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◆1-1 依頼人/ハインリヒ

今回のプロットプレゼンター :麻衣さん




 躊躇いのせいで震える指先が、水面を撫でるように滑る。自らの指先が形作った波紋に歪む光景を見下ろして、ハインリヒはじっと息を押し殺していた。
 木製の水槽に満たされているのはかすかに青みがかった液体で、水に比べると波紋はゆったりとなめらかに拡がっていく。その培養液に身を浸して、人形はまるで眠っているかのように静かにその美しい裸体を横たえていた。
 初めのうち、人形を見下ろすハインリヒの顔はこわばっていた。まるで沼の底に沈む死者と対峙しているかのような苦しげな表情。今もまだ愛する者を喪った悲しみから立ち直っていないその背中は、人形を見下ろして少し震えていたようにも見える。
 それは、愛しさゆえだろうか。
 それともこうして横たわっているのが弟のキャロルではなく、コクトーという人形師の作ったウロボロスの快楽人形に過ぎぬものだと知っているから……?
 培養槽はそれほど深くはなかった。人形の顔に触れるだけなら、袖口を濡らす心配さえない。それでもハインリヒの指はまるで培養液の水面に弾かれたように、その先に進んでいこうとはしなかった。

「お手を触れてはいただけないのですか?」

 そう声をかけると、ハインリヒは弾かれたように振り返った。
 コクトーがそこにいることをすっかり忘れていたらしい。それだけ……まだ瞼を開いて見上げることもできない人形に心を奪われていたということなのかもしれなかった。

「起こすのは可哀そうだ、という気がする……」

 ハインリヒは小さく言って、困惑を誤魔化すように笑みを浮かべた。
 この男は、いつもこんな風に自分の気持ちを押し殺して弟を見つめていたのかもしれない、とコクトーはふと思いついた。
 培養槽の中の人形は、外見だけは何とか完成形に近いところまで出来上がっているが、体内の器官はまだ完全に機能してはいない。例えハインリヒが激情に任せて掴みかかったとしても……何も起こりはしない。
 だが、ハインリヒがおずおずと手を引っ込めるのを見ても、コクトーは何も言わなかった。ただその手の動きを目で追っていただけだ。どんな言葉を口にしても、それがあなたの本当の答えではないのでしょう、と責める口調になってしまいそうな気がする。
 キャロルを摸したウロボロスの快楽人形を前に、ハインリヒが心のどこかでまだ臆しているのだと、その背中はありありと語っているから。

(それだけ愛情が深かったということか……)

 もともとコクトーはこんな段階でハインリヒに人形を見せるつもりなどなかった。今日、こうして工房に立ち入ることを許したのも、かなりの押し問答の末にコクトーが根負けした結果、だった。
 培養液は肌の状態を安定させるために必要なものだという話はすでに何度も繰り返していたが、そういう説明を受けていてもなお、やはり水に沈む人形の姿を見下ろしたときには強い衝撃を受けていたに違いなかった。
 恋人に手をひかれて湖に身を投げたというそのとき、キャロルはこんなふうに水中を漂って息絶えたにちがいない。痛みに堪えるように眉を寄せ、口元を引き結んで人形を見つめながらハインリヒは心の中でその光景を思い描いていたのだろう。

「笑えるな。無理を言って工房に入れてもらったのに、いざとなると手を触れることさえ躊躇ってしまうとは……」

 そのハインリヒの言葉には、自らのそんな思いを女々しいとせせら笑うような含みがあった。あるいは、どうせコクトーにはもう何もかも打ち明けてしまったのだ……と、開き直る気持ちの表れとも思えるものが……。
 あまり表情を顔に出さない男だが、それは決して鈍感なせいではないのだと今はコクトーにも分かる。揺れ動く気持ちを自らの弱さと断じて心の内に押し込めてしまう。ハインリヒはそれを男らしさだとずっと信じて生きてきたのだろう。

「愛情の表し方は人それぞれでしょう。あなたはあなたのやり方でこの子に接していただければ、それで良いのでは?」

 コクトーはそう小さく言っただけだった。

「人それぞれ……か。そうかもしれないな」

 それは短い言葉だったが、コクトーを見つめ返したハインリヒの表情は、かすかにだが和らいでいる。
 ハインリヒがウロボロスの快楽人形の製作をコクトーに依頼するためにこの工房を最初に訪れてもう三ヶ月になるが、こんな風になごんだ雰囲気の中で視線を交わしたのはお互い初めてのことだった
 ウロボロスの快楽人形の人形師と、その依頼者として……ようやくそれぞれの立ち位置につくことができた。それをハインリヒもコクトーも感じている。



 そう……正直なところコクトーはハインリヒと穏やかに会話をする事ができる日がやってくるなどとは、これっぽっちも思ってもいなかった。そして多分、それはハインリヒの方でも同じだろう。
 初対面ではハインリヒもコクトーも互いに、

『おそらく、これ以上に不愉快な対面はあるまい』

 ……と腹の底で思い、その思いを隠しきれずに苦虫を噛み潰したような睨みあうことに終始していた。
 それというのも、ハインリヒがホルテンシュタットの街を席巻する噂(出所はニコルだ)を耳にしてウロボロスの快楽人形を作るという錬金術師(つまりコクトーだ)のもとを訪ねたとき、コクトーはちょうど別の客を追い出そうと悪戦苦闘している真っ最中だったからだ。
 そう、ウロボロスの快楽人形の噂を聞いたときに、ハインリヒのようにまっとうな依頼をしようという者ばかりではない。

 ――類稀なる錬金術の知識と技術を持ちながら、酔狂にも男娼作りに精を出しているのだ。きっとコクトーという錬金術師は〈そっちの方面〉が大好きに違いない。懐具合を考えれば人形作りの依頼をするほどの余裕はないが、工房を訪ねて依頼人を装うだけなら元手も不要。悪魔と寝ちゃうと噂されるコクトーが、奇特にも人形作りを頼みにやってきた依頼人からのお誘いを断る理由があるだろうか? ――否! 断固、否だ!! 特に根拠はないが否であるに決まっている。そう、つまり……そこにはお愉しみのチャンスがいっぱいという嬉し恥ずかしの展開が待っている。待っているはずだ! これもまたぜんぜん根拠なんかないが、とにかくそういう気がする。だから間違いない。なぁに、心配はいらない。とりあえず一晩たっぷり楽しんで、『あ、やっぱ気が変わった、人形作りはやめとくわ』とキメて立ち去れば、何の問題もないじゃないか! 俺って、超頭イイ!

 噂を聞いた瞬間に、そんなことを思いついちゃう輩だって(迷惑なことに)皆無ではないのだ。これまでは梁にぶつけたときくらいしか己の頭の存在を意識したことがないんじゃないかと思えるような連中が、必死にその頭をしぼって考えた作戦なのだろう(多分)。だが、いざコクトーを前にしたときに冷静にその作戦を遂行できる者も、そういう手合いにはさほど多くはない。
 依頼人を装って……と計画していたこともすっかり忘れて、コクトーの家の扉をくぐった瞬間には早くも臨戦態勢、胸の高鳴りも股間の昂ぶりも抑えきれずに強姦魔の本性を表し、いきなりコトに及ぶべく飛びかかってきたりもする。
 そして世の役立たずの例に漏れず、そういう時に限ってニコルは留守だ。

「コクトーの工房の噂を聞いて来たんだが……」

 そう声をかけてハインリヒが入って来たのは、ちょうどその時――鼻息荒い強姦魔に押し倒されたコクトーが床に後頭部をごつんと頭をぶつけた瞬間だった。

「……」←ハインリヒ
「……」←コクトー
「……」←強姦魔

 一瞬、場が凍った。
 ハインリヒも、コクトーも、ついでにコクトーに襲いかかっている真っ最中の男までが言葉を失い、三者の視線がめまぐるしく交錯する。
 いかにも腕っぷしの強そうなハインリヒを見上げて、コクトーは『助かった、渡りに船とはこのことか』と思ったし、コクトーに馬乗りになった男は『やばい、これは不味い展開か……!』と一転逃げの体勢となっていた。
 だがその込み入った状況が、たった今、扉を開けたばかりのハインリヒに理解できたはずはない。

「これは失礼、まさか真っ昼間からお取り込み中とは思わなかった。私は外で待っていよう……ごゆっくり」

 まるで壁に書かれた文字を読み上げるように抑揚の片鱗も見出せない棒読みでそう言うと、ハインリヒは無情にもくるりと踵を返してしまったのだ。
 表情は平静を保ったまま、凍りついたように一切変わらなかったが、多分ハインリヒも相当に狼狽していたのだろう。

「え……ええっ?! ち、ちょ、待っ……!」

 すがる思いで伸ばした手の先で、扉がばたんと閉まる。
 当然と言えば当然だし、あんまりと言えばあんまりな成り行きに、さしものコクトーも顎が外れるほど驚いた。こんな展開は……予想外にも程がある。
 それでも何とか男の手を振りほどき、家から叩き出す。床掃除用のモップがこれほど役に立つ品だと感じたのは初めてのことだった。律儀に扉の外で待っていたハインリヒがようやく事情を理解したのは多分この辺りだろう。
 かくしてコクトーは不機嫌極まりない表情のまま、後頭部にできた特大のコブを冷やしつつ、その日ふたり目の依頼人を広間に通すことになった。
 が、重苦しい沈黙が流れるばかりで、当然、仕事を依頼できる状況にも受けられる状況にもなるわけがなかった。
 ――いや、冷静に考えてみれば、ハインリヒにはとばっちりもいいところだ。
 コクトーがあの男を撃退できたのは、運良くハインリヒが訪ねて来たことで相手が気勢を削がれたせいだと言っても過言ではない。むしろ感謝されたっておかしくはない状況ではないか。強姦魔に押し倒されてもがいている相手に『ごゆっくり』は確かに失言だったかもしれないが、何せウロボロスの快楽人形を作る錬金術師の工房を訪ねることには不馴れだったし、訪ねていった工房でたまたま強姦魔に出くわすなんて特殊極まりない状況なんて想定外だと考えれば、致し方ないと言えそうなものだ。
 だが結局、その日は話は一歩足りとも前進しないままにハインリヒは帰っていった。

 そして二度目にハインリヒが訪ねてきたときには(正直言って、ハインリヒが再訪しようと思いついたことがコクトーにとっては驚きだった)、

『前回の訪問は最悪と呼ぶにはまだ甘かったか……っ!』

 ……と、お互いに思い知ることになった。
 まずは前回からの続きの沈黙。
 そして無言で見つめ合っているうちに、前回の訪問の記憶が蘇ってきた。ハインリヒは強姦魔へ向けられるべき腹立ちを押し付けられた不条理さを思い出し、コクトーはコクトーで、ハインリヒの言い放った『ごゆっくり』の無限リピートの真っ只中にあった。
 当然、この上もなく気まずい。
 状況を横目に見ていたニコルが、ふたりのあいだに漂うあまりにも緊迫した空気に耐えかねて、珍しくも甲斐甲斐しくお茶のお代わりを運んじゃったりしたくらいだ。もっとも、毎度のように渋くてぬるいニコル特製のお茶を一口啜ったあとにハインリヒの表情がさらに険しくなったことを考えれば、その気遣いが功を奏したとは言い難い。役に立つことができないのならいっそ手出しは無用、こういう時こそどこへなりと出かけていてくれと言いたくなるほど、視界の端でうろうろしているニコルは目障りだ。
 そして、それでも何とか場を取り繕って話の糸口を見つけ出そうと、ハインリヒが聞きかじったウロボロスの快楽人形の噂を口にしたことが、ダメ押しとなった。

「ウロボロスの快楽人形を作る人形師といえば、オーギュスト・エイメという人形師の噂を聞いたことがある。彼がローマのある枢機卿のために作ったという人形はさながら芸術品だったというが……あなたも彼の噂を?」
「オーギュスト・エイメの人形は機械仕掛けのもので、私が作るものとはまったくの別物です。機械仕掛けの人形がご希望なら、他をあたって下さい」

 これ以上はないだろうという冷ややかな口調で言って、コクトーはついっとそっぽを向いた。
 芸術家やその類の前で同業者の礼讃はご法度である。
 そして、これもまた……間が悪いという以外にはないのだが、これまでウロボロスの快楽人形の噂などとはほとんど関わりなく過ごしてきたハインリヒがたまたま噂を聞きかじった人形師、オーギュスト・エイメは、コクトーのライバルとも言われている人形師だった。噂では語られることはなかったが、かつてはコクトーの情人でもあった男だ。
 時計技師くずれの人形師として知られるエイメは、若いころにローマに住むアレッシオ・ガヴァッロという枢機卿に援助されて人形師としての名声を手に入れた。錬金術の技を使って人形を作るコクトーとは違い、精密な歯車を組み合わせた機械仕掛けの人形を作ることを得意としてた男だった。時計技師として卓抜した腕を持つ男だったが、実際に人形を作ることは稀で、人形と偽って街で拾った娼婦や男娼を依頼者に売りつけるようなことも平気でやってのける悪どい一面もあった。
 その辺の手口については、噂を聞きかじっただけのハインリヒよりコクトーの方がよほど詳しかった。……コクトーがニコルの父親でもあるアレッシオ・ガヴァッロと出会ったのは、エイメに売り飛ばされた結果だったからだ。
 もちろん、先日の強姦魔もエイメの悪行三昧もハインリヒとは無関係だし、察してくれというのも無理な注文だろう。それは重々承知している。コクトーが不機嫌ながらもとりあえずハインリヒを家に入れ、広間の机で頭蓋骨の壺を挟んで座っているのはそういう理由だった。
 しかし、だからといって機嫌を直して営業向けの笑顔を浮かべられるほど、コクトーは高性能にはできていなかった。
 だいたい、こうもやることなすこと間が悪いというのは尋常ならざる事態なのではないか。ハインリヒには悪意なんて欠片もなさそうなところが、また救いがたい。平素のコクトーは滅多にそんな言葉を口にすることはないのだが、星回りの相性かなんかが根本的にズレまくってるとしか思えないのだ。
 そういう相手から仕事を受けて、首尾よく事が運ぶことを期待できるほど、ウロボロスの快楽人形を作る仕事は単純なものではない。
 ウロボロスの快楽人形は、その名の通り性の快楽を供するための存在である。本来なら人目に晒されることのない依頼者の過去や性的な嗜好にまで踏み込まねばならぬこともある。依頼者が男を抱く寝室に立ちあうこともあったし、必要とあればその相手をコクトーが自らがつとめることもあった。それを商売にしているという感覚はまったくないし、見境なく誰とでも寝るというわけでもなくコクトーにとっては人形を作る工程のひとつに過ぎぬものだったが、『コクトーは人形だけでなく自らの肉体を売っている』という話は根も葉もない噂ではない。
 とりあえずハインリヒと寝るつもりはないし、ハインリヒにもそんなつもりはないようだったが、通り一遍の話を聞くだけで仕事に取り掛かれるとは思えなかった。

「……で、どうなさるんです?」

 ほとんど『断ってくれますよね?』と念を押すような口調だった。出口はあちらです、という言葉をこらえたのは、精一杯の社交辞令だ。

「依頼をするに決まっているだろう。そのために来たのだからな。……もちろん、俺は機械仕掛けの人形など望んではいない。錬金術の手法によって生み出されるというウロボロスの快楽人形を作って欲しい」

 そのコクトーの気持ちをどこまで読み取っていたのかは謎だが、ハインリヒは苦虫を噛み潰したような表情のまま、そう言い放った。
 一歩も引くつもりはないのだと、その表情が語っている。
 コクトーがハインリヒの依頼を受けることになったのは、その表情に押し切られた結果と言ってもいいだろう。



 数年前に亡くなった恋人の代わりとなる人形を作って欲しい。
 ハインリヒはそれしか言わなかった。コクトーに言われるままに数枚の肖像画と恋人のものだという遺髪も持参し、キャロルという名も作業を始める以前に以前に告げられていたが、その恋人が実の弟であるのだとハインリヒがようやく打ちあけたのは、製作途中の人形を一目でいいから見せてくれと食い下がった押し問答のさなかのことだった。
 実際にはキャロルとは……恋人と呼べるような関係でもなかった。ハインリヒはキャロルに、兄弟という関係を越えて愛情を抱き、密やかな欲望をも感じていたが、結局それを言い出すことができなかったのだ。
 キャロルがそのハインリヒの気持ちに気づいていたのかどうかは分からない。
 さほどの名門ではなかったが貴族の嫡男として生まれ、若くして当主となったハインリヒには己の気持ちよりも優先しなければならないものが山ほどあったし、そういう生き方をごく自然に受け止めてきた。そんな兄を、キャロルが融通の効かぬ石頭と考えていたとしても不思議ではなかった。兄弟としての関係には不和もなく、表面上はうまく行っていたようにハインリヒには感じられていたが、キャロルの気持ちは、いつの間にか遠い場所に離れてしまっていたのだろう。
 キャロルはハインリヒに隠れて男と愛し合うようになっていた。
 その恋人との関係がどんなものだったのか……ハインリヒにはもはや知る術はない。
 ただふたりのことを知る者の話では、別れ話が出たことも一度や二度ではなかったようだ。相手の男もまた貴族の当主だったことを考えるとハインリヒにはそれも仕方のないことだと思えてくる。その男が世間の目に無頓着でいられたはずはない。オデルハイム王国では国王にさえ男色の噂があり、妻以外の女との情事同様にお愉しみのひとつとして容認するような風潮もあったが、それも遊びの範疇に収まっている間の話だ。やはり男色は禁忌であり、事が公になれば火あぶりさえあり得る大罪であることに変わりはなかった。愛情の有無がどうであれ、長く関係を続けていくことは容易ではあるまい。
 恋人との関係を、キャロルもまた悩んでいたのだろう。あるいはあのころはもうすでに、死より他に選ぶ道はないと思い定めていたのかもしれない。死ぬ前の一年ほどは酷い荒れっぷりだった。めったに家に寄り付かなくなり、酒臭い息を吐きながら帰ってきたかと思うと部屋に閉じこもって泣いている……そんな毎日だった。

「顔立ちや体つきはいかがでしょう? ご不満の点があればお望み通りに改善させて頂きますが……」

 じっと人形を見下ろしているハインリヒに、コクトーは小さくそう声をかけた。

「そう言われても……な」

 ハインリヒは言葉に詰まった。
 顔は、確かにキャロルそのものと言ってもいいほどよく似ている。ハインリヒが最後に目にしたときにはもっとやつれ、頬にうっすらと影が落ちるほどに痩せていたが、いま培養液の底にいるのはそうして荒れる以前の……ハインリヒが宝物のように愛情を注いでいたキャロルそのままだった。
 コクトーに人形を依頼したときに、かつて何枚も描かせたキャロルの肖像画を持参していたのだが、正直なところその肖像画に描かれたどの姿よりも生前のキャロルを再現しているように思えた。そう、画家の前ではキャロルはいつも取り澄ました笑みを浮かべていたから……。
 だが体の方は、よく分からない。
 いや、そもそもハインリヒは一糸纏わぬ人形の生白い肌を直視することができずにいた。顔がキャロルそっくりであるからこそ、本来あらわにされるべきでない部位までがさらけ出された姿を凝視することには罪の意識が捨てきれない。

「このままでどこが駄目だとか、出来がよくないということではないだが……。ただ、もう少し……なんというか、平凡な体つきにしてもらうことはできないだろうか」
「平凡な……?」
「正直なところ、弟の体がどんなだったのかは……俺には分からないんだ。ほんの子どものころをのぞけば、肌を見せ合うような機会はなかったからな。この人形の体は美しく作られているし、誰しも欲望を抱かずにはいられないだろうとも思う。まさしく〈人形のように美しい〉と表現すべきものだ。錬金術の技術が噂以上のものであることを認めないわけには行かないだろう。だが、この人形をキャロルだと思うには……少しばかりなまめかしすぎるんだ。俺はキャロルを抱きながら、男娼に相手をさせているような気分を味わう羽目にはなりたくない。そういうのは……無理な注文か?」
「いいえ。多少時間はかかりますが、ご希望通りの姿を作ることができると思います」

 コクトーは静かにそう答えた。
 そういう要求を受けるのは初めてのことではなかった。単なる性の欲望の捌け口としてではなく、情人として人形を欲するとき、作為的な美しさなど不要なのだろう。曖昧な要求に答えるのは簡単なことではないが、検分すると言っていきなり人形の足の間に手を突っ込むような依頼者に比べれば、はるかに好感が持てる。

「あと数日もすれば、この培養液から出すことができるようになります。肉体を形作るための仕事はまだ続きますが、服を身につけて椅子に座った状態であなたをお迎えすることも可能になります。その時にまた印象を伺って、改善の作業にはそれから取りかかることにするのがよいでしょうね。平素なら依頼者の方にお目にかけるのは……」
「培養液から出すのは、いつだ? その時には立ち合わせてくれ。いや、むしろ、俺の手でキャロルをこの水槽から出したい」」

 コクトーの言葉を遮って、ハインリヒが言った。
 ほとんど詰め寄るような勢いだった。
 キャロルが湖の冷たい水の中で死んでいく時、自分は何もしてやれなかった。死を選ぶほどにキャロルが思いつめていることに……気づいてさえやれなかったのだ。そのことがハインリヒの心に、今も苦い重圧となってのしかかっていた。
 水の中を漂うよう死者のような姿の人形を培養液から抱き上げたからといって、その思いが払拭できるとは思えなかったが、コクトーの作り上げた人形に過ぎぬものをキャロルとして愛していくためには、それはどうしても必要な行為なのだという気がした。

「……いつになるか、はっきりとは申し上げられません。このまま順調に行けば三、四日というところでしょうが、培養の進み具合によってはもっとかかる可能性もあります」
「分かった。しばらくこの近くに宿をとって滞在することにしよう。準備ができたらいつでも……夜中でも構わない。俺を呼んでくれ」
「培養液から出せるようになったと言っても、まだこの子は話すことも動くこともできません。それはお分かりですね?」

 そう言い添えはしたが、コクトーは強く押しとどめようとはしなかった。
 多分、止めても聞きやしないだろう。これまでの経緯を考えればそういう予感がひしひしとしてくる。
 それに――。
 ハインリヒはもうこの人形を愛し始めているのだと分かっていたから……。



次回、1-2に続く――


by 須藤安寿 ¦ 08:15, Saturday, Feb 27, 2010 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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