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第五話 #5-1

(炎……)

 痛みを堪えて顔を上げたとき、視界に飛び込んできた光景にコクトーは呆然とした。
 すでに室内は炎に飲まれようとしている。
 床の敷物を這うように進んだ炎が、壁際に設えられた書架へと這いあがっていくのが見えた。炎はそのままアレッシオが惜しげもなく金をつぎ込んでコクトーのために集めさせた蔵書をひとつずつ検分し、美しい彩色の施されたページを繰って堪能するかのようにじわじわと舐めあげていく。

(なぜ、こんなことを……アレッシオ!)

 本だけではない。
 床も壁も天井も、すべてが燃えている。

(このまま、世界のすべてが……燃えていくのか……)

 何もかも……世界のすべてが炎をまとって、コクトーに触れられることを拒んでいるのかのようだった。コクトーが抱きかかえていた人形の足にも火がついていた。それさえも、炎が奪い取ろうとしている。

 ――あの時、炎の中では頭が痛くなるほどの轟音があたりを包んでいるのを確かに聞き、その音に紛れもない恐怖を感じていたはずだ。だが記憶を反芻するときに、そうした音は何も蘇ってこない。それはただ……死の沈黙のように静かな光景だ。

 蔦の葉の模様がリースのように天板を取り巻く寄木細工のテーブルも燃えていた。艶出しの塗料が燃える厭な臭いを嗅ぎながら、コクトーはテーブルが燃え、次第に炎が自分に迫ってくるのをじっと見つめていた。
 揺らめく炎に魅せられて、何も考えられなかった。自分に何ができるのか、何をすべきなのか……分からない。
 ただテーブルが燃えていく光景を見つめていることしかできなかった。
 屋敷に連れてこられてすぐ、最初にそのテーブルを目にしたとき、コクトーは見馴れない蔦の葉の模様に見入っていた。
 先端が三つに割れた蔦の葉の形状は、極限まで無駄な丸みをそぎ落としたとでもいうように痩せて、まるで鳥の足跡のようだった。洗練されすぎた形状のどこかに醜怪さを秘めているとも感じられ、それが蔦なのだと理解し、納得するまでに居心地の悪い逡巡を抱かずにはいられない。
 思いついたままにコクトーがそう口にすると、アレッシオは笑っていた。
 郊外の別邸の庭にこんな葉を茂らせる蔦が生えているのだと言い、いずれお前を連れて行って見せてやろう……とも言った。
 コクトーはそれから二十年あまりの年月をこの屋敷で過ごした。
 だが結局、アレッシオが郊外の別邸へ行くときに伴われることは一度たりともなかったし、そこに生い茂っているのだという蔦を見ることもなかった。
 ずっと待っていたわけではない。せいぜい最初の一年か、二年。アレッシオがコクトーをこの屋敷から一歩たりとも外へ出すつもりがないのだと気付くにはその程度の時間で充分すぎるほどだった。
 気付いたときには、少し失望していた。
 別に蔦を見たかったわけでは……ないのだと思う。別邸に伴う相手として選ばれることに価値を見出していたわけでもない。あの言葉がアレッシオにとっては約束と名をつける重みなどない、ただの他愛もない囁きだったのだと気付いたというだけだ。
 ただアレッシオがその後も、このテーブルを〈鳥の足跡のテーブル〉と呼び続けていることには、ずっと心を揺り動かされていた。
 鳥の足跡の形をした蔦の葉の模様を愛しげに撫でながらアレッシオが囁いた言葉のどこか、果たされることのなかった約束の向こうに、コクトーは〈永遠〉に続く印を探し続けていた。

「アレッシオ……どこに……」

 炎で揺らぐ視界に、コクトーはアレッシオの姿を探した。
 そして鳥の足跡のテーブルが炎の中で崩れ始めたとき、ようやくその向こうに倒れているアレッシオの姿を見つけ出す。

「……アレッシオ……」

 そう声をかけたが、返事はなかった。
 すでに炎はアレッシオの服にも移り、すっかり白くなってしまったその髪も燃え始めていたが、床に突っ伏したその体はもうぴくりとも動かない。
 炎が上がったときにはまだ息があったのだろう。アレッシオは最初に倒れたときとは明らかに違う姿勢で横たわっていた。
 苦痛にもがきながら床を這ったのかもしれない。まるでコクトーから逃れ、壁にかけられた一枚の絵に助けを求めているようにも見える格好だった。
 その絵は、数年前にアレッシオが自ら画家に指示を出して描かせたものだ。聖母子像の構図をとっているが、描かれているのはアレッシオの妾のひとりであるコンスタンツァと、彼女が生んだアレッシオのもっとも幼い庶子・ニコルの姿だった。
 コクトーは自らが作った幼い子どもの人形を抱いたまま、その聖母子像をじっと見上げていた。
 アレッシオはなかなかその絵の出来に満足せず、何度も画家に手を入れるよう指示を繰り返した。画家がこの絵を描き始めたときにはまだ絵の中の幼子イエスと同じように赤ん坊だったニコルは、ようやく絵が完成したころには、家庭教師の目を盗んでは庭で犬と遊びまわる活発な少年に成長していた。
 聖母マリアを模しているせいだろう。コンスタンツァはまるで少女のようなあどけなさを残す姿で描かれていた。アレッシオのもとに連れてこられたばかりのころのコンスタンツァを思わせる初々しさ。胸に抱いた赤ん坊を見つめるまなざしだけが、あのころの……怯えて泣いてばかりだった表情とは違って、母親になってからのコンスタンツァの、落ち着きのある愛情を湛えていた。
 その光に満ちた美しさに比べ……幼い少年を象った人形を抱くウロボロスの快楽人形は、なんとおぞましく、いびつで、邪悪な存在なのだろう。

「……こに……るの?」

 炎の向こうから、そう声が聞こえた。
 まるで老婆の声のようにしわがれて、苦しげだったが、それがコンスタンツァの声なのだとコクトーには分かった。

「ニコル……どこ……?」
「こちらへ来ては駄目です、コンスタンツァ」

 コクトーはそう叫んだ。
 呼吸をするたびに、胸の中までが焼けるようだった。立ち上がろうとしたが、痛みでそれもままならない。コクトーのわき腹にはまだ人形作りに使う、針のように細い刃物が刺さったままだった。

「ああ……コクトー様、あなたがニコルを助けてくださるなんて……」

 炎の中からコンスタンツァが駆け寄ってきて、コクトーの傍らに倒れている人形を抱きあげる。

「……」

 その姿を見上げて、コクトーは言葉を失った。
 あの聖母子像に描かれた通りの慈愛に満ちた微笑を浮かべて、ニコル――それはニコルではなく、コクトーの作ったニコルそっくりの人形だったのだが――を胸に抱くコンスタンツァには、世界を焼く炎など何も見えていないようだった。
 いや、世界だけではない。炎はすでにコンスタンツァの服も、その体さえも焦がし始めているというのに……。それなのに、彼女の浮かべた表情には怖れと呼ばれるべき感情は、なにもない。

「お許しください、コクトー様。私は、ずっと……あなたに憎まれていると……。私があなたを妬んで、憎んでいるように、あなたにも憎まれているだろうと……そう誤解しておりました。私もニコルも、憎まれて当然……なのだと、ずっと……」

 まるで呪詛の言葉のようだった。地の底から湧きあがる、悪魔の囁き。コンスタンツァの唇からもれる声は、そう呼ぶのが相応しい、いまわしいほどの鈍い響きだ。
 金の鈴のように軽やかだったコンスタンツァの声では、ない。
 すでに喉も、そこから続く体内の器官も焼けただれているのだろう。声を発することなど、もはやできないはずだ。
 それなのに……。
 コンスタンツァの笑みは、息を飲むほどの……崇高と言ってもいい美しさだった。
 世界のすべてを舐めつくす炎でさえ、その笑みに触れることができずにいるかのように見える。そう……炎をその身にまとっても、コンスタンツァの顔は最後まで焼かれることはなく、苦痛に歪められることもなく美しいままだった。

「私は死んでもいい。憎まれても、なじられても……いい。旦那様のお言いつけを守ってなんでもいたします……だからニコルを……コクトー様、どうか……ニコルを……」

 すでに錯乱しているのだと分かる。コンスタンツァはコクトーの作った人形を、自分の生んだ息子だと信じ込んでいるのだ。
 確かにその外見だけは、ニコルとまったく同じだった。
 ……無理もない。コクトーが、そう作ったのだから。
 とは言っても、似ているのは見せかけだけで、人形の内側はまだ何も形を成してはいなかった。動くこともなく、呼吸も、鼓動もない――ただの、人の形をした肉の塊だ。
 だがそんなことにコンスタンツァは何も気づいていなかった。動かぬ人形を愛しげに抱き上げて立ち上がる。

「どうか……ニコルを……」

 あのときにコンスタンツァが何をしようとしていたのか、いくら考えてもコクトーには分からない。
 逃げ道を探しているようでもあったし、ただ熱気にあおられて足元をふらつかせただけのようにも見えた。それともやはり彼女も、アレッシオと同じようにコクトーから逃げようとしていたのだろうか?
 コンスタンツァはまるで吸い寄せられるようにふらふらと窓の方へ近づいていった。
 そして次の瞬間、コンスタンツァの体は均衡を失って倒れながら窓に叩きつけられ、幼い子供を象った人形を抱いたままガラスを突き破ってはるか下の地面へと落下した。

「…………!」

 コンスタンツァの体が地面に叩きつけられる音を聞いたかどうかは覚えていない。そんな音を聞き分けられるほど周囲は静かではなかったはずだ。
 そして何度思い返してみても、あのときの記憶は……耳が痛くなるほどの静寂に包まれた光景でしかない。聞こえていたのは、コンスタンツァのあの老婆のようにしわがれた醜い声だけだ。

(私も、ここで朽ちるのか……。アレッシオと同じ……地獄の炎に焼かれて……)

 それこそがアレッシオ・ガヴァッロの望みだったのだろう。この炎の中で、愛したもののすべてを我が身と共に焼き尽くすことを、あの男は望んでいたのだから……。
 二十年ものあいだ、コクトーはずっとアレッシオの傍らに寄り添ってきた。
 だがそれはやはり、愛ではなかったのだと思う。あの美しい蔵書や、鳥の足跡のテーブルと同じように、コクトーもまたアレッシオに所有されていただけだ。
 男娼として。ただの……意志のない人形のように。
 どれほどの愛情を注いでも、本もテーブルも、そして、人形も……決して所有者に応えることはない。

(奪って行けばよかったのに……アレッシオ。地の果てにでも、地獄にでも……。そうすれば私は永遠にあなたのものになれたのに……)

「コクトー……?」

 そう声をかけられて、コクトーは顔を上げた。

「……ニコル」

 いつの間にか間近に立っていたニコルを見下ろして、コクトーは小さくその名を呼んだ。
 炎に包まれたあの部屋から、どうやって這い出したのかは覚えていない。
 炎が迫ってきたとき、その炎に身を投じることができなかったのだと、苦々しい気持ちが残っているだけだ。
 コクトーがわき腹に深く刺さった刃物を抜いて、立ち上がったのは……ただ逃げるためだった。その身を焼かれる苦痛を、ほんの一瞬でも先延ばしにしたかったから……。
 そうして逃げるときに、進むべき道が見えていたわけではないのだ。

「ここにいると、あぶないよ、コクトー。行こう」

 ニコルが言った。
 煤で汚れた顔には、何度も涙を拭ったのだと分かる指の痕が残っている。
 泣き腫らした目でコクトーを見上げて、恐怖に強ばった顔を無理に歪ませて笑顔を作ると、ニコルはその小さな手を差し伸べてきた。
 母上は?
 父上は?
 こんな年頃の子どもなら、まず最初にそれを口にしそうなものなのに、あのとき、ニコルの口からはそんな言葉は出てこなかった。

(ニコルは……もう知っているのかもしれない)

 コクトーにはそう思えた。
 父の死も、母の死も……ニコルはすべてを知っているのだ、と。
 そして、この幼い少年にとって頼るべき存在は、もはや……コクトーしかいないのだということも。
 あのときニコルが自分に手を差し伸べた理由を、コクトーは他にはどうしても思いつくことができない。

「血が、いっぱい……いっぱい出てるよ。怪我してるの? 痛い? 歩ける?」

 ニコルの声がしゃくりあげるように時々途切れる。
 すでに屋敷が崩れ始めているのだと、あのとき、コクトーには聞こえてくる音と震動で分かっていた。
 刺されたわき腹からの出血はまだ止まっていない。失血のせいで、体に力が入らなかった。このままニコルを連れて逃げ切れるとは思えなかった。

(ニコルをひとりで行かせた方が……いい)

 コクトーはそう判断していた。
 そうすれば、この少年だけは助かるかもしれない。そして……もはや自ら炎に身を投じる勇気を振り絞る必要もないのだ。ここでうずくまっていれば、何もかもが終わる。

「大丈夫です。でも、私にはあなたのように早く走ることはできないでしょうね。だから、ニコル……あなたは先にひとりでお行きなさい。その方がいい。できるでしょう? 私は、あとから……追いかけますから」
「そんなのだめ! だめだよ! 一緒に行かなきゃだめだ! 僕が連れて行ってあげる。連れて行ってあげるから! だから。……お願い。お願いだから……っ!」

 ニコルは必死に叫びながら、何とかコクトーをその場から連れ出そうと手を引っ張り続けていた。
 手を引っ張られるたびに、その衝撃で激しい痛みが湧き上がってくる。
 だがそれでも……コクトーはがくがくと震えている体に力を込めて、ニコルの手を握り返していた。

「一緒に行こうよ、コクトー。一緒なら、怖くないから……」

 ずっと傷を押さえていたせいでコクトーの手は血まみれだった。強く握ろうとすればするほど、ニコルの小さな手はするりと掌から逃げていってしまいそうな気がした。

(守らなければ……。いや、私こそが守られているのかもしれない。この小さく幼い存在が、私の主だ。私の、進むべき道を指し示してくれる光……だ)

 掌の中で震えている、小さな温もり。それが……堪らなく愛しかった。

(――あんな気持ちをアレッシオに抱いたことはなかった。ずっと……二十年も傍らに寄り添い続けて、コンスタンツァが妬むほどの愛情を注がれ続けていたのに……。私はただの一度も、アレッシオを愛しいと感じたことはなかった)

 覚醒しながら、コクトーはぼんやりとそんなことを考えていた。
 温もりは掌だけでなく全身に広がっていた。力強い腕にぎゅっと抱きしめられるその心地良さに、心が震える。
 目覚めたとき、一瞬、今がいつなのか、自分がどこにいるのか分からずに混乱した。
 まだニコルに手を引かれて炎の中を走っているような気もしていたし、エヴァンに抱きしめられているような心地にもなっていた。
 だが目を開いたときには揺れる馬車の中だった。馬車の中にいるのはコクトーひとりだけで、ニコルも、エヴァンもいない。
 コクトーを呼び寄せるためにエヴァンが用意した馬車。道中の宿の手配もすべて調えられ、コクトーはなす術もなくローマへと運ばれている最中だった。

(……まるで荷物のような扱いだ)

 思わずそうため息が漏れる。
 城にいたあいだ、コクトーの身の回りの雑事を処理していたあの下男が、今は御者として同行していた。苛立つのはそのせいかもしれない。常に監視されているようで、落ち着かない気分だった。下男は相変わらず、時折エヴァンの指示を伝える以外には一切コクトーと口をきこうとはしない。

(いや……どちらかというと、お姫様扱い、か……)

 そう考えると鼻で嗤いたくなった。
 エヴァンの手配したローマへの旅程は、決して慌しいものではなかった。たいていは日が暮れる前に宿場に入り、翌日、ゆったりと出立する。そのまま、二、三日宿場に留まって休養することもあった。手配された宿はどれも居心地のよいものばかりで、コクトーは勘定を要求されることも、食事のメニューを尋ねられることもなかった。何もかもが至れり尽くせりで準備されている。
 コクトーに要求されているのは、その焦れったいほどのろのろと進む旅程に耐え、一日のほとんどをひとりで馬車に揺られて過ごす退屈を感じていることだけだった。

(これもまた、あなたのお得意の焦らしですか、ガーラント殿? 私を飢えさせて、愉しむために……? それとも私が、ローマへの道も知らぬほどの世間知らずだと?)

 多分、そのどちらもが正しい答えなのだろう。
 エヴァンの目にはコクトーはそれほど頼りなく、すべてを調えてやらねば何もできない存在に見えているに違いない。人形を作り、性の相手をさせる以外の使い道など何も期待してはいないし、何もさせるつもりもないのだろう。
 これまでエヴァンは男に性の相手をさせたことはないと言っていたから、コクトーに対しても、そういう女たちを扱うときのような心地になっているのかもしれない。
 コクトーより一日早くホルテンシュタットを出たはずのエヴァンとニコルが、同じ旅程でローマへ向かっているとは思えなかった。おそらくは何日も先行し、すでにローマについているはずだ。

(このところ毎日のように火事の夢を見るのは……ローマに近づいているせいか……)

 あの炎の夢を見ることは少なくはなかった。
 いつも……ただ苦しいばかりの悪夢だった。
 これまではたいてい、コンスタンツァが窓から身を投げるあたりで夢は唐突に終わり、心臓が張り裂けるほどの激しい動悸とともに目覚めていた。
 ニコルの手を取ったときのことまで夢の中で思い出したのは、初めてだった。あの火事の凄惨な記憶の光景にうなされながらではなく、呼吸が落ち着いてから覚醒の瞬間を迎えたことも、これまでには一度もなかったことだ。
 ふわり……と、エヴァンの手の感触が蘇ったような気がする。うなされているコクトーをずっと抱きしめていてくれた、あの力強い腕の感触。
 決して認めたい気分ではなかったが、あの光景がただの悪夢でなくなったのはエヴァンのおかげなのだろう。そして、心が擦り切れるほどの愛しさを感じていたのも……あるいは……。

(……違う)

 コクトーは心の奥底にぼんやりと湧き上がってきた考えを、強く否定した。

(絶対に……それだけは違うっ!)

 エヴァンとのあいだにあったものが、愛であったはずはない。
 ただ犬のように服従することを求められただけだ。その要求に応えることを、この淫らな肉体が悦んでいただけなのだ。ただ飢えて、その欲望を満たしあうだけの関係……エヴァンとのあいだにあったのはそれだけだ。
 ――それは決して、愛などではないのだ。
 ローマへ行き、そこで再びエヴァンと寝ることがあったとしても、そのことは変わらない。
 アレッシオに所有されていたときにも、同じだった。
 アレッシオはコクトーが錬金術師であることになど何の関心も示さず、ただ男娼として手元に置くことを望んだ。――違いがあるとすれば、その程度のことだ。
 そのことに、コクトーは格別の不満など抱かなかった。自分はそういう存在なのだと、とうの昔に悟っていた。愛情もなく、不満もなく……コクトーはただの人形として所有されていただけだ。
 そう……不満など、感じてはいなかったはずだ。
 夜を徹して浮かれ騒ぐ宴の見世物として引き出され、名も知らぬ男たちと交わることを要求されたときも……。
 アレッシオの寝室にコクトーと共に呼ばれた女たちに口々にはやし立てられ、昂ぶりを弄ばれながら、後孔を犯されたときにも……。
 すっかり夜も更けてから呼び立てられたこともあった。アレッシオは、ただ泣くばかりで媚態のひとつも見せることのできずにいたコンスタンツァに梃子摺って……この小娘に性の奉仕のやり方を見せてやれとコクトーに命じた。だがあのときにも、不満など感じてはいなかった。
 すべての思考を失っていた。エヴァンに犯されたときと同じように……。我を忘れて、その快楽にのめりこみ、陶酔していた。
 だから、エヴァンとの関係の結末も……きっと、アレッシオの時と同じだ。
 白髪が目立ち始めたころから、アレッシオは以前のように仲間たちを屋敷に呼んで馬鹿騒ぎをすることはなくなった。コクトーと女たちを同時に寝室に呼ぶこともなくなっていた。いや、女を寝室に呼ぶこと自体が、目に見えて少なくなっていたのだ。
 以前のように激しくコクトーの体を求めることもなくなって、自分は横たわったままで舌を使えと要求することが増えていた。顎が痛くなるまで咥えっぱなしで奉仕しながらコクトーが達すると、ようやく終わったのかといわんばかりに口の中で萎えていったアレッシオの昂ぶり。気を失うまで繰り返しコクトーを責め立て続けた猛々しさなど、もうその片鱗も見出すことができないほどに……アレッシオは老いていた。
 だが、それでもいいとコクトーは思っていた。もうこの疼く体をアレッシオが満たしてくれることはないのだと分かっていたけれど、それでもいいのだ……と。
 アレッシオは老い、やがて死ぬだろう。
 その時にようやく長い約束が果たされて、すべてが終わるのだと思っていた。
 このままずっと寄り添っていろと命じてくれればいい。それだけで、きっと満たされる。何もかも終わる。おまえを連れて行きたい。そう言ってくれるだけで……。
 だがアレッシオは最後まで、約束を果たしてはくれなかった。
 きっと……エヴァンも、同じだ。
 共に朽ちていく〈永遠〉を望んだとしても、エヴァンは決してそれをコクトーに強いることはないだろう。エヴァンは、コクトーが自ら望んで殉じることこそを求めているのだから。
 そしてあの炎の中で垣間見た永遠に手を伸ばすことができなかったように、コクトーはまた敗れるのだ。
 己の弱さ故に……。
 ただの人形に過ぎない存在となって、朽ちていくことを怖れて……敗れ続けるのだ。

『炎の向こうの炎。……の、向こうの炎。……の向こうにも、炎』

 あの火事のさなか、すべてを焼き尽くす炎のただなかで、コクトーはその蠢く炎のひとつひとつを数えていた。そしてその向こうに確かに〈永遠〉に続く印を見たのだ。
 それを運命だと思った。
 この世界に、ウロボロスの快楽人形として異端の生命を授けられ、自分が存在していることの意味がそこにあるのだと悟ったのだ。

 ……ただ、手を伸ばしてそれを掴み取ることができなかっただけだ。



by 須藤安寿 ¦ 00:00, Thursday, Dec 10, 2009 ¦ 固定リンク ¦ 携帯

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