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◆0-2 依頼人/執事・ウリエル

「……」

 無言でいても、その苛立ちだけはびりびりと伝わってきていた。
 コクトーが戻ったのはやはり朝になってからだった。いや……すでに〈朝〉と言うのもはばかられるほど日が高くなってからだ。どんな男の相手をしていたのかは不明ながら、明らかに睡眠不足で疲れ果てているのだということだけは分かる。情事のあとに湯を使ったのだろう。艶やかな黒い髪はまだ完全には乾いていなかった。その髪を、コクトーの指先が時折うっとうしそうにかき上げる。
 すでにニコルは事の顛末をすべて説明済みだった。その説明を最後まで聞いたあと、コクトーは広間のテーブルに座ってじっとウリエルの残していった手紙を睨んでいたのだ。
「つまり……」

 長い沈黙を破ってそう言いかけたが、コクトーは口ごもった。
 その指先がまた苛々と動いて、今度は手紙の端を小刻みに弾いている。
 コクトーの苛立ちの理由は……不明だ。
 昨夜寝た男がしつこかったせいかもしれないし、単に眠いだけかもしれない。空腹だからという可能性もないとは言えなかった。そしてまた……ウリエルの手紙に書かれた依頼内容のせいかもしれないし、ニコルが勝手に噂を流し、仕事の依頼を受けてしまったからなのかもしれない。あるいは、すべての事情が相互に作用しあった結果の苛立ちなのかもしれない。
 だが、とりあえず理由がなんであれ、その苛立ちの矛先が向くのは……自分なのだろうということは分かる。言いかけた言葉を続けようとコクトーの唇がわななくように震えるのを見つめて、ニコルはごくり、と唾を飲んだ。

「……つまりあなたは街で出会った単なる顔見知り程度の相手に食べ物をたかるような真似をしている、ということですね、ニコル?」
「えええっ、そこかよ!」

 あまりにも予想外のところからの攻撃に、思わずニコルは仰け反った。だが、コクトーの方はあくまでも真剣らしい。食べ物をくれると言われても知らない人についていっちゃ駄目だとか、世の中善人ばかりではないのだとか、人さらいに連れていかれるととてつもなく怖い目にあうんだとか、その口調も次第にまるで五歳児を相手にしているかのような口ぶりになっていく。

「えーと……コクトー、なんか論点ズレてない?」

 なんとかそう口を差し挟むのがやっとだった。
 そのツッコミで、コクトーも自分の話が訳の分からない方向に暴走していることに気づいたらしい。ごほん、とわざとらしい咳払いをひとつして、改めてニコルに向き合った。

「このウリエルという人物とは、本当にそれだけの関係なのですか、ニコル。私に何か隠しているのではありませんか? もしかしてあなたはこの方を……」

 さっきまでの苛立ちはどこへやら、コクトーの声が不安げに震えている。
 しかも核心をつく一言からじりじり逃げようとしているけれど、ウリエルとニコルの恋愛関係(あるいは肉体関係)を疑っているのだと、あまりにも見え見えの表情だった。
 これまたニコルにとっては、まるっきり無警戒だったところからの一撃である。

「な、なんでそんな話になるんだよ! ウリエルさんはただ噂を聞いて人形を依頼したいって言ってきただけで、俺がここに連れてきたわけじゃないよ。第一、俺が……す、すすすすすす……」

 俺が好きなのはあなただけだよ、コクトー!

 ……とは、やはり言い出せずにニコルは顔面を叩きつけんばかりの勢いでテーブルに突っ伏した。

(第一、この状況は明らかにおかしいだろ。自分はどっかの男とよろしくやって朝帰りしてきたくせに、なんで俺の方が浮気してたのがひどいみたいな話になってんだよ。俺は何の役得もないまんまコクトーのやりたい放題の後かたづけしてただけだろうっ)

 不条理という言葉の意味を号泣しちゃいそうなくらいヒシヒシと思い知っているのだが、ニコルにはやっぱりそれも言い出せない。
 またウリエルの手紙に目を落として、コクトーは小さくため息をつく。
 その姿をじっと見つめ、ニコルはなぜコクトーが自分の言い出しかかった〈す、すすすすすす……〉の真意を問いただそうとはしないのがなぜなのか、と深読みせずにはいられなかった。

(わざわざ問いたださなくても俺の気持ちを……分かっているから?)

 また指先で手紙の端を弾いていたが、むしろ今は苛立っているせいというよりも動揺を隠すためのものであるように、ニコルには見える。いやそれも、希望的観測に過ぎぬものだろうか。
 そもそも真意を問いただすまでもなく〈これっぽっちも関心がないから〉という可能性も捨てきれないのだから……。

「いいよ、気に入らないなら断ったって。どうせ俺が勝手にやったことだし……。ウリエルさんには俺から謝るからさ」
「気に入らないかどうかは、この手紙だけでは決められません」

 そう言ったときのコクトーの声には、もう不安そうな翳りを見いだすことはできなかった。いつも通りの口調を装って、感情を押し殺そうとしているようにも見える。

「あなたが頑張って私のために取ってきてくれた仕事なのでしょう? とにかくこのウリエルさんという方に会って、事情を伺ってみます」

 コクトーは立ち上がり、かすかに笑みを浮かべた。まるで五歳児を慰めるようにニコルの頭をよしよしと撫でる。
 子ども扱いされるのは癪だが、その感触は心底心地よい。
 ……ニコルが(あれこれ問題があっても、何の役得がなくても)コクトーに惚れ直しちゃうのはこういう瞬間だった。



 執事さんことウリエルは、蘊蓄を語ることにも無上の喜びを見出している。
 ウリエルは仕事の関係で欧州のみならず世界中(ギルフォーレ公国とか、日本とか、最近ではローマにも……)を飛び回る生活を送っているのだが、訪れた国でウリエルが政治、宗教、軍事のみならず教育や娯楽……果ては家庭料理のレシピやおばあちゃんの豆知識まで、ありとあらゆる知識を手当たり次第にかき集めずにはいられない。それは何を置いてもその蘊蓄の仕込みのためだ。
 蘊蓄も、ただ聞きかじった知識を語ればいいというものではない。小奇麗にまとめられた文献をあたるだけでは、どうしても迫力に欠けるのだ。蘊蓄に生き生きとした魅力を吹き込むためにはやはり現場の、生の声が欲しい。実際にその場に行って体験するのが一番だったが、その周辺で語られる噂もまた、時として魅力ある素材となった。
 噂を収集するのもまたウリエルの趣味である……と言っても過言ではあるまい。
 とはいえ、噂を鵜呑みにするほど愚かな行為はない。広く囁かれる噂というのはそれだけ多くの語り手がいるということでもあり、その語り手の多くは、かつては同じ噂の聞き手だった存在なのである。そしてまた多くの場合、聞き手から語り手に変貌した者たちは単なる情報の伝達者ではなく、同時に情報の改変、改ざん、歪曲、脚色を行う演出家の役割を果たすことになる。
 つまり……尾ひれがつくのである。
 大抵の語り手は派手な尾ひれを語るときほど熱がこもるし、聞き手だって熱心に耳を傾ける。そして次に自分が語り手となるときにはその最も熱心に耳を傾けた部分に熱を込めて語ることになるのだ。
 結果、もともと同じ話から派生したはずの噂がこっちの街と街道をはさんだあっちの街ではまったく別の話になってしまっているなんてこともある。尾ひれの部分があまりにも派手になりすぎて本来伝達すべき本体の部分がすっぽり抜け落ちてしまったりすることもあるから、同じ噂から派生したにも関わらず、もはや共通項は何もないなんてことも珍しくはないのだ。
 ウリエルの趣味は単に噂話に耳を傾けるにとどまらず、その〈成れの果て〉を収集し、その変遷ぶりを眺めてほくそ笑むことであるというべきなのだろう。仕事で各国を渡り歩くうちに、ウリエルはそういう〈噂の成れの果て〉を数多く収集し、時には複数の噂話から失われた共通項を見出す幸運にも恵まれていた。
 ウリエルがウロボロスの快楽人形についての噂を耳にすることも、実は今回が初めてではない。伝説的な人形師・コクトーの噂は、その中でも特に華やかな色彩を帯びたエピソードである。
 男に抱かれる男の人形だけを作る、人形のように美しい人形師。
 その噂の原点であるコクトー本人にウロボロスの快楽人形を依頼できる(かもしれない)という、まことしやかな噂をホルテンシュタットの市場で偶然耳にしたときには、ウリエルもさすがに日頃の冷静さ(注/本人談)を失っていた。

「……そこで、取るものも取り敢えずこうして不躾にも訪問させていただいた次第なのでございます」

 と、ウリエルがここまで語り終えるのに、軽く二時間は経っただろう。

「取るものも取り敢えず……ですか」

 ではあの鹿肉のマリネは一体……と、出かかった言葉を飲み込んで、コクトーはカップのそこにわずかに残っていたお茶を啜った。
 その二時間の間にコクトーにできたことといえば、お茶を啜ることだけだった。何しろウリエルはどうやって呼吸をしているのかと不思議になるくらい、途切れ目なくしゃべり続けていたのだ。口を差し挟む余地など、あるわけがない。
 ここで下手に鹿肉のマリネの話なんか持ち出して、そのレシピを延々語り出されでもしたら、またあの状況に逆戻りだ。

「要するに噂の真偽を確かめるためだけに人形を依頼したい……ということなのでしょうか?」

 次から次へと立て板に水のごとく投げかけられる言葉に圧倒されて、腹を立てるタイミングさえも逃したが、ウリエルの話を要約するとそういうことになるのだろう。興味本位で人形を欲しがる客など、平素のコクトーなら話も聞かずに叩き出して塩でも撒いてるいるところだが、ここまで清々しく開き直られるとその気力さえも削がれる。毒気に当てられるとはまさにこのことだ。

「いえいえ、ここまでは話のほんの序章……に過ぎません」
「……では、まだ続く……のですか」

 思わずコクトーの表情が曇ったが、ウリエルはそんなことにはまるで気にしていないというように人当たりのよい笑顔を向けた。
 毎度この調子で押しまくられているというのなら、ニコルが食事の誘いや土産のお菓子を断れないのも無理はないな……という気もする。

「ええ、本題はここからです」

 そう言って、ウリエルは一息つこうとカップに手を伸ばした。すっかり冷めたお茶を一口啜って、思わず『むほーっ』とばかりに盛大に吹きそうになる。
 せっかく渋くキメたのはすべて台無しになった気がするが、とりあえず、口に含んだお茶をコクトーに浴びせかけることだけは回避できた。つーんと鼻にくる痛みを堪えながら、必死で口の中の液体を飲み下す。

(い、いかん、話に熱中してすっかり忘れていた)

 昨日この家を訪ねてきたときにも、ウリエルはニコルの入れたまずいお茶に閉口していた。いや……〈まずいお茶〉なんて言葉では、とてもこの液体の本質を表現しきれたとは言えないだろう。
 コクトーは常々ニコルに『あなたは錬金術師には向いていないのでは……』と語っているそうだが、ウリエルはその言葉を全力で否定したかった。錬金術の技でも使わぬ限り、茶葉と湯というごくごくシンプルな組み合わせでここまで奇怪な味を作り出すなどことなどできるわけがない。
 そしてもっと信じられないのは、コクトーが同じポットから注ぎ分けたお茶を平然と飲み続けていたという事実だった。

「……そ、そこまで興奮なさらず、どうか落ち着いて……お話は伺いますから……」

 飲み下してなお、口中にわだかまる謎の液体の味に七転八倒したい心地なのだが、コクトーはそんなウリエルが何に身悶えしているのかまったく分かってはいないらしい。その表情は、ウリエルがこれから発注しようとしているウロボロスの快楽人形のことを想像してもはや辛抱堪らん心地に陥っていると誤解し、頼むから暴れないでくれと懇願しているようにも見える。
 確かにウロボロスの快楽人形の用途を考えれば、そういう方面に淡白な客など来るわけもない。鼻息荒く己の性の武勇伝を語り、その武勇伝に〈人形のように美しい人形師〉が耳を傾けているという事実にさらに興奮してしまうような客も少なくはないのだろう。興奮のあまり、手っ取り早く目の前の餌に食らいつこうとコクトーに襲いかかる馬鹿も案外多そうだ。コクトーが用心深くなるのも致し方ないだろう。
 ……と、ウリエルには思える。
 単にその美貌が目を引くというだけではない。コクトーの……高慢そうにしている割に、どこか官能的な含みがあって、いかにも強気の押しに弱そうな表情のゆらぎが、

 ――もしかして、誘っているのか?

 とばかりに、どぎまぎと男心をくすぐるのである。

「えー、いや失礼。ちょっとお茶が気管に回りまして……」
「あ、そうだったのですか。そういえば、もうすっかり冷めていますね。新しいお茶を入れさせましょうか」
「いえいえいえいえいえいえいえ、お構いなく。えー、で、今回私がお願いしたい人形についてなのですが……」

 お茶のお代わりは力いっぱい固辞して、ウリエルは強引に依頼の話を切り出した。
 わざわざお代わりを持ってこさせて手をつけずに済ませることなどできないだろう。
 そもそもウリエルはお茶を入れることは得意でも勧められることにはあまり馴染んでいないのだ。いっそ自分でお茶を入れて一息つきたい心地ではあったが、まさか他人の家でそんな無作法をはたらくというわけにも行かない。それよりこれまでの経緯を話したように〈手っ取り早く〉話を済ませた方がいい。

「手紙にも書きました通り、公私に渡って私を支えてくれるような情人を作って頂きたいと考えているのです。……いや、お恥ずかしいことに、仕事であちこち飛びまわって多忙を極めているような状況で、この年になっても〈これは!〉という出会いには恵まれないままなのです……」

 心底嬉しそうに蘊蓄を語っていた時とは打って変わって、ウリエルはまるで恥じらうようにもじもじと言葉をつないだ。

(手紙で受けた印象とは……だいぶ違う)

 コクトーはそう感じずにはいられなかった。
 事もあろうに性の相手をさせる人形を注文するときに〈私のような〉などと表現するあの手紙を読んで、誰がこんな乙女チックなもじもじを想像するだろう。
 コクトーも長くウロボロスの快楽人形を作ってきたが、自らの分身を抱きたいという依頼は初めてだった。さすが錬金術師相手に錬金術の蘊蓄を語るだけあって、図太い神経の持ち主だ、と思っていたのだ。
 もちろんあの手紙を読んだときには、ニコルをたぶらかし、何か悪意を働こうとしているのかもしれないとウリエルを警戒する気持ちもあったわけだが……。

「もちろん噂の真偽を確かめたいという気持ちもありますが、生涯を共に過ごすことのできるパートナーを得たいという気持ちもまた嘘偽りのないものです。決して人形を粗略に扱うようなことはありません。たっぷりと、存分に、し……」
「い、いえ……そこまで仰らなくて結構です。お気持ちは十分に分かりました」

 放っておくと何かとんでもない話をされそうだという予感があって、コクトーはそこで無理矢理に口を挟んだ。汁、舌、尻、締り、縛り、白目……と、〈し……〉に続く言葉が次々に脳裏に思い浮かんでくるのを必死で打ち消しながら何とか平静を取り繕う。

「では……依頼を受けていただけるのですね?」
「ええ、まあ……そういうことになりますね」

 コクトーは力なくそう答えた。
 気が進むとは口が裂けても言えない状況だったが、もはや厭だと突っぱねられる段階は過ぎ去っているという気もした。

「人形作りの手順につきましては、昨日ニコルくんより伺っております。何でも、一体の人形を仕上げるのに最低でも半年はかかるとか……」
「体と核とを同時進行で進めればそのくらいで何とか。ただし、培養の段階の経過には個体差がありますし、途中で手直しや変更のご希望があればその分長引きますので、いつ終わる、とはっきりお約束はできません」

 コクトーは言った。
 こういう質問はこれまでにも何度もあったから、説明もすでに舌に馴染んでいる。錬金術師と名乗るくらいなのだから呪文を唱えてたちどころに望み通りの人形を何もない空中から取り出せるに違いない、と思い込んでいる依頼者も少なくはないのだ。

「実は仕事で近々、別の国へ行くことになっております。半年後でしたらまたこちらに戻っていると思うのですが……その間は人形をコクトー様にお任せしっぱなしということになってしまいます。それでも問題はございませんでしょうか?」
「それは好都合……あ、いえ、こちらの話です。何も問題はありません。お任せいただければお留守の間に人形を仕上げてお帰りをお待ちしています」

 コクトーはそう言って笑みを浮かべた。
 傍目に見れば営業スマイル……とも見えかもしれないが、ただ単に作業の邪魔をされたくないだけだ。弟子のニコルでさえ立ち入ることを許されないというコクトーの工房を垣間見たがる者は少なくない。依頼者ともなればさすがに門前払いもできないから工房に入れることもあるのだが、そういう時のコクトーは基本的に案内に終始するか、いかにも仕事をしている風を装っているかのどちらかだった。
 人形の体――特に体内の器官を形作る作業は緻密を極め、傍観者がいたのでは集中できないし、作業そのものも大抵の者は目を背けたくなるような光景となるのだ。壊れものの多い工房で卒倒でもされては迷惑千万である。体内の器官を形作る作業意外にも、神経をすり減らす作業は数多くある。例えば人形の顔もそのひとつだ。その最中に、もっと目をぱっちりして欲しい、だの、唇はもっと肉感的にならんかね……だのと口出しされるのもまっぴらだった。
 そんなことをされれば、さしものコクトーも、

『最初の注文通りにきっちり作りますから! 文句があるなら後でまとめて聞きますから! だからちょっと黙っていてくれませんか!』

 ……と、日頃の節度(注/本人談)も忘れて、依頼者相手に声を荒げるような事態にもなりかねない。
 ましてや今回は、『噂を聞いて、興味本位でやってきました』と悪びれもせずに言うような男が依頼者なのである。くわえて、いちいち話が長い……ときている。確かに博識のようだし、なかなか味のある話しぶりだとは思うのだが、いくら興味深い話でも薀蓄三昧にさらされながらでは、作業がはかどるはずがなかった。
 その懸念を完全に払拭すべく半年も留守にしてくれると言うのなら、願ったり叶ったりというものだ。

「お忙しいのであれば何度も御足労いただくのも恐縮です。……いかがでしょう、人形の体や核の培養に必要なものをお預かりして、前金を入れていただき、次はお仕事からお戻りになった半年後にお越しいただく、というのは」

 コクトーはさらに畳み掛けた。
 言外には『できればこっちもちゃっちゃと片付けてしまいたいんです』という含みがあるのだが、もちろんそんなことはおくびにも出さない。

「培養に必要なもの……と申しますと……?」

 表情こそほとんど変わらなかったが、ウリエルの目が静かに輝きを増していた。いよいよ話題が人形作りの秘術に差し掛かってきたわけで、好奇心が押えきれないのだろう。

「まず人形の体は、人体の一部から培養した肉で形作りますので、それに必要なものをご用意頂きたいのです。これはどなたのものでも構いません」
「人体の一部ということは、手ですか、それとも足、あるいは、ち……」
「いえ、それ以上は仰らなくて結構です。作業の上では手でも足でもそれ以外の部位でも問題はありませんし、私も一向に構わないのですが、それでは後々お困りになるのではありませんか」
「いかにも。では一体何を?」
「肉を培養する元となるものですので、さほど大量に必要ということはありません。髪の毛を数本いただくとか、爪を少し切っていただくとか……その程度のもので十分です」
「なるほど、なるほど」

 そう頷くとウリエルはいきなり自らの頭に手をやった。そして次の瞬間、『ほえぁーっ』という奇妙な掛け声とともに二、三十本はあろうかという大量の髪の毛が引き毟られる。

「これで、よろしいですかな?」

 さすがに若干、涙目ではあったが、毟りとった髪の毛をずいっと差し出すウリエルの表情には、これまたほとんど変化がない。

「え、ええ……」

 ……と、答える以外に術はなかった。
 コクトーはウリエルの差し出す髪の毛を受け取ると、テーブルの上にあった走り書き用の紙を一枚取り上げ、丁寧に包み込む。
 これまでの依頼では、結ばれることのなかった想い人の髪や、亡き情人の遺髪などを預かる場合が多かった。やはり何がしかの思い入れがあるのだろう。誰のものでもいいと言っても、たいていの依頼者はそれなりのこだわりを持って用意してくる。
 奇妙なこだわりを持つ者も皆無ではなかったが、話の最中に突然、自分の髪の毛を引き毟るような依頼者に遭遇するのは初めてのことだ。さすが、自分の分身と添い遂げたいと思いつく男は一味違う。

「……他には何か?」
「そうですね、人形の核――これは、言ってみれば魂のようなものですが、こちらはご依頼者様の精液より培養いたしま……、あ、あの、ウリエルさん!? その壺で何をなさるおつもりです?」

 ウリエルの手がテーブルにおかれた頭蓋骨の壺に伸びるのを目ざとく見つけて、コクトーはそう言葉を挟んだ。何しろ相手は会話の最中にいきなり髪の毛を引き毟る男である。油断は禁物だ。奇妙な雄叫びと共に目にも留まらぬ早技でお気に入りの壺に精液を注ぎ込むような真似でもされたら正気を保っていられる自信はなかった。

「……工房の方へご案内します。採取用の容器もご用意させていただいていますので、そちらでお願いできますか」

 コクトーはそう言って立ち上がり、家の奥の一室へとウリエルを案内した。



「……では、半年後にまた参ります」

 核の培養に必要な精液を採取したあと、ウリエルはすっきりとした表情でそう言い、前金を置いて帰っていった。
 目論見通りにあり得ないほどの素早さで注文を受けることができたわけだが、ウリエルが出て行ったあと、がっくりと座り込んだまま、コクトーはしばらく立ち上がることができなかった。
 出てくるのは……溜息ばかりである。
 人形を作る作業を始める前からこんなに疲弊したのは初めてのことだ。









続きは松が明けた頃に公開予定です。


by 須藤安寿 ¦ 00:00, Friday, Jan 01, 2010 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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