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第一話 #1-1

 ノックさえなしに唐突に扉を開け放ち、断りもなくずかずかと部屋に入ってくる。その行為自体は、今も不快だ。
 だがエヴァン・ガーラントのそうした来訪にコクトーはすでに馴らされてしまっていた。いつの間にか、扉の向こうに誰かが立つ気配を察することができるようになっている。それがエヴァンであれば、そのことも分かるようになった。
 だから今更……ノックなど不要なのだともコクトーは思う。もちろんそんなことをエヴァンに教えてやろうという気は毛頭なかったが。
 いつもエヴァンは扉の前で一瞬立ち止まり、小さく息を吐いてから把手に手をかける。それは自らの内側に感情の一切を押し込めて厄介ごとに直面しようとするため息のようでもあるし、神に赦しを乞う祈りのようでもあった。あるいはエヴァンにとっては神もまた、直面しなければならない厄介ごとのひとつなのかもしれない。
 そんなことを考えながら濃密な吐息の気配に耳をそばだてるとき、コクトーの内にじわりと染み出してくる感情がある。それは少し苦いようにも、熱いようにも感じられ、コクトーを内側から侵食していく類のものだったが、〈不快〉という言葉はそぐわない。出会ったその瞬間から神経を逆撫でるばかりの存在であり続けている、エヴァン・ガーラントという男に対してコクトーが抱いた、唯一と言ってもいい心地良さだった。

(結局、私にはこうして飼い馴らされる生き方が相応しいのか……)

 自嘲するように、そんな考えを抱くこともある。
 オデルハイム王国の首都・ホルテンシュタット。その街並みを睥睨へいげいする城の奥まった一角にコクトーは幽閉も同然に閉じ込められている。城の中ではある程度自由に歩き回ることも許されてはいたし、王の客人として相応しい居室も与えられていたが、コクトーはその長すぎる時間のほとんどを地下の工房で過ごしていた。
 城の地下室を改造した急ごしらえの工房は、日中でも天井近くに細長く穿たれた明かり窓からわずかに陽が差し込むだけだった。外界の景色を望むことはまったくできず、季節の移り変わりもあまり感じられなかったが、そろそろ朝夕には肌に染みるような冷え込みを感じるようになってきた。直に雪の舞う季節となれば……ここへ来て一年ということになるのだろう。
 食事を運んでくる使用人を除けば、訪ねてくるのはエヴァンくらいのものだ。
 エヴァンは決して饒舌じょうぜつな男ではない。
 コクトーの部屋を訪れて、何ひとつ言葉を発することなく雑然とした室内を検分し、それが終われば挨拶もなく去っていく……ということも決して少なくはなかった。そういう時はコクトーもまた終始無言のままで、エヴァンに視線を向けることさえしない。
 沈黙のままに過ごすその時間は、いつも重々しい息苦しさを伴っていた。同じ息苦しさを、エヴァンもまた感じているに違いない。水にもぐって、じっと息を止めている……そんな心地だ。いずれ相手が堪え切れなくなって顔を上げるのを、互いに焦れながら待っている。

(恐らくは先に音を上げるのは私の方なのだろう)

 コクトーはそう感じてもいた。いつの間にかエヴァンの来訪を待っている自分に気付くたびに、それを思い知らされる。そもそもこんな考えを抱くこと自体が、すでにあの男の掌中で弄ばれていることの証なのだ。
 そして息苦しい沈黙を破ってあの男の足元にひざまずくとき、コクトーという存在は、比類なき人形師、孤高の錬金術師という薄っぺらな仮面を剥ぎ取られ、隷属し、渇望する……本来の浅ましい姿に再び貶められていくのだろう。

(その時に、私はあの男と寝ることになるのか……?)

 そんな疑問を抱くこともあったが、答えは今も闇の中に沈んで、その輪郭さえも定かではない。
 エヴァンは男を抱くことを好む国王に仕え、十年もの間、その房事の一切を取り仕切ってきた。コクトーに仕事を依頼してきたのも、その国王の旺盛な性欲を満たすためだったのだ。だがそうして日常的に男色という禁忌の間近に存在しながら、エヴァン自身は頑なにその行為に背を向け続けている。
 扉の把手に手をかけることを躊躇ためらうように漏らされる吐息には、時として背徳の快楽を求める欲望が色濃く滲んでさえいたが、エヴァンは一時の欲望に突き動かされて自分を見失うような男ではあるまい。
 それもまた、コクトーが抱く確信とも言える思いだった。


 コクトーは、巷で『ウロボロスの快楽人形』とも呼ばれる人形を作り出すことを生業としている。ウロボロスの快楽人形は、その俗な呼び名が表す通り、好事家たちが性の快楽を貪るための玩具とも言える存在だった。もともとはホムンクルスという人工の生命体を作る錬金術の試みから生まれたものだと言われている。
 コクトーもまた錬金術の技法を用いて人形を作るが、それが全容――というわけではなかった。時計作りの技術を応用した機械仕掛けの人形も数多く作られていると聞くし、ただ精巧に作られているだけで動くことのできない本来の意味での〈人形〉もウロボロスの快楽人形として売られている。娼館に行けば『当店随一・ウロボロスの快楽人形』などという触れ込みの、れっきとした人間の娼婦を抱くこともできるのだ。もはやそれは錬金術という枠を越えて使い古され、陳腐化した名称に他ならなかった。
 コクトーが作り出した生体人形を実際に目にしたことのある者はほとんどいないはずだ。だが『ウロボロスの快楽人形』の噂が囁かれるときにコクトーの名が出ずに終わることはまずあり得ない。生きた人間以上の美しさと性的な機能を持ち合わせた人形を作ることのできる人形師は、コクトーの他にはひとりたりともいないからだ。
 そしてコクトーを異色の人形師と位置づけている要因はそれだけに留まらない。
 ウロボロスの快楽人形と言えば、多くの者は女の姿をした人形を思い浮かべる。それなのにコクトーは頑なに男の人形を――男に抱かれるための男の人形だけを――作り続けていた。『人心を惑わし、男色を広める異端者』として教皇庁に追われていることもまた、噂を煽る要因のひとつなのだろう。
 そして何よりも、人形より美しいと評されるコクトーの美貌こそが、性の快楽を貪る男たちの欲望をくすぐり続けていた。コクトーは依頼者となら臥所を共にするという噂もある。コクトーと寝た男は例外なくその肉体に溺れ、快楽のあまり破滅していくとも噂されていた。
 噂の結末はどれも同じだ。

『だがコクトーの人形も、コクトー本人も、ただ金を積めば手に入るってもんじゃない。俺たちには永遠に高嶺の花さ』

 コクトーと対面する以前に、エヴァンも一通りの噂は耳にしていた。
 そしてそんな噂を、心のどこかでは嘲笑っていたようにも思う。
 お高くとまって見せても、所詮は人の欲望につけ込んで金を掠め取ろうとする、有象無象の下賎な輩のひとりにすぎないではないか。教皇庁に追われてこのホルテンシュタットに潜んでいるというのなら、脅して従わせる手はいくらでもある。
 ――そんな風にだ。


 長年仕えている国王、レオパルド・フォン・オデルハイムのためにエヴァンがコクトーに発注した人形は、すでに完成間近というところまで来ている。コクトーがレオパルドのためにしなければならない仕事はもう終わっていると言っても過言ではないだろう。
 人形はシャルルという名を与えられ、表向きはレオパルドの従者見習いとして城の住人のひとりとなっている。レオパルドとエヴァンを除けば、城に住む者たちは新しく来た従者見習いがウロボロスの快楽人形だなどとは知らない。その姿はごく普通の人間と、何も変わるところがなかった。
 かつての情人の姿をかたどった人形を抱くことに、レオパルドは少し躊躇いを感じているようでもある。
 人形をシャルルと呼び、従者として傍に置くための教育もさせているが、レオパルドはもうひと月以上も人形を(そして他の男たちも)寝室には入れていなかった。コクトーが仕事を完全に終わらせることができずにいるのは、そのせいだった。

(だがそれも……時間の問題だろう)

 エヴァンはそう感じている。
 人形は、かつてレオパルドの情人であったナイチンゲール侯爵の遺髪から培養された肉体と、レオパルドの精子から培養された核から構成されている。コクトーの説明によれば人形の肉体はただの容れ物に過ぎず、核こそが人形の自我であるのだという。
 今のところ人形に使われているのは未完成の核にすぎなかった。未完成の核は不安定で、一日しか保たずに崩壊してしまう。核を失った人形は自ら行動する術を失って、コクトーが言うところの〈ただの人形〉に戻る。最終工程を経て安定した核を入れたときにようやく人形は完成し、コクトーの仕事も終わることになるのだ。

『コクトーの口を封じようなどとは考えるなよ、エヴァン』

 昨夜、ひとり寝室に入っていくときにレオパルドが唐突にそんな言葉を漏らした。エヴァンが〈時間の問題だ〉と感じるのは、そういうレオパルドの言葉を聞くときだった。まだ迷ってはいる……が、レオパルドはすでにシャルルと名づけた人形との未来を模索し始めているのだ。

(口を封じようなどとは考えるなよ……か)

 十年もの間、エヴァンはレオパルドの臥所に男を送り込み続けていた。大抵は、若い衛士だった。最初のうちは無意識のうちに金髪で水色の目の男ばかりを選んでいたようにも思う。居並ぶ男たちを見てもエヴァンは欲望の疼きなど感じなかったから、レオパルドのかつての情人の姿を思い浮かべるより他に取捨選択の基準がなかったのだ。
 だが繰り返すうちに、適した人材を瞬時に見分けることができるようになった。集められた男たちの中で、最も容易く国王に尻を差し出すのはどの男か、金で黙らせることのできるのはどの男か……そんなことをだ。

『あいつらは、軍服を剥ぎ取ればただの男娼だな』

 レオパルドが苦々しくそう漏らしたこともある。そのことは不満だったのだろうが、エヴァンの連れてくる男を拒んだことは一度もなかった。レオパルドもまた、手っ取り早く性の欲望を処理するためには、その方が都合が良いと思っていたのかもしれない。
 レオパルドとフェルディナント・フォン・ナイチンゲール侯爵との間には、エヴァンでさえ眩しく感じるほどの確かな愛情があった。だが、エヴァンの連れてくる男を抱くときのレオパルドは……ただ飢えて、肉の欲に苛まれていただけだ。二、三度抱けば、飽きて次の男を連れてこいと要求する。その繰り返しだった。
 そういうときにレオパルドの口から〈口封じなど考えるな〉などという言葉が漏らされたことは一度もない。
 エヴァンもまた、男娼以上の男をレオパルドに抱かせるつもりはなかった。思うように男を調達することができないと言って、レオパルドの欲望を王妃や周囲の女たちに向けさせることもした。
 その企みは、ある程度までは成功だったと言えるだろう。だが跡継ぎの王子を得たことで、レオパルドは完全に女への関心を失っていた。
 エヴァンがウロボロスの快楽人形を使うことを思い立ったのは、そういう時期だった。 一夜の欲望の捌け口として使い棄てるなら、衛士よりもウロボロスの快楽人形の方が都合が良いだろう。最初は単純に、そんなことを考えた。
 レオパルドの相手をした衛士たちの後始末には、いつも頭を悩ませ続けていた。戦時には前線に送り出せば良かったが、戦が終わってからはそうもいかなくなった。大抵は金を握らせて地方に追いやることで処理していたが、数人、命を奪った者もいる。見どころのありそうな二、三人はエヴァンが子飼いにして策略のために使っていた。
 正直、エヴァンはそのことにうんざりし始めていた。
 だから人形師を手懐けて飼い殺しにすることを思いついたのだ。
 そうすれば、レオパルドが望むままにいくらでも人形を作らせることができる。たとえレオパルドが一夜で飽きたとしても、人形なら、何の罪悪感もなく打ち棄てることができるはずだ。
 飼い切れなくなれば人形師の口も封じるより他にないだろうが、衛士を殺すことに比べれば、罪悪感などないも同然だろう。たかが人形師だ。人の欲につけ込んで金を掠め取る下賎の輩にすぎない――と。
そう……あの頃のエヴァンは、永遠に色あせぬ愛の存在など考えたこともなかったのだ。

 コクトーを手懐けて、飼っておきたい。

 今も同じようにエヴァンはそう思い続けている。だが、その意味するところは少しばかり変化しているのかもしれない。
 そんなことを苦く自覚することもある。
 レオパルドに必要な人形を作るために、コクトーのやるべき仕事はすでに終わったと言っても過言ではない。コクトーの工房に日参して、作業の進み具合を確認する必要も、もはやなくなっているのだ。それなのに、ふとした空き時間に無意識のうちにコクトーの工房に足を向けている……そんな瞬間に。


 地下の工房へ続く扉の前に立つと、ついノックをしてしまいそうになる。そしていつも把手を掴もうとする瞬間にはため息が漏れた。
 エヴァンは決してこんな無作法に馴染んでいるわけではなかった。意識的に繰り返すこの儀式のような行為が心地良いのでもない。――ただ、この美貌の人形師と対峙するときには、常に優位に立ち続けることが必要なのだと感じているだけだ。
 室内は薄暗かった。
 すでに夕刻を過ぎて、明かり窓からも光は差し込んでいない。コクトーは冷え冷えとした部屋の片隅で机に向かい、蝋燭の光に照らされて無心にペンを動かし続けていた。机の上ばかりか、床にまで書き散らした紙片が散乱している。
 エヴァンが入ってきたことに気付いていないわけではないだろうに、コクトーはわずかに顔を上げることさえせずに文字を綴り続けている。
 コクトーの方でも、エヴァン・ガーラントという男と対峙するときにどうすべきかという心得があるのだろう。コクトーは最初に会ったときから明らかにエヴァンを警戒し、接近しすぎないように気を配っているようだった。

(私のような男に触れられることなど、屈辱だと思っているのだろう)

 それを眺めるのは悪いものではなかった。
 エヴァンがいつもより一歩足を踏み出し、偶然を装ってコクトーの細い背に身を寄せてみたくなったり、絹のように艶やかなコクトーの髪に触れてみたいという衝動に駆られるのは、そんな瞬間だ。

「所用があって街へ出かけたので、久しぶりにあなたの家の様子も見てきました」

 エヴァンは静かにそう言葉を発した。床に落ちた紙片の一枚を拾い上げる。
 細いペン先でびっしりと書き連ねられている流麗な文字。すべてがラテン語だった。しかも隠遁生活を続けた百歳の老人でもこれほど古臭い表現は使うまいと思わせる、古文書のような代物だ。エヴァンは以前にもコクトーの書いた文書を何度か見たことがあるが、どれもこれも同じようなものだった。工房に所狭しと積み上げられている本にはラテン語やギリシャ語で書かれたものに紛れるようにフランス語やドイツ語のほか、アラビア語らしい独特の文字で書き記されたものもあったが、コクトーがラテン語以外を用いて文章を記すことはないらしい。
 拾い上げた紙片を指先で弾いてコクトーの鼻先――今まさに文字を綴っている紙片の上に落下させる。
 それでようやく、ペンを動かし続けていたコクトーの手を止めることができた。邪魔をされたことが不愉快だと訴えるようにコクトーが眉を寄せてエヴァンを見上げる。

「ニコルが寂しがっていました。あなたがいつ戻るか気になって仕方ないのでしょう。仕事はいつになったら終わるんだとしつこく聞かれました」
「大方、私がいない間に羽を伸ばしておこうというつもりなのでしょう」
「最近では外出らしい外出もせずに、家にこもって本ばかり読んでいるそうです。あなたが戻る頃には、少しは人形師の弟子らしくなっているかもしれません」
「……」

 コクトーは言いかけた言葉を飲み込んで、そっと目を背けた。
 ニコルの話ならあるいは……と思ったのだが、コクトーの表情も口調も堅いままだ。

「――失礼。錬金術師の弟子、と言うべきでしたか?」

 だがそれでもコクトーはエヴァンの方に視線を戻そうとはしなかった。さっきまで文字を書き綴っていた紙片を、じっと見下ろしている。
 ニコルというのは、この城に連れてこられる以前にコクトーと共に暮らしていた少年の名前だった。ニコル本人はコクトーの弟子を名乗っていたし、コクトーもそれを否定しようとはしなかったが、実情を伴っていないと見抜くのは難しいことではない。
 弟子どころか、恐らくは下男としての役にも立っていないだろう。客に対する言葉遣いはぞんざいそのもので、お茶の支度ひとつ満足にできない。かといって錬金術についてもウロボロスの快楽人形についてもろくな知識は持ち合わせておらず、工房に出入りすることさえ禁じられているのだ。そもそも弟子が師匠を〈コクトー〉と呼び捨てにするなどあり得ないことだった。

「……ニコルは、あなたの作った人形なのですか?」

 コクトーの彫像のように美しい横顔をじっと見つめて、エヴァンはその質問をついに口にした。それは最初にコクトーの工房を訪ね、あの少年を見たときからずっと抱き続けていた疑問だった。
 年齢は十八だと言っていた。が、虚勢を張ってそう言っているだけかもしれない。エヴァンの目にはニコルはまだ子どもくささの残る少年――と見える。はちみつ色の髪に、すみれの瞳。見た目だけは好事家が涎をたらしそうな美少年だ。黙って座っていてくれさえすれば、エヴァンもそのことを否定するつもりはない。
 とはいえ、性格までが可愛いお人形さんというわけではなかった。コクトーがレオパルドのために作っている人形のような従順さや健気さはどこにもなく、幼さの残る顔とは裏腹に、その内面には支配する側に生まれついた者の尊大な横柄さが渦巻いている。錬金術師とその弟子……などとうそぶいても、実質的にはニコルが主でコクトーが従という図式が垣間見えていた。
 エヴァンならずともふたりを見ていればその関係を勘ぐらずにはいられないだろう。

「ニコルはまっとうな人間ですよ」

 コクトーが小さく答えた。なぜそんな質問をするのか分からない、と言っているような表情だった。

「――彼の母親から託されて、私が育てているというだけです。私の助手だなどと言っていますが、それは形だけのことです。あの子は人形を作ることにも、錬金術にも向いているとは言い難い。預かったときは幼い子どもでしたが……もう子どもとは呼べない年齢になっている。直に私の手元からは離れていってしまうでしょう」
「人形を作っているところをニコルに見せようとしないのはそのためですか」
「あんなものを見たがる者は滅多にいません。あなただって後悔しているのでしょう?」
「……」
 エヴァンはとっさに答える言葉を見つけ出せなかった。
 後悔――なんて言葉ではまだ生ぬるい。人形を作り出す作業はそれほどに凄惨な光景だった。だがそんなことをコクトーに対して言うのはあまりにも酷だ。

「私が、あなたに罪のすべてを押し付けて涼しい顔をしていられるような薄情な男だとでも?」
「白々しいことを……」

 そう言って、コクトーは苦痛を堪えるように鼻先で小さく笑った。
 ニコルのことも人形作りのことも……これ以上もう何も話したくはないのだと言っているようでもある。

「あなたはいつから人形を作っているのです」

 エヴァンはそのことに気付かなかったというように言葉を続けた。
 それもまた、エヴァンがずっと抱いていた疑問のひとつだった。
 コクトーが皮肉をこめて良く言うように〈粘土をこねて呪文を唱えるだけで〉人形を作り出せるのならともかく、一体の人形を完成させるまでに一年以上もかける効率の悪いやり方で、欧州の隅々にまでその名がとどろくほどの成果を上げるには、一体どれだけの時間を費やせば良いのだろう。どう見ても三十には届いていないだろうこの美貌の人形師に、それが可能だとは到底思えない。
 コクトーが伝説的な人形師と呼ばれるまでに何体の人形を作ったのか、その正確な数は調べようもないが、噂を手繰っていくとエヴァンが生まれるはるか以前の話に行き着いてしまうということも少なくなかった。そう、例えばコクトーの書く古めかしいラテン語を、人々があたりまえに綴っていたような時代の話に……だ。

「いつになく饒舌ですね。何かあったのですか、ガーラント殿? あなたがそんなことにご興味をお持ちとは考えたこともありませんでした」

 コクトーの声が、わずかにだが震えたようにも聞こえる。
 いや……それとも震えたのは、自分の方だろうか。

「陛下のおそばに上がる人形を作らせるのです。あなたが政敵と繋がっていないかを慎重に調べるのは当然のことでしょう。もっとも……コクトーという人形師について私が知り得たのはごく些細ささいなことに過ぎません。コクトーの作った人形について語る者は多くても、誰もコクトーが何者なのかは知らなかった。私はいまだにあなたの本当の名前にさえ確信が持てないままだ」
「私の名に興味を示された方など、これまでにはいらっしゃいませんでしたから」
「では私は、その最初のひとりとなるわけですね、コクトー。それとも、シャルルと呼ぶべきですか?」
「……」

 今度はコクトーの方が言葉を失った。
 顔を上げて、エヴァンを見上げる。エヴァンにもじっと見つめられていたことが意外だった。決して心の内を覗かせることのない平静を装ったエヴァンの表情が、微かに揺れたようにも思う。取り澄ました禁欲的な仮面が少しだけ崩れ、剥がれ落ちて、そのごく狭い亀裂からエヴァンの内面――抑え切れないほの暗い情欲が覗き見えている。

「その名で……私を、支配できるとお考えですか?」

 息苦しいほどの圧迫感。これ以上虚勢を張り続けることはできずにこの男に屈してしまいそうだ。
 いや……すでに屈しているのかもしれない。自分の声がエヴァンを牽制するどころか、媚びて愛撫をねだるように熱を帯びて震えているのは、その証だ。

「まさか」

 エヴァンは小さく笑った。
 もう半歩足を踏み出せばその身をコクトーにぴったり寄せることができる場所に立ちながら、エヴァンは決してその距離を詰めようとはしない。

「……あなたと関わることで地獄に堕ちる覚悟はとうにできています。シャルルという名は背徳の快楽を彩るささやかな前戯に過ぎません」

 エヴァンの手が滑らかに動き、コクトーの顎をとらえ、唇に触れた。
 針先で撫でられるような微かな接触。エヴァンは親指の爪の先の一点だけを使って、コクトーの上唇の中心……いつもキスをねだるように突き出されている部位にくすぐったいほど静かに刺激を与えている。
 人形がレオパルドの指を咥え、いやらしい音を立てながらしゃぶったように、コクトーもまたその唇を容易く開いて挿し入れられるものを何でも受け入れる。そのことを、もはやエヴァンは微塵も疑っていない。
 だが与えてくれるのは、その爪の先が触れている微かな点の疼きだけだ。
 コクトーの目が潤んで輝きを増し、すがるように細められるのを、エヴァンはじっと見下ろしている。その視線は、もはやたぎる欲望を隠そうとはしていなかった。

「――私は、あなたが思っている以上に貪欲な男ですよ」



by 須藤安寿 ¦ 00:00, Thursday, Nov 12, 2009 ¦ 固定リンク ¦ 携帯

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