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 小鳥の囀りが聞こえる。
 眠りから覚めた了は、背に温かさを感じて不思議に思った。そっと首を回して後ろを見ると、すぐ傍で瑪瑙が眠っていた。
 そういえば、昨夜は抱き締められたまま眠りについたんだっけ――。
 この宿舎に閉じこめられて、明日で二週間になる。二人はもう別々の寝室で眠ることはなくなっていた。ここは瑪瑙の部屋として割り当てられていた方の一室だ。了の部屋より物が色々と置かれていて、居心地がいい。
 窓際に、育成中のハーブの鉢植えがたくさん並んでいる。了には何をどう使用するのか分からないが、時々瑪瑙の気が向いた時に淹れてもらえる清涼な香りのハーブティーは、了の大好物になった。
 本棚には、難しい言葉で書かれた分厚い本が何冊も並んでいる。その背表紙の内の一つに目が留まり、了は慌てて目を逸らした。
 毎晩肌を合わせるわけではないが、それなりに頻度は高いと思う。瑪瑙の方から誘ってくることはほとんどなくて、いつも我慢がきかなくなった了の方から誘惑してばかりだった。
 覚えたてのガキがサカっていると嘲笑われても、その通りだから仕方がない。瑪瑙の余裕のある振る舞いが時々憎たらしくなる。もっと自分を求めて欲しいのに。
 瑪瑙はいつも意地悪なことばかり言うし、素直に触れてくれない。
 でも、我慢に我慢を重ねてから瑪瑙の尖りに内側をかき回されると、不安や不満などは全部溶けてどこかへいってしまう。
「ずるいよな……」
 了は瑪瑙の金の長い睫毛を恨めしそうに眺める。瑪瑙はあまり朝に強い方ではなく、多少身動きをしても起きだす気配はなかった。身動き一つしない眠り方はまるで死んでいるようで、了は思わず裸の胸に耳を押し当て、鼓動を確かめた。
 瑪瑙の心臓は、規則正しい音を刻んでいる。
 ほっと安心すると同時に、一人で何をやっているんだろうと自分の行動が可笑しくなってしまった。無防備な寝顔を間近で見ていると胸が苦しくなり、了は眠る瑪瑙の口唇からそっとキスを奪う。胸の苦しさはキスをしても変わらず、ずくん、ずくんとだんだん大きくなっていくように感じた。
「ん?」
 窓の外から小さな音がする。目をやると、窓は細く開いていた。
 了は一人暮らしの時のくせで、眠ってしまう前に全ての戸締りを確認する習慣があった。あそこの窓は寝る前に閉めたし、鍵もかけておいたはずだ。瑪瑙が夜中に起きだして開けて、そのまま忘れて眠ってしまったのだろうか。
「無用心だな……」
 了は瑪瑙のベッドから身体を起こす。瑪瑙は育ちがいいせいか、どうしても警戒心に欠けるところがある。まあ、こんな王宮の中に泥棒や不審者が入りこむわけはないのだけれど。
 眠る時は暑さを感じたため寝間着の下しかつけていなかったが、朝の新鮮な空気が裸の胸に触れると、少し冷えるようだ。了は瑪瑙に薄い毛布をかけなおして、ベッド脇のアンティークなブラウンのチェストの上を探る。水差しを見つけ、安眠用にと瑪瑙が出してくれたカモミールティーの空のカップに半分ほど水を注いで喉を湿らせた。
 立ち上がって大きく伸びをしてから、熱いシャワーでも浴びようかと考えている時、再び外から物音がした。先ほどより大きな音だ。
「何だ?」
 不審に思って窓枠に手をかけると、真っ白な服を着た青年が窓の外に貼りついていて、あやうく大声をあげそうになった。
 銀に近い金髪、灰色の目。ユリウスだ。
 了は懸命に心臓を落ち着かせると、ソファーの脇に脱ぎ捨ててあった麻のシャツを羽織り、宿舎の外へ出た。
「ユリウス、どうしてこんなところに?」
 声をひそめて訊ねる。ユリウスはまだ宿舎の中を覗いていた。了もユリウスと同じ場所に立って窓から中を見てみると、つい今まで横になっていた場所が丸見えだった。瑪瑙の彫像のような顔までよく見える。
「ユリウス」
 了は頬を染めてユリウスの肩に手をかけ、窓から引き剥がした。
 瑪瑙と同じベッドで寝ているのを見られてしまった――いや、それだけではない。了が瑪瑙の口唇にキスをしたのだってきっと、この角度からならよく見えたに違いない。
「あ……」
 まずい――。
 ユリウスは二人の兵士を連れていた。のっぽとちびの品のなさそうな顔をした男たちだった。二人の兵士は含み笑いをしながら了を眺めている。了の頬が熱く燃え上がった。
「おはよう、了。ねえ、あの人、なあに?」
 ユリウスは悪びれもせず、にっこりと了に笑いかける。
「具合が悪いの? 病気をしているんなら、先生に言わなきゃだめだよ」
「そ、そうじゃないんだ。ありがとう、彼なら大丈夫だよ」
 ユリウスの無垢な瞳には、瑪瑙が何か病を患っていて、了がその看病をしているように映ったようだ。
「違いますよ王子さま、こいつはあの女みたいな野郎とできてるんだ」
 ちびが下卑た声で言う。視線がちらちらと自分のドッグタグに注がれているのが分かった。
「できてる?」
 ユリウスが無垢な瞳で聞き返すと、のっぽが後を引き継いだ。
「男同士でやってるんです。気持ち悪い。つまりね――」
「――黙れ」
 ユリウスさえいなければ、この場でこいつらを殴り飛ばして半殺しにしていただろう。
 了は拳を握りしめ、低い声でひと言だけ告げる。それだけでもじゅうぶんに殺気が伝わったらしく、兵士たちは蒼ざめて口を閉ざした。
 瑪瑙と関係していることは、紛れもない事実だ。
 ましてや、現場を目撃されたとあっては尚更、言い逃れもごまかしも出来ない。するつもりもない。だが、瑪瑙のことを見下したり悪く言われたりするのには耐えられなかった。興奮すると胸の息苦しさが増して、そのせいで了の目の色に更に凶暴さが宿る。
「お前たち、もう行っていいよ。お前たちがいると了が怒るから、話ができない。じゃま」
 ユリウスはあっけらかんと兵士たちに言い放つ。兵士たちはしばらくばつが悪そうに顔を見合わせていたが、やがてげんなりした様子で木立の向こうへ消えていった。
 あの調子では、遠からぬうちに兵士たちの間では、自分と謎の男についての噂でもちきりになるだろう。ドッグタグを見られたから、あいつら・・・・には自分が兵士だということがばれたはずだ。黒髪の兵士なんて国中を探しても自分しかいないから、もしも噂が広がっていけば昔所属していた小隊の連中や養成所時代のやつらは了の名前を挙げるだろう。
「了、ごめんね、僕……」
 ユリウスが困ったように俯く。
「別にユリウスは悪くないだろ。俺こそ、怖がらせちゃってごめんな」
 自分より背の高い青年の頭を撫でるというのは変な気のするものだ。だが、ユリウスは了に撫でられると安心したのか、甘えるように言った。
「了、ちっとも遊びに来てくれないんだもの。ハンナに『了はどこにいるの?』って聞いたらここにいるって。本当は来ちゃいけないって言われたんだけど、会いたかったから」
「俺は今、謹慎中だから、ここから出られないんだ」
「きんしん?」
「そう、任務……お仕事をうまくやれなかったから、反省しなさいって怒られちゃったんだ」
「ふうん」
 ユリウスはよく分からない、という顔をして、いつも召使いたちが食事を置いていく台の上に腰を落とすと、子供のように足をばたつかせた。そうしていると、木立の向こうから忙しない足音が近づいてきて、太ったメイドが姿を現す。
 同じメイドといっても、城に初めて足を踏み入れた日に見かけたメイドとはずいぶん違った印象を受ける。地味な黒のワンピースに白いエプロンといった格好は同じだが、どことなく貫禄があるのだ。年の頃は四十半ば――ぐらいだろうか。小脇には風呂敷包みのようなものを抱えている。彼女はユリウスを見つけると息を乱し、大儀そうに駆け寄った。
「ユリウスさま! はぁ、はぁ……やっぱり……。うっかり口を滑らせてしまったから、もしかしてと探してみれば……来てはいけないと言ったじゃありませんか……」
「ハンナ。だって、フレデリカだって了に会いたいって」
「そんなことは知っていますよ。ああもう、お召し物が汚れるから、そんなところに座るのはよしてくださいな。まったく、ユリウスさまときたら本当に、ハンナの言うことをちっとも聞き入れてくださらないんですから困ったものです。妹のフレデリカさまの方がずっと、ずうっと大人でいらっしゃいますよ」
 ハンナはユリウスに向かってひとしきり小言を垂れると、了にふり返って脇に抱えていた包みを「どうぞ」と手渡した。
「これは?」
「あなたが了さまですね? フレデリカさまからのお届け物です。それを着て城へ来るようにとの仰せです。正午の鐘の前までには間に合いますか?」
 まだ十時も回っていない。「もちろんです」と答えると、ハンナは満足そうに頷き返して、聞き分けのない王子の手を引いて城へ帰るよう促した。ユリウスは了とハンナを交互に見て、しばらくぐずっていたが、結局はハンナの言葉に従う。
 何やら言い合いながら、二人は木立の向こうへ消えていった。まるで仲の良い親子のようで、彼らを眺めていると心が温まる。了はハンナから受け取った包みを開くと、今度こそ大きな驚きの声をあげた。


「本当にお久しぶりです……。謹慎処分を受けていたなんて知りませんでした。もっと早く分かっていれば、ここまで不自由な思いをさせることはなかったのに。わたしの力が至らないせいで……ごめんなさいね、了」
「そんな、とんでもないです、フレデリカさま。住むところも食べるものも、着るものまで全部面倒をみていただいて……申し訳ないのは俺の方です」
 一国の姫君に頭を下げられ、慌てて椅子から立ち上がろうとした。フレデリカはすぐに了を制し、柔らかく微笑みかけた。
 今日のフレデリカは金髪をアップに結い上げて、菖蒲色の落ちついたドレスを着ている。そのせいか、前に会った時より少しだけ大人っぽく見えた。
「いいのです。わたしたちの他には、ここには誰もいないのですから。もっと寛いで、お茶を味わってくださいな」
 ここは、王宮のバラ園。
 正午の鐘と共に、フレデリカ、ユリウス、了の三人は軽食の入ったバスケットを持って、昼食を摂りにやって来た。籐製のバスケットは見るからに重そうだったので、了はすぐにお運びいたしますと申し出たのだが、フレデリカは自分が持つと言って譲らなかった。その代わりに車椅子を押して欲しいと頼まれたので、二つ返事で引き受けた。
 引き受けてから、車椅子を押すのはユリウスがやりたがるだろうかと思ったが、彼は彼で何か他のことに気をとられているようだった。ともかく、駄々をこねられないのならそれでいい。三人が庭園の東屋に着くと、既にそこには身なりのいい執事が茶の準備をしていた。
「それでは、ごゆっくり」
 三人の姿が見えると、即座に美味しい茶を飲めるようセットして場を辞した。フレデリカは執事がいなくなると、得意げにバスケットの上のキルトを持ち上げてみせた。
「どうです? ちょっとしたものでしょう」
 バスケットの中には綺麗にカットされたパンに、ハムや野菜が挟まれたものが繊細に詰めこまれていた。ユリウスから教えられるまでもなく、了はそれを作ったのはフレデリカなのだろうとあたりをつけた。
「すごい。美味しそうですね、俺がいただいてもよろしいのでしょうか?」
「もちろん、そのために朝から……いいえ、いいから早く食べてください。ほら、お兄さまも」
 やはりこれはフレデリカのお手製だったようだ。目が見えないのに、どうやってハムや野菜を切ったり、こんなに丁寧にパンに挟んだり出来るのだろう。
 野菜は新鮮でぱりっとしている。一度水にさらしてからきちんと水気を切らないと、こうはならない。パンに塗られたバターの量も軽すぎず重すぎず、了の口に合った。
 サンドイッチは簡単な料理だが、美味しく作るためにはそれなりのコツがある。了は姫君の可愛らしい悪戯に口元を綻ばせると、小さなサンドイッチをゆっくり味わって食べた。
 王宮のバラ園で、王子と姫と自分の三人だけで食事を摂るなんて、不思議な気分だ。つい先日の自分は背に鞭を打たれ、牢に放りこまれていたのに。
(――しかも、こんな格好で)
 了はハンナから言い付かった通り、着替えを済ますと急ぎ足で城へ向かった。
 既に門の鍵は開けられていて、黒い兵士服の男が気だるげに煙草をふかしていた。ユリウスの供についていた兵士の、のっぽの方だった。
 先ほどの低俗なからかいの言葉を思い出して、了はきつく男を睨みつけた。また何かくだらないことを言ってきたら容赦はしない。しかし、男はやり合うつもりはないというように軽く手を翳してみせた。
「これからは自由に出入りするといい」
 男はそれだけを了に言うと、「やっと務めが終わった」と煙草を投げ捨てて、ブーツの底で踏みにじった。そして、そばに停めてあった古い蒸気バイクドーリーに跨るとクローネの街方向へ走り去った。
 男は了の格好を眺め、終始うさんくさそうな表情をしていた。
 ヤマトの末裔のくせに恵まれた宿舎を与えられていて、同性の情人まで連れこんで好きにやっている。王子ユリウスにはやたらと懐かれているし、信頼まであるようだ。しかも……赤い軍服を授与されるとは。不公平だ、おかしい――男がいくら言葉を呑みこんでいたって、妬ましげな眼差しが雄弁に心情を語っていた。
(分かってるよ……)
 了は熱い紅茶を口に運び、自分の赤い軍服を見下ろして、居心地の悪い気分になる。
 金色の飾緒など、どうみても必要のなさそうな装飾はつけなかったのだが、赤地に金の刺繍がほどこされた長い上着、ぴったりとした白のホーズはそれだけで十分に目立つ。
 この、一見仮装のような派手な軍服を着用するのを許されているのは、兵士たちの中でも特に身分の高い者、近衛兵の中でも別格の、親衛隊だけだ。親衛隊は国王や王族の警護のため、城内で唯一帯刀を許される。了は先日の混乱の際サーベルを紛失してしまっていたし、着用を許可されるのは王族から直接賜ったものだけだから、丸腰のままだった。
 これまでの兵士服と比べると余分な装飾が多く、上着がやたらひらひらしていて、動きにくい。だが、この制服は了のために誂えられた特別製だ。左手の部分が義手のアームカバーの妨げにならないよう、ジッパーで簡単に開け閉め出来るようになっている。ヤマトの血を引く自分がまさか、こんな格好をする日がくるとは思いもしなかった。
 三人でフレデリカの作ったサンドイッチをあらかた平らげると、了はお代わりの紅茶を淹れるために立ち上がった。ユリウスがふと思い出したように席を立つ。
「ねえ、僕、遊んできていい? あそこの樹にさなぎの抜け殻があるか見てきたい」
「ご一緒した方が?」
「この庭園内なら大丈夫です。それに、もう駆け出していってしまったようです」
 ユリウスの代わりにフレデリカが答える。
「そうみたいですね」
「あの……」
 フレデリカは了に呼びかけたものの、躊躇うように言い澱んでいる。心なしか、白い頬がピンク色に染まっているように見えた。
「何でしょう?」
「その」
 明澄な彼女にしては歯切れの悪い受け答えだ。了は紅茶をカップに注いでフレデリカの手元に置き、自分の分も淹れた。
「了は……男の人と一緒に寝起きしているんだって、お兄さまから聞きました」
「そうですか」
 何となく、聞かれる前から予測していたため、了は平坦な声で答えた。近衛兵が男色趣味ではまずいと言われたら、すぐにでも職を辞そうと決めていた。
 現実問題としては、瑪瑙が宿舎から追い出される可能性の方が高いのだが、その時の了の頭はそこまで考えが及んでいなかった。しかし、フレデリカの興味は違う方向へ向いているようで、了を咎めるような言葉が投げかけられることはなかった。
「その人のことを、好きなのですか? 恋人なのですか?」
「好き……です。多分」
 好きだと伝えたことはない。というより、改めてフレデリカに言われるまで「好き」という単語を認識したことさえなかった。二つ目の問いかけはもちろんノーだ。
 嫌われてはいない――と、思う。
 だが、瑪瑙の気持ちはよく分からない。自分を見て哀しそうな顔をする時に、いったい何を考えているのか問いただしたくなる瞬間はよくあった。でも、瑪瑙はすぐに皮肉屋の仮面を被ってしまうし、自身がそんな顔をしていることなど知らないようだったから、指摘するのも憚られた。胸の痛みがますます重くなっていく。了は痛みをふり払うように、なんでもない口調で聞き返した。
「恋人、か……。フレデリカさまこそ、どうなんですか?」
「わたし、ですか。わたしは……婚約話が持ち上がっております」
「婚約……。それは、おめでとうございます」
「いいえ」
 フレデリカはかぶりを振って、「めでたくなんてありません」と冷えた声で言った。
「了なら今のこの国がどのような状態にあるか、分かりますよね。わたしは国のために新しい王を迎え、次の世に繋ぐため早く子を成さなくてはならないのです……」
 それが王族の務めだ。だが、こんな繊細そうな少女に望まぬ結婚や出産など、受け入れられるものだろうか。了はフレデリカにどんな言葉をかけていいのか分からず、目を伏せる。身分の高い者は高いなりに苦しいものなのだ――了がそう思ったとき、フレデリカの口からとんでもない言葉を聞いたような気がして、つい聞き返した。
「今、何と?」
「ですから。わたしは、お兄さまのことを……愛しているのです……」


 庭園を後にして、フレデリカから簡単な叙任式を受けた。庭園と反対方向にある〈教会〉と呼ばれる建物の中でそれは行われた。黒い鷲が二羽、盾のようなものを囲んでいる〈夜の国〉そのものを表す紋章と、エーレンフェルス家を表す剣とつる草の紋章が両脇の壁に掲げられている。中央には金に輝く不思議な形をした十字架クロスが掲げられていた。
 教会の中は荘厳な雰囲気が漂っていて、予備知識も何もないまま連れられて来た了は圧倒されてしまう。司祭は金色の祭服を纏った温厚そうな老人だった。了は、自分があまりにも場違いなところへ連れられてきたように感じてしまい、落ちつかなかった。
 フレデリカは祭壇の上から真新しい剣を見ながら祈りを捧げる。
「彼が、教会、寡婦、孤児、あるいは我が国への暴虐に逆らい、全ての者の保護者かつ守護者となるように」
 そして、跪いた了に言う。
「真理を守るべし。孤児や寡婦、全ての弱き者のために祈り、かつ働く人々全てを守護すべし」
 司祭が了の手に祝福された剣を手渡した。美しい銀色のサーベルだった。了は剣を鞘へおさめる。フレデリカは帯を了の腰に巻きつけると、そこから三度剣を引き抜いて元へ戻し、屈むすよう命じた。言われたとおりに了は剣を煌めかせて膝をついた。フレデリカは満足そうに了の額にくちづけをして、か弱い手刀で了のうなじを打った。
 これで、了は正式にフレデリカの側仕えとなった。了の剣はフレデリカのものということだ。一連の儀式を終えるとさすがに疲れたようで、フレデリカは司祭に感謝とねぎらいの言葉をかけて、自室で休みたいと言った。了は車椅子を押して彼女を私室まで届ける。
「お疲れさまでした。今日は公務もありませんし、あなたも休んで結構です」
「はい。ありがとうございました、フレデリカさま」
「あのこと……内緒にしてくださいね?」
 姫の顔を脱ぎ捨てると、フレデリカは可憐な乙女の素顔を見せた。恋する少女の顔だ。了は「もちろんです」と頷くと、なるべく音をたてないよう扉を閉め、長い廊下を引き返そうと踵を返した。
 ゆっくり歩いても、ブーツの底はコツコツと広い天井に響く。
「……から、何故、あの者は死なないのだと聞いている」
 側近の部屋を横切った時、苛立たしげな声が漏れ聞こえ、物騒な内容につい足を止めた。続いて聞こえた声に、了の心は氷水をいきなり浴びせかけられたように冷え固まった。
「申し訳ありません……。彼にはあまり私の毒が効かないようなのです」
(瑪瑙?)
 瑪瑙の声を了が間違えるはずがない。甘く低い、意地悪で優しい声。
「お前の体内に流れる猛毒は、どんな猛者でもいちころで仕留められるのではなかったか? たかが十九、二十の小僧相手に何をそこまで手こずっているのだ。さっさと殺せ! お前はあの忌々しいヤマト人を殺すために招かれ、高待遇を受けているのではないか!」
「……はい……」
 何のことだ?
 どうして、頷くんだ?
 傲岸不遜を絵に描いたような瑪瑙。
 そんな彼が、何故、殊勝に相手の言うことを聞いているんだ?
 瑪瑙――。
 呟きかけて、ハッと思いとどまって自分の口を塞ぐ。
 ヤマト人の小僧――それはつまり、自分のことだ。他に誰がいる?
(――仕留めるって、何だ?)
 そもそも・・・・瑪瑙は何のためにここに呼ばれたと言っていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「……っ」
 ずきん、と。
 胸の奥がまた、不吉な痛みを訴えた。胸の痛みは一向に治まる気配がなく、時間が経つにつれ大きくなっていく。耳を塞いでこの場から逃げたかったが、瘧にかかったように足が震え、動かない。それでも、なんとかフレデリカから授与されたばかりのサーベルが喧しい音をたてそうになるのを必死に手でおさえ、歩を進め了はその場から離れた。
 瑪瑙は、自分のことを殺すため――毒を使って殺せと命令されて宿舎あそこにいた。
 側近に雇われた刺客。
 瑪瑙は暗殺者だったと――?
「嘘だ」
 否定してみても、これまで了が疑問に思っていた瑪瑙の不可解な言動の大方がそれで説明出来てしまう。ヤマトの人間に躊躇なく触れてきた瑪瑙。何の取り柄もない自分に、必要以上に優しくしてくれた瑪瑙――。
 甘い抱擁は毒を盛るため? 甘い囁きは、頑なな了の心につけいるため?
 そう、ただの商人がこんなにいつまでも兵士用の宿舎に滞在し続けるわけがない。体内の毒という側近の言葉はよく分からなかったけれど、こうして体調がおかしくなっているのは紛れもない事実で――。
「嘘だ……、そんな、嘘……」
 胸が痛い。重い。息をすることさえ辛く、苦しい。
 どこをどうやって歩いてきたのか分からなかった。了はいつの間にか城を出て、裏門をくぐると、幾度となく往復した湖畔の道を歩いていた。
「あぁ……」
 瑪瑙、瑪瑙――。
 やがて了は胸の痛みに耐えきれず、砂利道の上に崩れ落ちた。
「瑪瑙……」
 口唇はずっと、彼の名を呟き続けていた。意識を手放してしまう、その刹那まで。


 ■■■

 固く閉じられていた目蓋がわななきながら開いた。蒼ざめていた頬にも僅かだが血色が戻り始めている。瑪瑙は黒髪を優しく撫でた。
「瑪瑙……?」
「よかった、道端で倒れていた時にはどうしようと思った。どこか痛いところはあるか?」
 のぞきこんで優しく問いかけると、了はふっと一瞬、寂しげに眉を寄せ、ゆるくかぶりを振った。
「大丈夫。瑪瑙、ずっとついていてくれたの?」
「ああ。こら、まだ起き上がったら駄目だ」
 了は瑪瑙の制止を振り切って無理矢理身体を起こすと、切なげに小さく微笑んで抱きついてきた。
「ごめん、ありがとう」
「別にどうということはない。こんな大きなものが道端に転がっていては邪魔だからな」
 了の息の荒さに、瑪瑙はどうしようもない苦しさを覚える。先ほど砂利道に倒れていた了を連れ帰った時、窮屈そうな服を着ていたのでゆったりした寝間着に着替えさせた。その時、身体の隅々まで観察したのだが、まだ死の兆候は表れていなかった。瑪瑙の毒が回り始めると、皮膚に薔薇のような薄い斑点が表れる。了の肌はまだ綺麗なままだ。
(効いていないはずなのに――)
 しかし、目の前に横たわる了の苦しげな吐息は本物だし、火照った頬やうるんだ瞳はとても演技には見えなかった。
「瑪瑙、瑪瑙……」
「了? ……何かあったのか?」
 慌てて了の黒い瞳から零れ落ちる透明な雫を拭う。背中を震わせて泣いているのに、義眼からは涙はひとすじも流れず、かえってそれが哀しかった。何があったのかと訊ねても、了は頑として口を割ろうとしない。しばらくしゃくり上げ、涙がひいてくると瑪瑙の目を真っ直ぐに見て言った。
「ねえ、瑪瑙……。俺、瑪瑙のことが、好きだよ」
 こいつは馬鹿だ――。
 瑪瑙の口内に苦いものが広がる。いつもの〈隻腕の死天使〉なら、この機会を逃したりしなかっただろう。いかにも優しげに頷いて抱き寄せて、嘘で塗り固めた愛の台詞を口にして、偽りの天国を見せてやる場面だ。
「瑪瑙が俺のこと、好きじゃなくても」
「馬鹿いうな、好きに決まって……」
 赤いアームカバーが瑪瑙の口唇にそっと押し当てられる。
「嘘」
 嘘じゃない。瑪瑙は口唇を水平に引き結んだ。
 嘘じゃない――その言葉は意外なほど強く、瑪瑙の心の奥底から激しく突き上げてきた。
(だから、どうするっていうんだ……)
 いつからだろう。瑪瑙は了にくちづけをされながらぼんやりと思う。犬のように人懐こくて、簡単にひとの懐に潜りこんでくる了。殺したくないと思ったのは、愛しいと感じ始めていたからなのか? だが、しかし――。
「いけない!」
 瑪瑙は了の身体をベッドへ突き飛ばした。自分に触れれば、毒を流してしまう。了を殺したくない。もうこれ以上、毒を与えたくない。
 突き飛ばしてしまってから、瑪瑙は了がついさっき目を開けたばかりだったことを思い出して「すまない」と手を引いた。
「いいんだ。俺こそ、ごめん。俺なんかとキスするなんて、嫌だよね」
 そうじゃない。
 いっそのこと、何もかもばらしてしまいたいといった衝動にかられたが、今さら己の正体を明かしてどうするとせせら笑う自分がいて、瑪瑙は硬く目を瞑って片腕で了を抱き締めた。
 自分は殺人のために作られた兵器だ。
 かつてこの身体は、クルトに命じられるまま、自分を「愛している」と囁くヤンを葬った。ヤンだけではない、その後も、何人殺してきたか分からない――。相手に執着を持つことが嫌だったから、自殺志願の者以外は〈悪人〉しか手にかけないと決めてきた。
 だが、悪とはいったい何なのだ?
 この腕の中にいる青年は、生まれながらに〈悪〉と蔑まれ、無意味な差別を受けている。彼のいったいどこが悪だというのだろう? 僅かな糧のために人殺しをして生きてきた己の方が余程、悪だ。
 いくら愛を与えられても、自分はその相手を殺すことしか出来ない。自分の身体は想いを寄せてくれる者、寄せようとする者を殺してしまう。
(これが……罰なのか――?)
「了……」
 名を呟いて、優しく額にキスをする。了はただそれだけで嬉しそうに目じりを下げた。
「ねえ、瑪瑙……。出来たら、ネイを……呼んで。そうしたらきっと、すっかりよくなるから……」
「お養父さんを? しかし、いくら高度な技術をもつ技師といっても……」
 自分の毒を解毒出来る者など、この世には存在しない。
 了は薄く笑うと「お願い」と言って震える手でベッドの上を探り、金の懐中時計を手渡してきた。それだけで身体中の力を使い果たしてしまったのだろう。了は瑪瑙の腕の中でくたりと手折れ、眠りにおちる。
 瑪瑙は使いこまれて鈍く光る時計の蓋を開く。蓋の内側には、何か紙切れのようなものが挟まっていて、工房の連絡先が記されていた。ここに連絡すれば、すぐにあの偏屈そうな養父が飛んでくるのだろう。
 瑪瑙は何気なく紙切れを裏返すと、目を極限まで見開いた。
「な……これは、どういう」
 そこにあったのは若かりし頃のネイの肖像。
「どうして、彼は、いったい……」
 瑪瑙がその顔を目にしたのは初めてではなかった。若いせいか、実力が伴わなかったのか――それとも、家族にはあまり非人道的な研究に手を染めさせまいとする親心・・だったのか、実験の場にはほとんど立ち会うことはなかったが、確かにあの施設に住んでいた。アーレンはああ見えて家族思いだったのか――そう。
 了の養父、ネイ・バイルシュミット――。
 写真に写っている人物は、紛れもなくあの研究所の所長、アーレンの息子だった。



☆第10回は6月3日(木)0時更新予定です。どうぞお楽しみに♪


by 玉置真珠 ¦ 00:00, Thursday, May 27, 2010 ¦ 固定リンク ¦ コメント(3) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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玉置先生の帝都艶上がすごく面白かったので、この連載も読ませていただいてます。
了が好きでうっとりです。
このお話、単行本になる予定はあるんですか?
まとめて一気に読みたいので、単行本になってほしいなあ…。
絶対本になったら買いますね!


名前: nono ¦ 00:02, Friday, Jun 04, 2010 ×


私はあなたの文章を読むのが好きですと発%uE8A781は有用なや重要なことである。


名前: Replica Parmigiani Watches ¦ 22:54, Sunday, Jul 28, 2013 ×


少し評価は、千の言葉よりも優れている


名前: Nike Jordan 8 High Heels ¦ 17:46, Monday, Jul 29, 2013 ×



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