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第四話 #4-3

 地下の工房は、日没を待たずにすっかり闇に包まれてしまう。
 手元を照らす小さな蝋燭の光だけを頼りにペンを走らせ続けているコクトーを、エヴァンは長いこと声もかけずに見下ろしていた。

「……何を書いているのです?」

 そうエヴァンが声をかけたときにようやく、コクトーは動かし続けたペンを止めて顔を上げることができた。
 エヴァンが入ってきてからずっと張りつめていた空気が、微かに緩んだようにも感じられた。文字を綴ることに熱中していた……というだけではない。エヴァンが『止めろ』と命ずるのを、気持ちのどこかでは待っていたのだと気付く。

「これまでの仕事の経過をまとめておこうと……。ああ、いつの間にかすっかり暗くなっていたのですね」

 コクトーはそう言って、ペンを置いた。
 レオパルドの人形を作る作業が一段落して以来、コクトーはこうして一日の大半をこの地下の工房で、書き物をして過ごしている。
 人体の一部から生きた肉を培養し、人の姿を形作る手法について……書き記しているのは、そういう内容だった。これまでにも人形を作る作業の折々に経過を記す覚書は作ってはいたが、こうしてきちんとした形で文章に綴ったことはなく、すべてはコクトーだけが知る秘術であった事柄ばかりだ。

「この内容を理解し、同じ手順を踏めば、私と同じようにウロボロスの快楽人形を作ることができる。そういうものを書き残しておいてもよいのかもしれない……そんな気持ちになったのです」

 コクトーは静かに言った。
 文章を書き綴る作業は一時中断するつもりらしい。机の上に広げた紙片をすべて集めると、ペンをインク壷の窪みに乗せた。

「あなたと同じものを作る……? そんなことが可能なのですか……?」
「別に私のやっていることは魔術ではありませんから、悪魔と契約を結ぶ必要はありませんよ。私だとて、同じ行為に対して同じ結果が約束されているからこそ、こうして何体もの人形を作ることができるのです。しかし、もちろん誰にでも、とは行かないでしょうね。錬金術師としての技術や知識は不可欠ですし……。料理を作るようなものです。同じ材料を同じだけ使い、同じレシピに従って調理しても、誰もが晩餐会に相応しいものが作れるとは限らない。そういうことです」
「……だとしても、読みたがる者は多いでしょうね。人形師のみならず、錬金術師や医師も皆があなたの秘術を知りたがっているのだと耳にしています」
「完成すればそうなるかもしれません。まだ、当分先のことでしょうが……。今はまだ、人体の一部から素材となる肉を培養する手法を書き記しているところです」

 培養した肉を人の形に整えるための技術や、ホムンクルスの製法……そこにさらに手を加えて人形の核とする工程については、まだまったくの手つかずだった。だが、すべてを書き上げれば、それはコクトーが師から受け継いだもの、これまでに蓄積してきた知識や技術のすべてを伝えるものになるはずだ。

「もっとも……最後まで書き上げることができるかどうか、自分でもよく分かってはおりません。本当にそんなものを書きたいと思っているのかどうかも……。もともと、誰かに読ませるためではなく、ほんの手慰みに書き始めたものですから」

 エヴァンがじっと自分を見つめているのだと分かっていたが、コクトーは顔を上げてエヴァンを振り返ることはできなかった。
 こんな話をしているのは……そのせいなのだという気もした。これまで誰にも明かしたことのなかった心の内を語る理由など、他には見つからない。
 こうしてエヴァンにまなざしを注がれていることに……コクトーはずっと心を揺さぶられ続けているのだ。そこに悪意を感じ取ることのできない、穏やかな表情。見つめられていることを愛だと誤解しそうになる……そんなまなざしだ。

「いつかは人形を作ることをやめたい。そう思っているのですか……?」

 エヴァンがそう低く言って、コクトーの肩に手を置いた。その手の動きだけで立ち上がるように促し、部屋の奥の寝台へとコクトーを導いていく。

「……長すぎるほどの時間を過ごしてきましたが、私の存在もまた永遠ではない。そういうことを考えるときもあるというだけです」

 咄嗟にそう答えはしたものの、コクトーはエヴァンの言葉に息の詰まるような動揺を感じていた。人形を作ることをやめる――それは考えてもなかった生き方だった。
 だがそんな選択が自分にできるとも思えなかった。
 人形を作ることをやめてしまえば……コクトーはただのウロボロスの快楽人形でしかないのだ。

「それを聞いて安心しました」
「どういう意味です……?」
「……私は……」

 何かを言いかけて、エヴァンが言葉を飲み込んだ。
 それはいつものエヴァンの声とは、少し違う響きがあったようにも思う。エヴァンもまた心の内を語ろうとしているのではないか。コクトーにはそんな風にさえ感じられた。
 だがそれも一瞬のことだった。
 エヴァンはすぐにいつも通りの感情の読み取りにくい表情を装っていた。

「……罪を犯し続けているあなたの方が、美しいと思うからですよ」

 まるで愛の囁きの言葉のように甘く尾を引く声。それがエヴァンの本心とは何の関係もなく、ただその場をやり過ごす言葉であることは明白だった。
 エヴァンは書き物をするために灯していた蝋燭を寝台の脇の台に置いて、コクトーの長衣に手をかけた。

「まだ……あなたが約束なさった〈今夜〉には、少し早いのではありませんか?」

 コクトーはそう小さく言った。
 そんな言葉で、服を脱がせていくエヴァンの手を止められるとは思っていなかった。そして……その手の動きに抗いたいと感じているのでもない。……ないのだと、思う。
 エヴァンの手で撫でるように衣服を脱がされ、寝台の上に横たえられる。
 それをまるで儀式のようだと思った。
 今の自分はその儀式に捧げられる存在なのだ、と。
 何を促されたわけでもないのに、ごく自然に腕を上げて頭の上に組んでから、その自分の動作を嗤いたくなった。

(こんなにも容易く、私はこの男に服従している)

 そのことがおかしかった。
 眠るときにも、男に肉体を差し出すときにも、こんな姿勢を自らとったことなどなかったはずだった。それなのに今となっては、もはや体の脇に腕を下ろしている寝姿こそが不自然なのだと感じ始めている。
 体の奥深い場所が熱を帯び始めているのも……こうしてエヴァンの目に自らのすべてを晒しているせいだ。

「陛下は今夜にもあの人形に最後の核を入れさせるおつもりです。充分な時間があるとは言えませんが、今のうちにあなたを味わっておきたい。あなたの仕事の邪魔をするわけには行きませんし……私は、今夜のうちにこの城を去ることになりますから」

 そのコクトーを満足げに見下ろして、エヴァンは自分も服を脱いだ。寝台に上がって、コクトーの腕の内側、青白い脇の下の窪み、薄い肉の下に浮き出して見える肋骨の形作る複雑な起伏をそっと撫でていく。

「え……?」

 コクトーが思わずそう声を上げた。
 体を起こすために頭の上で組んだ腕を戻そうとしたのだが、それはあっけなくエヴァンに阻まれてしまう。
 エヴァンはコクトーの上に馬乗りになって、その体を押さえ込んでいた。

「城を去るとは、どういう……あっ」

 そう言いかけたが、唐突にエヴァンの指先がコクトーの胸を探り、そこに勃ち上がりかけている小さな突起を弾いたせいでコクトーはもう言葉をつなぐことができなかった。エヴァンは爪の先で転がすように二度、三度と弄り、さらに顔を寄せて、充分に質量を増した乳首を口に含む。

「ん……や……やめ……っ、話……話を……あっああっ」

 痛いほどに吸われ、歯を立てられてコクトーは全身をわななかせていた。
 荒く繰り返されるエヴァンの息遣い。その唇から溢れ出た唾液がコクトーの胸の上を流れていることにも構わずにエヴァンは執拗に舌を使った。
 これまでのエヴァンの……ただ爪の先で触れるだけの焦れったい愛撫とはまったく違うその激しさに、戸惑うよりも先に溺れそうだった。エヴァンの言葉の真意を確かめなければならない。そう思う気持ちとは裏腹に、コクトーの意識はずるずると快楽へと引き摺られていく。

「ああっ! あ……ああ……んっ」

 責められているのは一方の乳首だけなのに、もう一方も激しく疼いて勃ち上がっていた。エヴァンがそのことに気付いて捻り上げるような乱暴さでもう一方の乳首を摘み上げたとき、コクトーの口から漏れたのは、明らかな悦楽と媚態にまみれた喘ぎだった。

「私がいなくなったからと言って、男に不自由するあなたではないでしょう。……ああ、可愛い人だ。乳首を弄られただけでもうこんなに硬くしているのですね」

 エヴァンが言った。
 ゆっくりと腰を低くして、自らの昂ぶりでコクトーの下腹を探る。すでにエヴァンのそれも、今にも達してしまいそうなほどに硬く張り詰めていた。国王の潔癖な従者などというかりそめの姿が不似合いなほどに猛々しくその剛直を滾らせて、もはやエヴァンはその欲望を隠そうとはしていない。

「こうしてあなたを甘やかすのも悪いものではありませんね。好きなだけ味わっていただいて構いません。今宵は、あなたが私を欲しがりながら達するところが見たい。……充分に愉しませていただいたら、あなたにもご褒美を差し上げますよ」」

 コクトーが、すでに先端から蜜を溢れさせている自身の昂ぶりをエヴァンの昂ぶりにまとわりつかせるように腰を上下させたときも、以前のようにエヴァンは腰を引いたりはしなかった。むしろ、その昂ぶりをぐいぐいとコクトーの下腹に押し付けてくる。

「これほどに昂ぶった牡の証を、まるで牝犬の隠花のように犯されるご気分はどんなものなのです? 抗えないほど快楽が……?」
「あっあっ、す……すごく……すご……く感じて……も……う……」
「こんな屈辱的な性に身悶える肉体を呪ったことはないのですか。それとも……呪われるべきは私なのでしょうか? この淫らな肉体に、こんなにも心惹かれる私のような男の欲望が、あなたのような人形を生み出しているのだから……」
「も、もう……私は……ああっ、このまま……」

 眩暈がするほどの強烈な快感がこみ上げてくる。擦れあうふたつの昂ぶりが、滲み出す蜜をまとう。やみくもに互いの下腹に昂ぶりをぶつけ合っていた刺激が、次第にぬるぬると滑りながら規則的な律動を刻み始める。もはや完全にエヴァンが主導権を握って繰り返されるその動きに、コクトーはただ翻弄されるばかりだ。

「私を待つ必要はありませんよ。あなたが堪え切れるとも思っていません。あなたの、達するときの顔が見たい。もっと……もっとと、せがみながら犯されて極めるときの、あなたの顔が……」
「あ……うっ……ああ……、も、もう……」

 首の後ろに回されたエヴァンの腕が、コクトーの頭を抱え込んで息苦しいほどに自分の胸に押し付けていた。荒い息に激しく上下するそのごつごつしたエヴァンの胸板の奥にある、少し速い鼓動。それがコクトーを揺さぶる快感と心地良く同調している。腰のあたりにじわりと甘い痺れが湧き上がり、それが全身に広がっていくのを感じた瞬間、コクトーは堪えきれずにエヴァンの下腹を汚して精を放っていた。
 それを見下ろしてエヴァンの表情が微かに動くのを、コクトーはぼんやりと見上げていた。唇の端を少し持ち上げただけの、静かな笑み。だが酷薄な印象さえあるその表情は、確かに充足を意味していた。それはこれまでにエヴァンが見せたどんな表情よりも、その本質を表しているようにコクトーには思えてならなかった。
 同じ性の部位を持ち、同じように欲望のままに硬く昂ぶらせていても、エヴァンと自分は決して同じではないのだと思い知らされる。コクトーがこうして貪られることで上りつめていくように作られたのと同じように、エヴァンは、貪り、支配することで欲望を満たすように生まれついているのだ。

「は……ぁっ、うっ、あ……っ、あっ」

 すべてを解き放ってしまっても、呼び覚まされた欲望は疼き続けていた。まだがくがくと震え続けているコクトーの頬を、エヴァンの掌がそっと撫でる。

「一度精を放ったくらいでは収まらないようですね。体を起こせますか?」

 頭の上で組んだままだったコクトーの腕を掴んで体の脇にもどすと、エヴァンはコクトーの体を抱き起こした。そしてそのまま、膝立ちになったエヴァンの体の前に四つん這いになるように促す。
 コクトーの頭に手をやって低く下げさせ、まだ天を仰いでいるエヴァン自身が目の前に来るように押さえ込んだ。まだ隆々と天を仰ぐその昂ぶり、それを取り巻く茂みと古い傷痕……そのすべてが、コクトーの放った精液に濡れて蝋燭のゆらめく光を反射している。

「よほどあの行為がお気に召したようですね。こんなにたくさん出して……。すっかり汚されてしまいました。あなたのその口で、きれいにしてくださいますね? 全部舐めとったら、あなたの一番お好きな場所を犯して差し上げますよ」
「ん……あっ……」

 まだ言葉を発することも覚束ないほど、全身が震えていた。
 それでもコクトーはその要求に応えようと、のろのろと顔をエヴァンの下腹へと近づける。だがそれを……エヴァンは待とうとはしなかった。
 エヴァンがコクトーの顎をそっと指先で撫でる。指がもどかしげに耳朶を探り、コクトーの髪を梳き、唐突に襟足でその髪を掴み上げた。

「ぐっ……」

 ほとんどねじ込まれる……という強引さで、昂ぶりを口に含まされる。容赦なくエヴァンの下腹に押し付けられたコクトーの顔に、精液のわだかまる茂みがざらりと触れた。
 喉の奥まで突かれて、呼吸さえままならない。
 そうしてしゃぶらせながら、エヴァンの体が鈍く震えた。
 コクトーの舌の滑らかな震えがまとわりつくたびに、くちゅっ、くちゅっといやらしい音が漏れる。溢れ出る唾液に彩られた赤い唇を自らの昂ぶりが出入りしているのを見下ろして、エヴァンは鳥肌が立つほどの強い興奮がこみ上げてくるのを感じていた。窄められた唇と、吸い付くような口中の粘膜に締め上げられて、気を許せば今にも達してしまいそうだった。

「ふっ……」

 押し殺しきれずに笑いがもれた。
 こんなにも飢えている自分自身が、エヴァンにはおかしかった。
 どれほど性の欲望が募っていても、私は、やり過ごすことができる。ずっとそう思っていたのだ。野放図な性に溺れたりはしない。私はオデルハイム国王の潔癖な従者でいることができるはずだ……と。
 実際にそうしてきたし、かなり上手くやったとも言えるだろう。
 仮面の下に、今日まで素顔を隠し続けてくることができたのだ。
 だがそれは自らの意志の強さなどではないのだと思い知った。ただ……愛を知らなかったからだ。こんなにも激しく――毀して奪いつくしたいと思えるほどに――愛しいと思える存在に、出会うことなくいただけなのだ。

「あ……」

 エヴァンが自らの昂ぶりをコクトーの口中から引きずり出したとき、コクトーはそう小さく声を上げた。もっとそうしていたかったのかもしれない。あるいは、エヴァンの不興を買いでもしたのかと怯えたようでもあった。いずれにしてももっと執拗に口中を責められると思い、それを期待してもいたのだろう。
 だがもう、エヴァンには限界だった。四つん這いになったコクトーの体を掴み上げて、投げ出すように横たえる。その足を強引に開き、自らの腰を静めた。
 さらり……とコクトーの腕が首筋に触れるのを感じた。
 これまで、ただ愛撫に身を委ねていただけだったコクトーが、エヴァンの首に腕を回し、体の震えもそのままにぎゅっと強くエヴァンを抱きしめた。

「痛むかも、しれ……」
「構い……ません。それでも……いい……から……」

 言いかけたエヴァンの言葉を押し留め、コクトーが小さく誘う言葉を口にした。エヴァンの体を挟み込んだ両の足にじわりと力が込められ、コクトーが自ら腰をせり出す。
 その淫らな仕草までが……堪らなく愛しかった。
 まだ解れてもいない後孔の堅さを貫いた瞬間に、コクトーは喉の奥にうめきを堪えて体を激しく反らした。そして狭い肉の壁を切り裂くように押し進んでその最奥を捉えた瞬間に、エヴァンもまた低いうめき声を発して射精していた。

「……あなたに出会わなければ、私は奇蹟を信じることなどできなかったでしょうね」

 体を離すとき、エヴァンはそう静かに囁いた。
 最後に名残を惜しむようにコクトーの髪をひと撫でして、体を起こす。

(これで……終わりなのか……)

 コクトーには起き上がるだけの気力は残っていなかった。エヴァンが衣服を身につけていくのをぼんやりと見上げて、その言葉を口にすることもできずにいる。

(あなたは陛下とシャルルのあいだに〈永遠に色あせぬ愛〉を見たのですか、ガーラント殿? そして……それで満足した、と? だとすれば……)

「今日はもっと穏やかに……と思っていたのですが、あなたにだいぶ無理をさせてしまいました。夕食までは休んでいてください。おそらくそのあとに、陛下からお召しがあるはずです。私は……立ち会うことはできませんが。――あなたが作業をなさっているあいだに、この工房はすべて片付けさせます。あなたにお支払いする報酬も、その時にすべて準備が整うはずです」

 服を身につけ終わったエヴァンはもう……いつも通りのエヴァン・ガーラントにしか見えなかった。オデルハイム国王の有能で潔癖な従者。背徳の性を好む嗜虐的な笑みも、我を忘れたようにコクトーの肉体を貪った激しさも、もうその翳りさえ見つけ出すことのできない、完璧な偽装の姿がそこにある。

(だとすれば……私が今も満たされずにいるのはなぜなのです?)

 コクトーがそう問いかけることができなかったのは、そのせいだろう。
 別れの言葉も口にせずに部屋を出て行くエヴァンの背を、ただじっと見送るしかできないのも……。
 もうエヴァンにとっては、何もかもが終わっているのだ。腹立たしいほどにそれが伝わってくる。
 この城を去る――そんな決断を、昨日、今日にしたとは思えなかった。
 Alea jacta est.サイは投げられた
 あの言葉を告げたときから、エヴァンは仮面を振り捨てて城を去る瞬間を見つめていたのだろう。いや、もっと前かもしれない。シャルルに従者としての教育を受けさせたいといったとき……。あるいは、最初にコクトーの工房を訪れたときから。あるいは、レオパルドにウロボロスの快楽人形を作ることを進言したときから……?
 すべてが緻密に組み上げられた計画だったのだろう。

 愛では……ないのだ。

 どこかでエヴァンとの繋がりを、そう冷たく見つめてもいる。だから何も期待するべきではないのだ。

『私を、連れて行っては下さらないのですか?』

 そんな言葉を口にするような関係では……ないのだ。

(ガーラント殿はただ、共犯者であることを望んだだけだ。陛下の情人を作る人形師が、必要だっただけだから……)


 最後の核を入れる作業は何の問題もなく終わった。
 エヴァンの言っていた通り、コクトーが作業を終えて戻ると、地下の工房はすっかり片付けられていた。錬金術の道具は運び込まれたときと同じように梱包され、運び出されるのを待つばかりになっている。
 コクトーはいつも書き物をしていた机の前に座って、ぼんやりと室内の光景を見回した。何もかもが片付けられた地下室はがらんと殺風景で、いつもよりもずっと狭い……穴倉のような場所に感じられる。

「お客人……」

 その声に、コクトーは振り返った。工房の入り口にあの下男が立っている。

「お客人を馬車でお送りしろと……言われて……」
「ええ、行きましょう」

 コクトーは静かに言って立ち上がった。もはやここにいる意味は……何もないのだ。
 下男に導かれるままに馬車に乗り込む。
 城を出て、ホルテンシュタットの市街へと進む馬車に揺られているあいだも、コクトーはもやもやと落ち着かない気持ちだった。
 一年半もの時間を費やした仕事がようやく終わったというのに、達成感はまったくない。ただ……何もかもを喪ってしまったのだという心地になっているだけだった。

(ニコルの顔を見ればきっと……こんな気持ちからは解放される。そして……何もかも、元通りになるはずだ)

 馬車が中央広場を抜け、細い路地を縫うように走って家の前に着いたとき、コクトーは御者を務めた下男が扉を開けるのも待たずに飛び出していた。
 すっかり明かりの消えた家。
 もう、ニコルは眠っているのだろう。
 だが鍵もかかっていない表の扉を開けた瞬間に、コクトーは呆然と立ち尽くしていた。
 そこには、何もなかった。
 食堂を兼ねた広間の棚を埋め尽くしていた書物、数少ない食器も、壷も……すべてなくなって、テーブルにも椅子にも白い布がかけられている。

「……ニコル?」

 小さくそう呼びかけてみた。だが、返事はない。

「お客人……」

 扉の前に下男が立っていた。カンテラを手にして、そこから一歩踏み出すことを躊躇うように家の中を覗き込んでいる。

「これを……渡せって言われてた」

 そう言って、下男は手にしていた封書をコクトーに差し出した。
 赤い蜜蝋で封をされた……一通の手紙。その表書きを見るまでもなく、コクトーはその手紙の差出人が誰なのかを悟っていた。
 下男の手からそれを受け取り、カンテラの灯りで内容を確認する。
 書かれていたのは、たった一行のメッセージだけだった。

『ニコルが生まれ故郷を見たいというので、連れて行きます。来訪をお待ちしています。E.ガーラント』

(〈ルビコン川を渡る〉とは……そういう意味……か)

 Alea jacta est.サイは投げられた
 その言葉を、コクトーは誤解していた。何かを決意した――と、エヴァンはただそれだけを伝えようとしているのだと思っていた。
 だが、違うのだ。

(あれは……ローマに進軍するという意味だったのか……)

 コクトーはそう気づいて、エヴァンからの手紙を破り捨てたい衝動にも駆られた。あの言葉を告げたときから、エヴァンは何もかも見抜いていたのだろう。コクトーがエヴァンを追わずにはいられなくなることを……。
 例えそれがコクトーにとって地獄より忌まわしい、ローマであっても。







――12月10日公開の第5話をご期待下さい。





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by 須藤安寿 ¦ 00:00, Thursday, Dec 03, 2009 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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