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act5-2

 ■■■

「瑪瑙って強いんだな……でもそんなに早いピッチで飲んだら、明日に響くんじゃないの?」
「限界をわきまえているから大丈夫だ」
 瑪瑙は、ほんのりと頬を桜色に染めた了にさらりと嘘をついた。自分がどの程度アルコール耐性があるのかなんて知らなかった。
「ネイもけっこうな酒飲みだけど……さすがに、ビール飲むみたいに赤ワインを飲んじゃいなかったぞ」
「これは安物だったな、葡萄の味が薄いし深みもまるでない」
〈酔い〉がどんなものか瑪瑙には理解出来ないが、味は分かる。特に赤ワインはかの〈暁の王〉、ヤンが好んで飲んでいたものだった。
「ふぅん、俺は高いものも安いやつも同じように感じるけど」
 酒を飲み始めてから、了の口は次第に滑らかになっていった。ちょっと興味を持ったふりをすれば、いくらでも自分のことを教えてくれる。
 一時間もしないうちに、瑪瑙は了が赤子の頃、戦禍に巻きこまれて本当の両親と左目と左腕を失ったこと、その後、機械技師に拾われて運よく生き延びたことを知った。ついでに現在の〈暁の王派〉についての情報を得られればと思い、さりげなく話をふってみたが、そこはさすがに結束の固いヤマトの末裔というべきか、乗ってくる様子はなかった。
 生き生きと自分語りをする了に対して、瑪瑙が教えてやった過去の経歴はほとんど嘘だ。
 だが、了は一かけらも疑いはしなかった。それどころか瑪瑙が、自分は地方の豪商の出で、親元から独立してアンティークの陶磁器などを専門に扱っていると言うと尊敬するような眼差しを向けてきた。
「俺は兵士として生きていくくらいしか思いつきもしなかった。大して年齢も変わらないのに、瑪瑙は俺よりずっと世の中を知ってて、すごいな」
 止せ。
「王宮にまで招かれるなんて、瑪瑙の店はよっぽど信用があるんだな」
 やめろ。なぜすぐに他人を信じる?
「俺も、こんな生まれじゃなきゃ、もっと違った生き方があったのかな……まあ、でも俺はたくさんの人と向かい合わなきゃならないなんて仕事は出来そうにないや」
 いい加減気づけ、こんなのは全部作り事だ――。
 少し考えれば分かるはずではないか。王室お抱えの商人が、わざわざこんな場所で寝起きするはずない。
 もし瑪瑙が豪商の息子だというのが本当だとしても、供もつけず一人きりで旅をするなど有り得ぬことだ。特に片腕の瑪瑙など、自衛も難しいのだから大金を持ち歩くことは不可能だ。
 目の前であぐらをかいて泡だらけのビールを傾けている青年は、写真で見るよりずっと子供っぽくて、暗殺しなくてはならないような悪人にはどうしても見えなかった。だが、話しているうちになぜか瑪瑙の心はささくれ立ってゆき、純情そのもののこいつを汚してやりたい、きつい言葉で罵って泣かせたいという欲求が肥大していった。
 どうしてだろう、了が明るく微笑むたびに苛立ちで胸底が焦げそうになる。
「……そうだ、さっき瑪瑙が持ってきたあの酒、試してみよう」
 悶々とする瑪瑙の胸中など知らずに、了が部屋の入り口近くの棚の上に置きっぱなしで、存在すら忘れていたボトルを取るために立ち上がった。
「あ、っと」
 見た目より酔いが回っていたようだ。了は足をもつれさせた。
「お前こそ大丈夫か? もう飲まない方がいい」
 瑪瑙はふらつく了の身体を支えてベッドへと運んでやった。
「そんなに飲んでないよ。まだ平気だ、放せって」
 アルコールで潤んだ黒と赤の瞳。桜色の頬。甘えるような、拗ねたような声色。
 たかが頬にキスをしただけで騒ぐ、初心さまでもが瑪瑙の神経を逆撫でる。めちゃくちゃにして、壊してしまいたい――瑪瑙は了の口唇に貪りつくようにくちづけた。
「ん、ん」
 相当な反抗を覚悟していたが、了は意外にあっさりと瑪瑙の舌を受け入れた。熱い口内で舌先同士が絡み合う。
「んく、ふ……」
 たっぷりと舌を絡ませてから口唇を離すと、透明な唾液が糸を引いた。
「なぜ抵抗しない? 初めてなんだろう? それとも初めてと言っていたのは嘘か?」
「嘘なんかじゃ、ない。でも……瑪瑙がしたいなら、いいかなって思っ……」
 ぎこちなく紡がれる言葉を封じるように、瑪瑙は再び了の口唇に舌を這わせた。パイル地の寝間着をたくし上げると、細身のくせに丹念に鍛えられて六つに割れた腹筋が現れる。瑪瑙は更に上に指先を伸ばして了の乳首を右の中指と親指で軽く摘んだ。
「あっ」
 了はベッドの上で僅かに身じろぎをした。小さな乳首がツンと尖って、爪先を軽く擦り合わせると芯が出来ていく。寝間着の下が膨らみかけているが、あえて瑪瑙はそこには触れてやらずに、胸の尖りを弄び続けた。
「ん、ん……」
 瑪瑙は了と同じようにベッドに腰を落として寝転ぶと、後ろから了の身体を抱き寄せた。
 首すじに舌を這わす。耳たぶを甘噛みした時、了は自分の右の人差し指を咬んだ。声が漏れてしまうのが恥ずかしいのだろう。だが、同時にその行動は愛撫を拒む仕草にも見えるため、瑪瑙は意地悪く了の耳元で囁く。
「やはり嫌なんだろう? もうやめてしまおうか」
「ちがっ、ん、んんっ」
「では指を咬むのはやめろ、痕がつく。喘ぎたいなら喘いだらいい。可愛く声を張り上げて俺に聞かせてくれないか? ここには誰も来ないし、どんな大声を出したって誰にも届きやしないのだから」
「あっ、あぁっ」
 寝間着の下と下着を一緒にやや乱暴に引き下ろす。了の雄はまだ完全に勃ちあがっていなかった。
 夜は長いのだし、焦る必要はない――瑪瑙は一旦手を休めると密着していた身体を離し、寝間着のポケットに隠し持っていた小瓶を取り出し、潤滑油を人差し指にたっぷりとまぶした。
「ん、冷た……何、瑪瑙……?」
 ジャンから譲り受けた、妖しい紫色の小瓶。潤滑油の中には少量の媚薬が入っているらしく、粘膜に擦りつけてやると〈その気〉がない相手でも性的な興奮を喚起させやすくなる。瑪瑙は〈仕事〉を滞りなくおこなうため、常にこれを携帯していた。
「男同士ではここを使うんだ」
 閉じた蕾に指をあてがうと、了は驚きに目を見張った。
「そんな場所、きたなっ、ふ……っ!」
 浅く指を挿れると、了は身体をしならせて快楽の深い吐息を漏らした。
「でも、いいのだろう? ここを弄ったらすぐに前が持ち上がってきたぞ。気持ちいいのだろう?」
「そんな、あ、指……っ」
 浅瀬を指の腹でゆっくりとかき回すと、了の吐息が徐々に荒くなっていく。欲望の昂ぶりから蜜があふれ、双珠を手のひらで転がすと、竿から伝い落ちた淫汁で瑪瑙の手はしとどに濡れた。
「はしたない兵士だな、こんなにあふれさせて。もっと奥まで触れて欲しいか?」
「欲しい、なんて」
 言葉とは裏腹に、蕾は期待するように柔らかくほぐれ始め、瑪瑙の指をしっとりと包みこんでいる。二度ばかり奥をつついてやると、了は大きな嬌声をあげた。
(壊してしまいたい)
 瑪瑙の胸を狂おしく焦がす、漆黒の炎。なぜ彼が己をここまで駆り立て、突き動かすのか――その答えは、気づいてみればとても単純なものだった。
(――こいつは、私にそっくりだ)
 勿論、顔や身体つきは違う。性格などまるでコインの表と裏のようだ。
 人見知りはするが人懐こい了と、要領だけが良くて誰も信じられない瑪瑙。
 そうだ、一枚のコインだ。コインそのものは同じものなのに、見る角度によって姿を変えているだけ――ただそれだけなのだ。
 左腕がなく、戦争で両親を失い、それぞれ理由は違えども、他人と積極的に関わることが出来ずに、ひっそりと孤独な魂を抱えて生きている。与えられた僅かなものにすがり、失うことを恐れ、自分からは中々手を伸ばさないくせに勝手に信じ、勝手に裏切られ……そうしてきっと、独りで泣くのだ。
 瑪瑙の目蓋の裏にクルトの影がちらついて、去りし日の狂おしい想いが嵐のように胸に押し寄せる。
(――忌々しい)
 瑪瑙は内心、強く歯軋りをした。
 思い出したくなかった。どうして今、過去の己が現れるのだ。十四年という歳月を経て再びクルトの前に立ち、命を絶たんとするこの時――。
「……瑪瑙?」
 愛撫が急に止まったのを切なく思ったのか、了が身体をひねって瑪瑙の瞳を覗きこんだ。
 赤い義手でおずおずと瑪瑙の頬に触れる。作り物とは思えぬ義手の、ひんやりとした皮の感触は思ったよりずっと気持ちよく、心が落ち着くようだった。
 もっとして欲しい。了はそう言いたそうに口を開く。
 瑪瑙は薄く笑うと、張り詰めた茎を掴み、親指で円を描くように尖端を弄ぶ。すると、了は瑪瑙の身体を義手でまさぐり始め、寝間着の上から雄芯を探り当てて言った。
「俺ばっかりじゃ、いやだ……」
 驚いたことに、瑪瑙の雄はいつの間にかすっかり熱を持ち、慣れない仕草で触れられただけで硬く反り返った。
「そんなに私が欲しいのなら、自分から跨って足を開いて見せろ」
 瑪瑙は冷たく言い放つ。経験のない了には、そのような男娼じみた真似は出来やしないだろうと高を括って。
 しかし、了はそんな瑪瑙の思惑を裏切り、震えながら腰を浮かせると、瑪瑙のものを秘所にあてがい、一息に腰を落とした。
「あ、ああぁっ」
「お前、何やってるんだ!? 無茶だ!」
 いくらほぐれはじめているからといって、まだ了の窄まりは雄を受け入れられるほどではない。瑪瑙のものを包みこむ肉壁は狭く硬く、苦しさがこちらにまで伝わってくるようだった。
「っく……ふっ」
 了は瑪瑙の上で悲鳴を噛み殺している。目に涙を浮かべて、それでも瑪瑙を受け入れようと必死に耐えていた。
「駄目だ! 少しだけ力を抜いてくれ、すぐ自由にしてやる」
「あ、あっ……嫌だ、だって……瑪瑙、苦しそうだ、から」
「苦しいのはお前の方だろう」
「平気。少し、分かったかも……いきなりじゃなくて、ゆっくり、こうしていると、俺の中で瑪瑙が熱く、なって……」
 浅く息を継ぐのに合わせて、了の奥深いところが淫らにうごめく。
 きつく締まっていた肉壁が徐々に柔らかくなり、瑪瑙の雄をねっとりと迎えた。もしかすると、事前に塗しておいた媚薬が効いてきたのかもしれない。瑪瑙は下から了の腰を掴み、内壁をそっとかき回した。
「あ、あぁ、んっ」
 吐息の質が変化してゆく。瑪瑙が軽く突き上げると、了の締まった身体がしなやかにのけ反り、窄まりの奥が狭まって瑪瑙のものをきつく吸い上げた。
「……痛く、ないか?」
「気持ちいい、よっ……あっ、瑪瑙の、また大きく……んっ」
 熱く蕩けた了の体内おくで、瑪瑙の欲望が爆ぜた。
「ああぁ、あ――――ッ!!」
 それに合わせるように、了の猛った雄から青い精が迸り、瑪瑙の白い寝間着に降りそそいだ。腰を震わせて全ての精を吐き終えると、了は自らを支える力を失い、崩れ落ちた。


 □□□

 目を覚ますと、部屋の中には自分しかいなかった。
 窓の外から小鳥のさえずりが聞こえる。飲んで床に転がしておいた酒瓶やつまみの皿は、跡形もなく片付いている。瑪瑙が後始末をしてくれたのだろう。
(――昨日の夜、俺は……)
 ベッドの中で身じろぎをすると裸のままで、了は頬を赤く染めた。身体はきちんと拭き清められていて、身体の上に薄い毛布が掛けられている。
 よく知りもしない相手に身体を預けてしまうなんて、自分は絶対にしないと思っていた。アルコールが背中を押したのは事実だが、全てを酒のせいにするつもりはない。あの時、確かに自分は瑪瑙を誘った。そう、自分から誘ったのだ。
 瑪瑙は経験のない自分を気遣ったのか、途中でやめようとしていた。やめられるのは、どうしても嫌だった。やめられるくらいなら痛い方がいいと思った。だから――。
 何故だろう?
 している最中もずっと考えていたが、理由が分からない。何故、あんなに強く『繋がりたい』と思ったのだろう。そもそも男同士で繋がるなんて、おかしなことなのに。
 瑪瑙の苦しげな顔が目の裏に浮かぶ。彼はどうして自分を見て、あんな目をするのだろう? これから彼に対して、どんな顔で接したらいいのだろう――考えれば考えるほど、思考がめちゃくちゃになっていくようで腹が立った。
「くそっ」
 了は苛立ちまぎれにドアを開け、ひっそりした廊下を歩いてバスルームまでゆき、熱いシャワーを浴びた。身体を拭き終えると、いつもの黒い兵士服を身に着ける。最後にドッグタグを首から下げると、僅かだが気が引き締まった。
 早足で人気のないリビングを横切る。瑪瑙はまだ寝室にいるようだ。今の自分はきっとみじめな顔をしているに違いないから、顔を合わせなくて済むのはありがたかった。
 勝手口から外へ出る。早朝の太陽の柔らかい光を受けて、木立の間から見える湖が眩しく輝いていた。澄んだ空気で肺を満たすと、やっと頭の上に漂っていた灰色のもやが晴れたような気がした。
「ふう……」
 大きく伸びをしてから宿舎の中へ引き返そうとした時、小道の向こうから足音が駆けてくるのが分かった。
 使用人のものではない。彼らは仕事をする時、あまり音を立てない。それに、この乱暴な足音には聞き覚えがある。了は姿勢を正してクルト王の側近の部下を待った。
「了・バイルシュミット!」
「はい。あなたは……」
「ラウだ。つい先ほど、クローネ市街にあるホテルが爆破された。先日、ハーライト駅を襲った者と同じ手口だ。反乱分子どもは爆破と同時に方々に散らばり、街に常駐する兵士らでは鎮圧しきれん。豚のように無能なのだ。いや、豚なら焼いて食えるし皮を剥ぐことも出来るが、無能な兵士など路傍の石ころより価値がない。それにしても重い剣だ……お前の武器で間違いないな?」
「はい」
 ラウは了へ刀を放り投げた。昨日、城内へ入る時に没収されたサーベルだ。柄にR・Bというイニシャルが刻まれている。兵士となった日に部隊長から貰ったものだ。
「犯人は全員ヤマト人だ。お前が本当にやつらとは違うというのなら、見つけ次第斬り殺せ、いいな!」
 ラウは険しい口調で檄をとばすと、「さっさと来い」と怒鳴って、今来た道を引き返していった。了は帯刀すると急いでその後を追った。


 了が前に所属していた小隊では奪い合いだった蒸気バイクドーリーは、ラウが一声かけるとすぐに新しいものが用意された。
 了は整備の行き届いた蒸気バイクに跨り、装甲車の後ろをついていく。
 街のあちこちから黒い煙が昇っていた。
〈反乱分子〉が抵抗した跡だろう。空気の中に火薬のいがらっぽいにおいが混じっていて、鼻についた。ラウは装甲車から降り、破壊されたホテルの前に立って声を張り上げる。
「くそ、好き勝手にクルト陛下の街を壊しやがって! これだから、ヤマトの末裔ってやつは……消防隊を出動させろ! それから、国道の封鎖状況は!?」
「主要通路は完了しておりますッ! しかし、それ以外はまだ……」
 了と同じ兵士服の男が、上擦った声で答えた。
「トロトロしてると逃げられて終わりだぞ。逃げ足だけは早いやつらだ。急げ!」
 ラウはてきぱきと兵士たちに指示を出していく。了はそんな彼らから一歩身を引いて、苦い気持ちを抱えて辺りを見回していた。
「あの兵士……ヤマトの人間じゃないか……?」
「確か、前に春の祭典で勝ち上がった小僧だよ。見なよあの義手、気味の悪い……」
「何だってあんなのが兵士なんだ、テロリストと国軍は通じているのか?」
 了の姿を見て、遠巻きに現場を眺めるクローネ市民が小声で囁き合っている。爆発で出入り口が吹き飛んだホテルは、城からすぐの第一居住ブロックにあった。
 たまたま宿泊客の数が少なかったため、爆破されたとはいっても死者はなかった。だが、従業員の何名かは重傷を負い、病院に担ぎこまれたらしい。何人か残ったホテルマンたちは了の黒髪を見ると怯えたように後ずさった。
 一通り指示を出し終えたラウは、残った兵士から事件前後の様子などを聴取している。了は従業員たちから突き刺さされる視線が痛くて、ホテルを検分するふりをしながら裏口へ回った。裏口にも爆発物が仕掛けられたらしく、ガラスが裏通りに飛散している。やりきれない思いでそれを眺めていると、低く抑えた声で呼びかけられた。
「おい、あんた。あんただ。にいちゃん」
「え?」
 了は声のした方を振り返る。色あせた作業着姿の痩せた老人が、通りの向かい側からこちらへ足を引きずりながら歩いてきた。だいぶ銀色へ変わっているが、黒い髪の持ち主だ。自分と同じヤマトの末裔。
「もうここのドンパチは終わったよ、さっさと逃げな。いつまでもこんなところでうろうろしていたら、国軍のやつらにとっ捕まっちまう」
 老人の目玉は中心部分が白く澱んでいる。コーヒーの中に急にミルクを落として、かき混ぜる前に凝ってしまったような不気味な色だ。目の病気だろうか?
 兵士服を着ている了に声をかけてきたということは、目はあまり見えていないのかもしれない。きっと了の黒い髪だけを見て、仲間と勘違いしているのだ。
「……俺は、いいよ。じいさんこそ早く逃げろ。すぐそこに国軍の兵士がいるんだから」
 了が急かすと、老人はどこか得意げに言った。
「わしは仕上げをせにゃならん」
「仕上げ……? あ、おい、待てよ、爺さん!」
 老人は了の制止を聞かず、ひょこひょこと表通りへ歩いていった。そちらにはラウたちがいる。見つかったら問答無用で処刑されるだろう。了の顔から血の気が失せる。
「やめろ、爺さん! そっちに行ったら殺される!」
 しかし老人はふり返らず、その代わりに大声を出した。
「――我らを貶める夜の人間たちよ!」
「何だ、あのジジイは?」
「ヤマト人だ! 犯人の一味じゃないか?」
「すぐに捕らえるのは危険だな。爆発物を持っているかもしれない」
 周囲に散らばっていた兵士たちが老人を取り囲んだ。事情聴取を受けていたホテルの従業員たちが解放され、身を寄せ合う。野次馬たちのざわめきが高くなる。
「以前より、我らヤマトの人民は不当に虐げられ、否定されてきた。我らに職はなく、人権はなく、家畜同然の生活を強いられている。我らヤマトの民が地上を汚染したという、遥か太古の風説のために!」
「……またそれか。毎度毎度、ヤマトの連中ってやつは進歩がないことだ」
 ラウは片頬を歪めて嘲笑する。老人が何かの装置を高々と誇示してみせる。爆弾の起爆装置だ。ぱっと見ただけでは爆弾を持っているようには見えないが、ある種の爆弾なら自由に形を変えられる。きっと作業着の内に隠し持っているのだろう。
「なあ、アレ、やばいんじゃないか?」
「爆弾だ!」
「逃げろ、逃げろおぉっ!」
 起爆装置が見えると群衆はますますざわめき、野次馬たちは蜘蛛の子を散らすように離れてゆく。
「どうして、自爆なんて……」
 了は群集に流されながら、ようやく老人や上官たちのもとまでたどり着いた。
「我々は十三日前にハーライト駅を爆破した。我々の仲間がこれまで七度に渡り、クルトとの面会を望んだが全て排除されてきた、何故か!?」
「了・バイルシュミット! あいつを駆除しろ!」
「駆除って、でも……っ」
 了はサーベルを抜いたものの、いざ老人に斬りかかるとなると腰がひけてしまう。どこに爆発物があるか分からない。装置を持っている手を切り落としたとしても、あれが本物の起爆装置なのかどうかは怪しい。老人が持っているのはダミーで、遠方で本物の起爆装置を持つ仲間が様子を見ているのかもしれないし、時限式かもしれない。
 しかし、そんなことをラウが聞き入れるわけがない。ラウは動こうとしない了を見て、一層まなじりを吊り上げた。
「そんなもの、貴様が判断することではないだろう? 貴様が仕えているのは何だ!? 護らなくてはならないお方は、誰だ!!」
「……っ」
 ラウの怒声を浴びていると、了の手の中でサーベルが重みを増した。
 そうだ、分かっている。自分はただ、人を斬るのが怖いだけだと。この手が血で汚れるのが恐ろしいだけだと。自分は兵士といっても、街の見回りや物資の運搬などといった簡単な任務しか与えられてこなかった。
「さっさとやれ! あいつがどのくらい爆発物を持っているか分からん、下手したら城まで吹っ飛ぶぞ、殺せ、殺せえっ!!」
 嫌だ、人を殺すなんて嫌だ。でも――。
 自分は兵士なのだ。兵士は国家の飼い犬。命令とあれば、標的の命を奪うことに躊躇いを持つことなど許されない。
「クルトは病に冒され、立つことも出来ないと聞く! そんな形だけの支配者が、一国を指揮することなど出来ようか!?」
 今ここで、この老人を殺さなくては、無邪気なユリウスが、可憐なフレデリカが、あの美しくて意地悪な瑪瑙が……みんなみんな死んでしまう――。
「ア……アアァアァ――!」
 心臓がもの凄い速さで荒れ狂っている。身体中の血管が煮え立っているような気がした。了の頭から色々な想いが沸騰し、蒸発して消えていく。
「君は……」
 老人が了を見て、双眸と口を大きく開いた。老人は何かを言いかけるが、了の耳にはもう誰の声も届かなかった。老人がスイッチを押すより、人殺しのための〈武器〉と化した了の出鱈目な動きの方が勝っていた。
 サーベルの先が拳ごと起爆装置を切り落とす。ひゅん、と了は剣すじを変化させ、撫でるように水平に舞わせる。老人の首は驚愕と怒りに歪んだ表情のまま、呆気なく足元へと転がり落ちた。
「よし! 爆発物処理班をこちらへ! 他の者は残存する反乱分子を見つけ次第始末しろ!」
 生を喪い、濁った虚ろな眼にはくすんだ空が写っている。せめてあの老人が最期に見たものが晴々とした青空ならよかったのに。
「あっ……く、ああぁっ!!」
 急に聴覚が自分のものに戻った。群集の悲鳴や揶揄、歓喜などの様々な叫びが渦を巻いている。身体が重い。足が縺れてふらつき、しゃがみこんでしまいそうになる。
「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……っ」
 了は血糊が着いたサーベルを地に叩きつけ、血と火薬のにおいの中、絶叫した。


 速やかに上官の命令を遂行せず、大勢の市民と国王陛下とその一族を危険に晒したとして、了の身は拘束された。懲罰房に入れられ、その後もしばらくは宿舎の中から出てこないよう厳命された。
『無能な兵士など石ころよりも価値がない』、ラウの言葉はきっと正しいのだろう。今の自分はまともに考える力さえ持たない無能者だ。背に鞭を受けても、懲罰房の牢に入っていろと言われ、檻の中へ突き飛ばされても、それは仕方のないことだと思った。
 あれから何時間経ったのだろう。まだ手の中に、テロリストの命を奪った嫌な感覚が残っている。
 鋭い刃が枯れ木のような皮膚にめりこんだ時の感触。赤い肉を刀身でかきわけ、骨を断った時の呆気ない手ごたえ。噴水のように飛び出る赤い血――。
「……嫌だ……」
 懲罰房の牢は小さなものだが、今は了しか収容されていないため、中はしんと静まり返っている。音が密閉されてくぐもっているせいだろう。自分の息づかいと、時折漏れるみじめな呻き声が自分のものでなく、見知らぬ他人のもののように聞こえた。
 どのくらいそうしていたか――。
 ふと了が浅いまどろみから覚めると、懲罰房の分厚い扉がゆっくりと開かれるところだった。
 外から射す光が眩しくて、何度も瞬きを繰り返す。オレンジに変わりそうな太陽の、金の光。誰が入ってきたのか、姿をはっきりと捉えることは出来なかった。だが、鉄格子ごしにこちらを眺めているのは瑪瑙だ――何故かそう思った。
「め、のう」
 了は冷たい床を這いずって、鉄格子の隙間から右手を伸ばした。こんなところに瑪瑙がいるはずがない。極限状態の脳が作り出した幻影かもしれない。それでも――。
「瑪瑙、瑪瑙……」
 触れたい。温もりにすがりたい。自分は瑪瑙を助けることが出来たのか? フレデリカは、ユリウスは無事なのか? 触れたい、せめて幻が消えてしまう前に。了は懸命に瑪瑙の手を掴もうとする。だが、了の手は拳のかたちを崩すことが出来なかった。了の手はサーベルの柄を握ったかたちのまま固まっているのだ。
 人の命を奪った手――いけない、こんな汚れた手で綺麗な瑪瑙に触れることは出来ない……。
 了が手を引っこめようとした時、瑪瑙の大きな手が了の右手首を掴んだ。
「そんなにきつく指を握りしめていたら、爪が食いこんでしまう。痛くはないのか?」
 瑪瑙の声だ。甘みのある低音……。この声を聞くのはやけに久しぶりのように感じる。身体を合わせてから、顔を合わせることも恥ずかしいと思っていたのに、瑪瑙の声は干からびた了の胸に熱く染み渡った。
「痛く、ない。痛く……このくらい、俺は……あっ」
 瑪瑙の手のひらが震える了の拳を包みこむ。そして、硬く強張っている指が一本ずつ開かれていった。
「ほら、やはり爪の痕が出来ている。お前、ずっとそんなふうに独りでうずくまっていたのか? 三日間、何も飲まず、何も食わずに。召使いが困っていたぞ。あんな調子では、ここに閉じこめられている兵士さんは死んでしまうのではないかと」
「……食事? そう、だったんだ……分からなかった……本当に、三日も?」
 了の問いには答えずに、瑪瑙は黒いボトムから鈍い銀色をした鍵を取り出すと、牢を開けて了を自由にした。
「あたたかい、瑪瑙……。幻じゃ、なかったんだ……」
 瑪瑙は了の手を引いて、身体を起こさせる。
「立てるか? 粗野な軍人に言われて迎えに来たんだ。……鞭打ちなんて、原始的なことをするな。こんなものの何が懲罰だ、笑わせる。さあ了、早く帰って手当てをしよう」
「帰る? どこへ……?」
 ここに自分が閉じこめられて三日が経っていたらしい。その間、了はずっと座りこむか横になっていたため、立ち上がると猛烈な目眩と痛みに身体がふらついた。少しでも気を抜くと膝をついてしまいそうだ。
「しっかりしろ。もちろん、私たち二人の宿舎に帰るんだ。そら、抱えてやることは無理だが、肩を貸してやるから、ちゃんと掴まっていろ」
「瑪瑙……。俺、人を、殺した……」
「聞いている。私たちを護って、戦ってくれたのだろう?」
 了は小さく頷く。瑪瑙につかまりながら懲罰房を出ると、七十時間以上ぶりの太陽がとろりと赤く溶けるのが見えた。



☆第8回は5月20日(木)0時更新予定です。どうぞお楽しみに♪


by 玉置真珠 ¦ 00:02, Thursday, May 13, 2010 ¦ 固定リンク ¦ 携帯

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