしている)を浮かべ、コクトーはハインリヒを案内するように先に立って培養槽へと近づいていった。

「別にそんなことは言って……」

 そう言いかけて、ハインリヒはハタとコクトーの険のある目つきの理由に思い当たった。
 外出らしい外出もせずにあんな宿に五日間も篭りっきりで目の下に隈を作っている男を見れば、大抵の人間はその理由をひとつしか思いつくまい。

「おい、ちょっと待て。誤解するなよ、俺は……っ!」
「弁解などなさらなくて結構です。あなたがどこで何をしようと私には関係のないことですから」
「あの小僧がいつ知らせにくるかも分からんような状況で事に及べるか」
「……そういうものですか?」

 さも意外だ……というように、コクトーは肩を竦めた。心底どうでもいいと思っているらしい。その、多少投げやりとも思える諦めきった言い方が、これまでコクトーが作ってきた人形たちの末路を語っているようでもあった。

「そういう客は多いのか? つまり……ウロボロスの快楽人形を作れと依頼しておいて、あの宿で娼婦や男娼と過ごすような奴が?」
「……」

 培養槽の中をのぞき込んでいたコクトーが少し顔を上げてハインリヒに視線を投げた。
 そこにはもうハインリヒの寝不足の顔を揶揄するような表情は欠片も残っていない。
 言葉は何もなかったが、ハインリヒの言葉を否定するつもりはないのだと、はっきりと分かる。

「料理人に半年先の晩餐の献立を指示したからといって、それまでの間、飲まず食わずで過ごさねばならないというものではないでしょう」

 コクトーは、ただそう言っただけだ。

「持って回った言い方だな。錬金術師のコクトーは“永遠の愛を注ぐに相応しい人形を作る”――そう聞いたからこそ俺はここへ来たんだが? 俺は男娼作り専門の人形師にキャロルを任せるつもりはないぞ」

 ハインリヒの口調には、少しばかり力が篭っていた。
 これまでとりたてて関心を寄せることもなかったが、ウロボロスの快楽人形についての噂くらいはハインリヒだって耳にしたことがある。肉の欲を持て余した男たちが金に物をいわせて美しい生きた人形を作らせ、嗜虐的な情交に耽るという話は、もはや目新しさを失っていた。
 自分がそういう客と同列に扱われているということにも、もちろん腹が立つ。そして、それ以上に下卑た客に売る“商品”と同じようにキャロルを作っているのだと言われたような気がした。
 それは……許されざることだ。

「ご依頼を下さる方のお考えは一通りではありませんが、錬金術師にとってはどうでもいいことです。あなたのように恋人として人形をお望みになる方もいらっしゃれば、一夜の恋人として求められる方も、奴隷のように奉仕する存在を欲してここを訪れる方もいらっしゃいます。どれが清らかな欲望で、どれが汚い欲望だなどと選り好みしているようではこの仕事はできません。ご依頼者様のご嗜好がどうであれ、私は私の仕事をするだけです。男娼だからこう、恋人だからこう……と小手先で変えられるものではないのですから」
「精魂込めて作った人形を性の奴隷にしたいなどという客にも、平然とそんな話をするのか?」
「会話の流れによってはお話しすることもやぶさかではありませんが……そういうご依頼を下さる方には余計なことでしょう。関心を持っていらっしゃるのは、性的な機能の方ですから」
「それで……おまえは満足なのか?」
「もちろん愉快な気分になどなれませんし、そういうご依頼者様を欺くこともあります。あなたのための人形は、ご希望通りに特別淫らにお作り致しました……と」
「“キャロルを特別清らかに作った”とは言わないことが、おまえの誠意だと?」
「そう深読みしていただければ幸いです」

 すべてを納得したとは到底思えないが、ハインリヒはそう言って深くため息をついた。
 その姿を見つめ、それからコクトーはまだ培養液の中に漂うように身を横たえているキャロルに目を落とした。
 いつもならコクトーはこの段階の人形を扱うときにシャルルという名で呼びかけている。だが、ハインリヒは依頼を持ち込んだときから人形を弟の生まれ変わりだと思い、キャロルと呼ぶつもりだと言っていたから、今回はコクトーもそれに合わせてキャロルという名を使っていた。
 そのせいかもしれない。
 シャルルと呼びかけるときに比べて、キャロルに対してはいつも少しずつ、言葉が少なくなっていることをコクトーは自覚していた。
 永遠に色あせることのない愛。
 それがシャルルであれキャロルであれ、ウロボロスの快楽人形を作るときのコクトーの目指すものに変わりはない。

(だがそれが……この方を満足させる答えというわけではない……)

 そのことをコクトーは苦く自覚していた。
 永遠の愛という言葉を、最初に口にしたのはいつだっただろう。ウロボロスの快楽人形という俗な呼び名と同じように、その言葉もいつしかコクトーの手を離れてひとり歩きしはじめてしまっているのだという気がした。
 ハインリヒの考える永遠の愛は、必ずしもコクトーの見つめる永遠と、同じではないのだ。
 思いを告げることができぬままに逝った弟を取り戻したいというハインリヒの思いには、心を揺さぶる美しさが潜んでいる。それはハインリヒの真摯な人となりによるものなのだろう。だが、己の内に渦巻くどろどろとした残虐な肉欲を抑えきれずに、性の奴隷としてウロボロスの快楽人形を求める者もまた、別の色彩を帯びてコクトーを揺さぶる存在なのだと感じられてならない。。
 注がれる愛情のどこまでが快感で、どこから痛みに変わっていくのか、その境界を誰も知らない。人も、人形も……。
 ハインリヒはキャロルと名付けたこの人形を愛するのだろう。
 そのことをコクトーは疑ってはいない。
 だが、

『あなたのような主を持った人形は……キャロルは他の人形と比べて格段に幸運ですよ』
 ……などと、ハインリヒに対して断言することは、やはりできなかった。

(あるいは、人形としてこの世界に生まれ出てくることそのものが、すでに幸運とは無縁の存在である証なのかも……)

 撫でるようにただ愛を注がれるだけでは、ウロボロスの快楽人形の虚ろな肉体は決して満たされることはないだろう。ウロボロスの快楽人形は、ただ飾り物のように愛でられるための存在ではないのだ。

「では……始めましょう」

 コクトーは静かに言って、もう一度ハインリヒに視線を投げた。
 ハインリヒの方も、これ以上コクトーの仕事についての議論をするつもりはないようだった。上着を脱ぎ、シャツの腕をまくって準備を始めている。

「とても人形とは思えんな……」

 ぽつりと、そのつぶやきがもれた。
 培養槽に歩み寄るときには、まだ少し躊躇いがあった。
 だが、培養液の中に横たわるキャロルを見下ろしても、もう先日のような後ろめたさが沸き上がってくることはなかった。
 そこに横たわる不自然なほど美しく整った肉体と、キャロルとしてこの人形があるべき姿の違いが、今ははっきりと分かる。
 赤すぎる唇の色。骨ばって鋭角的な肩の線。臍の形の違い。今は力なく萎えている下腹の牡の証や、それを取り巻く茂みは……もう少し成熟した印象だったろう。

(まだ……キャロルではないんだ)

 それをハインリヒは感じ取っていた。
 喧騒に満ちたあの宿で、ハインリヒが浅い眠りに漂いながら繰り返し見た、夢とも、幻影ともつかぬキャロルの姿。それこそが、この人形のあるべき形なのだ。
 ハインリヒは培養液の中に手を入れた。水中を漂う髪をよけて、キャロルの頬をそっと撫でる。
 人形がその手の動きに反応するように薄く瞼を開けた。
 ウロボロスの快楽人形が錬金術師の手で作られた人工物でありながら、人間と変わることなく確かに生命を持って存在しているのだと、ハインリヒが本当の意味で悟ったのはその瞬間だった。
 深い眠りから目覚めたばかりで、微睡むように漂う視線。
 ぼんやりと宙を見つめているその視線は、まだハインリヒを捉えてはいないのだろう。
 だがそれでも、ハインリヒは愛しさがこみ上げてくるのを感じていた。
 冷たい湖水に沈んで息絶えたキャロルが、人形の肉体を借りて蘇ったのだ。そう思えた。今はまだ、完全にキャロルではない。だがその差異はコクトーが埋めてくれるだろう。
 そしてコクトーの仕事が完成するとき、この肉体はウロボロスの快楽人形と呼ばれるべき存在ではなくなるのだ。弟のキャロルでもない。同じように愛し、同じ名で呼びかけても……もうそれは弟ではなくハインリヒの恋人なのだ。

「ただ抱き起こせばいいのか、眠っている者を抱き上げるような感じで?」

 ハインリヒは培養槽から顔を上げ、コクトーに尋ねた。
 外見を見る限り、すでにごく当たり前の人間と変わらぬ姿と見えるが、ウロボロスの快楽人形に触れたことなどこれまでにはないのだ。どう扱えばいいのか分からなかった。

「この子はまだ自分では行動できません。ただ眠っているというだけでなく、病で臥せって力なく横たわっているとお考えになった方がいいかも……。自分の身を支えることもできませんから、しっかりと支えてあげて下さい。首は特に弱いので、頭の後ろに手を添えていただけますか?」

 コクトーはハインリヒの手をとってどこを支えればいいのか指示した。
 人形はキャロルに似せて小柄で華奢に作られてはいたし、培養液の中で漂っている時にはどこか頼りなげだった。だが、力なくぐったりとしているせいだろう。抱き上げてみると思っていたよりも手応えがあった。それは間違いなく、人間を抱き上げるときの重量感だ。

「そのまま、こちらの椅子に座らせて下さい」

 コクトーに言われるままに、ハインリヒは工房の片隅――厚手の黒い布で目隠しをされた窓のそばにある椅子に人形の体を座らせた。

「普段はあの小僧に手伝わせているのか? お前のその細腕では、到底人形を抱き上げることなどできないだろう」

 ハインリヒが言った。シャツもズボンもずぶ濡れだった。
 コクトーはまだ培養液の滴っている人形の髪や体を布で拭うと、なまめかしいその肉体を隠すように薄いガウンを羽織らせていく。流れるような手際で一連の作業を終えると、新しい布をハインリヒにも投げて寄越す。

「ニコルには工房への出入りを禁じています。助手とは言っても人形作りを手伝うには未熟ですし、ご依頼者の中には私以外の者が人形の肉体を目にしたり、触れたりすることを嫌う方も少なくありませんから……。普段は滑車を使って引き上げるのですが、あまり気の進むやり方ではありません。あなたに手伝っていただけたのは幸いでした」

 コクトーはまるで世間話のようにそう言い、雑多な道具類が積み上げられた棚の方へ歩み寄った。そこからガラスの器をひとつ取り出すと押しやるようにハインリヒに差し出す。

「そのままではお帰りになれないでしょう。差し支えがなければ宿にニコルをやって着替を取ってこさせます。その間に……核を作るために必要なものを準備していただけますか」

 あまりにもさらりと事も無げな口調だったから、一瞬、コクトーが何を言っているのかハインリヒには理解できなかった。
 押し付けられたじっと器を見下ろして、人形が自らの意志を持って行動するためには核が必要で、その核は依頼者の……つまりハインリヒの精液から培養するのだと言われたことをようやく思い出す。
 つまりコクトーは、その器に射精しろと言っているのだ。

「……ここで、か?」

 そう言葉を返すのが精一杯だった。そんな要求を突きつけられて、お安い御用だとばかりに即座に応えられるような神経は持ち合わせていない。

「別にここでなくとも構いません。採取なさったらできるだけ早く届けていただけると助かります。ここで用を済ませていただけるのであれば、私は向こうでお待ちします」

 ほとんど捨て台詞のようにそう言って、コクトーは踵を返し、部屋を出て行ってしまった。その口調はまるで感情など存在していないかのように事務的だったが、それが警戒しているせいなのだと、コクトーの後ろ姿を見送りながらハインリヒは気づいた。
 ウロボロスの快楽人形を作れと依頼をしておきながら、平然と男娼を買うような依頼者ならば、これ幸いとコクトーに手伝いを要求しても不思議ではなかった。
 ハインリヒはそんな恥知らずな真似をする気にはとてもなれなかったが、人形より美しい人形師とも呼ばれるコクトーが相手であれば、下心を抱く気持ちは分からないではない。依頼者となら容易く臥所を共にするという人形師・コクトーの噂の火種が何であるのかも納得してもいる。

「……参ったな」

 ハインリヒはそうつぶやき、人形の方へちらりと視線をやった。
 人形はもう目を見開いてはいなかった。まるで椅子に座ったままうたた寝をしてしまったとでもいうように、力なく背もたれと肘掛にその身を預けている。
 ハインリヒはまだ水気を含んだ人形の髪に触れ、頬を撫で、そっとその唇に指を這わせていった。かすかに人形の口元が動き、ハインリヒの指先をその唇に含んでいく。
 瞼はとじたままだったが、かすかに人形の表情が恥じらうように震えたようにも見える。

「核などなくても……もう人形などとは呼べないな、キャロル」

 そう語りかけて、ハインリヒはさっきコクトーが人形に着せたガウンの前を開き、ほっそりとしたその足の上に渡された器を載せた。
 繰り返し夢に現れたキャロルの姿とは違っていたし、その足の間の花茎も項垂れたままだったが、それでもそのなまめかしい肉体は欲望をかきたてるには充分な眺めだ。

「おまえを蘇らせるためにはどうしても必要らしい。だから……手伝ってくれるな?」

 片手でキャロルの口を愛撫し、その蠢く舌の感触を味わいながら、ハインリヒは下腹を包む衣服を開くと、すでに硬く張り詰めた自らの昂ぶりをもう一方の手で包み込んだ。






次回、1-3に続く――


by 須藤安寿 ¦ 01:00, Saturday, Mar 06, 2010 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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