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act4

 4 ―過去―

「……が、これほど無体な仕打ちをなさるとは……」
「まだ間に合う。きちんと処置をすれば元通りにつくかもしれないのに、このままにしておくんですか?」
「う……」
 仰向けに寝かされた状態で、カルマは辛うじて呻き声をあげる。目蓋がいやに重く、目を開けるだけのことが辛かった。
「あっ。VV2-SS09が……」
「おお、目を覚ましたか」
 誰かが横たわっている自分を覗きこんでいる。一人は知っている。研究所の所長、アーレンだ。もう一人、二十かそこいらの男はよく知らない。
 ピ、ピ、ピ……と、聞きなじんだ機械音が近くでする。実験体として暮らしていた頃、毒で死にかけた際によく耳にした、甲高く耳障りな雑音。
(……研究所……?)
 反射的に、カルマは身を震わせる。ここはどこだろう……。視界が朦朧としていて周囲の様子が分からない。また自分はあの陰鬱な地下へ舞い戻ってしまったのだろうか?
 嫌だ。まだ何もしていない。何も――何か、苦しいことがあったような気がする。同時に、甘酸っぱいような思いもある。幸せな夢をみた後のような不思議な気持ち。嫌だ嫌だ、どうして思い出せないんだ。ああ、薬のせいか。薬のせいで思考がぼやけているんだ。
「――ああぁっ」
 左手で、右腕にいくつも突き刺さっている点滴のチューブを引き抜こうとする。しかし、カルマがどんなにもがいても左手はチューブに届かない。
「駄目だ! 暴れたら傷口が!」
 うるさいうるさい。お前なんか知らない、お前なんかに命令されるいわれはない。俺はまだ〈成すべきこと〉を成せていない。早く、早くしなくては。どうして左手が動かないんだ、また、あの忌々しいベルトで拘束されているのか?
「やめるんだVV2-SS09!」
 カルマは焦れたように右腕に刺さっている輸血用の点滴を噛み千切った。半分ほど残っている血液パックの中身が飛散し、室内が生臭い血のにおいで満ちる。所長のアーレンは真っ青になって、カルマの身体を取り押さえた。そして、青年に向かい必死で指示を出す。
「鎮静剤だ! 早く! 私の往診バッグの中に入っている!」
「はい!」
 青年はすぐに床にしゃがみこむと、アーレンのバッグの留め金を開け、毒々しい赤紫色の液体が詰まった注射器を取り出した。
「よし、それをこっちに!」
「……め、やめろ、薬、はっ」
 注射器が青年からアーレンの手に渡る。
「やめろって、言ってる、だろ……ッ」
 俺を必要だと言ってくれるひとがいるから、全てはあのお方のために。あのお方――。
(……あのお方って、誰だ?)
「ああぁっ……」
 アーレンは痙攣するカルマの首の後ろに注射針を刺し、薬剤を注入した。カルマはうわ言を呟きながら羽根布団の上に崩れ落ちる。柔らかなベッドのスプリングが僅かに軋み、華奢な身体を受け止めた。


 再び目を覚ますと、混乱と激情はすっかり去っていて、その代わりにカルマの胸の中には大きな虚無が穴を空けていた。
 カルマはベッドから苦労して起き上がると、一つ一つ自分の置かれている状況を確認していく。
 明かりはついていないが、辺りは暖かな陽の光に満ちている。誰の姿もない。アーレンたちの姿は幻のように消えている。眠っている間に少し寝汗をかいたらしく、淡い青色をしたシルクの寝間着が肌に貼りついていた。
 自分が抵抗した痕跡、派手にぶちまけた血液パックの赤色は綺麗に消されている。
 血の色は一度染みこんでしまうと中々取れないし、ましてやVV2-SS09用の血は猛毒だ。アーレンたちがカバーごと取り替えていったのだろう。
 てっきり研究所に移送されたとばかり思っていたが、ここは王宮のどこかのようだ。ただ、この部屋には見覚えがない。今まで与えられていたクルトの部屋とは違っている。
 白と金の装飾的な壁には絵画が何枚か掛かっていて、見たこともないような遠い場所や美しい花々を見ることが出来た。カルマはぼんやりと絵を眺めていたが、一枚の抽象的な絵にふと目を止めた。
 中央に一本の木が生えていて、方々にねじれた枝を伸ばしている。簡略化された記号的な木だ。金箔で描かれているそれは見ようによっては綺麗なのだろうけれど、まるくうねった金の枝はどこか禍々しくて恐ろしく、じっと眺めているとおそろしく気が塞いだ。
 気分が悪い――。
 カルマは軽い目眩と頭痛を覚えて眉間に手をやろうとする。しかし左手は動かず、その時になってやっと『自分の左腕は切り離された』ということを思い出した。
「クルトさま」
 そうだ、クルトの剣が肩にあたって、白薔薇の上に落ちて――自分の左腕はどうなったのだろう。まさか、あのままにしておくわけにはいかないだろう。クルトがアーレンたちを呼び寄せ、始末させたと考えるのが妥当な線だ。
「……っ」
 銀に近いブロンド、思慮深そうなグレイの瞳、少しだけ掠れた低い声――あんな目に遭ったというのに、クルトのことを思い出すと心が甘い切なさでいっぱいになった。
『〈成すべきこと〉が何かも、きちんと分かっておりますし』
 ――ああ、そうだ。自分には使命がある。
〈成すべきこと〉、クルトの兄であり、この国の統治者、ヤン・エーレンフェルスを暗殺すること。クルトと同じ顔を持った国王に上手く取り入って、しとねを共にし、徐々に毒を与えていく――そのために自分という兵器は創られ、毒を摂りながら生き延びてきたのだ。
「おお、目を覚ましたのか!」
「……あ……」
 つらつらと思いを巡らせていると、不意に扉が開かれ、赤いチュニックを纏った背の高い人物が部屋に入りこみ、カルマを見て感極まったように駆け寄った。カルマの頭を優しく抱き寄せ、「あのまま死んでしまうかと思った」と呟く。
 クルトさま、と縋りつきたい衝動を抑えこみ、カルマはヤンの腕の中で奥歯を噛みしめた。温かいヤンの腕――自分を心配してくれるこの声は、心に宿る愛しいひとの声と同じで、そっと髪に触れられるとどうしても我慢がきかず、涙がこぼれてしまった。
「痛むのか?」
「平気、です。お医者さまに処置をしていただきましたから……」
「可哀相に……。あれも酷いことをする。まさか私に差し出すからといって利き腕を落とすとは」
 いいえ、陛下。
「俺は……どのくらい、ここで眠っていたのでしょうか?」
「六日か七日ほどかな」
「そんなに……」
「何しろあの失血だろう、一時は生死の境を彷徨っていたのだよ」
 ヤンはカルマの右手を取り、愛しむごとく頬を寄せる。
「このように可憐で儚いものが、私の命を狙うなど……万に一つも無いというのに」
 いいえ、陛下。俺は――。
「陛下……」
 カルマが震える声で呼びかけると、ヤンは首を横にふってみせた。
「私の名は、ヤンだ。これから私の側仕えとなるお前に、特別に名を呼ぶことを許そう」
「はい、ヤンさま」
 言われたとおりに彼の名を口にする。すると、ヤンは満足そうに口元を綻ばせ、カルマの目蓋にキスをした。
「いい子だ。まだ身体が辛かろう……ここは私の部屋の一つで、一人でくつろぐために作らせた小さな離れだ。今後はお前のものとして自由に使っていい」
「もったいないです。俺なんか、小間使い用の部屋で十分――」
 言いかけてハッと口をつぐむ。同じだ。最初に連れられてきた日と、あの時、あのひとと交わした言葉と――。
「いいえ……。はい、ありがとうございます」
「それほど畏まらなくともよい。起き上がることが出来たのなら、後は早く快復するようしっかり栄養を摂って休むように」
 ヤンは花のように微笑むと、さらりと言い置いてベッドから離れようとする。カルマはそんな主の背を見て、一瞬躊躇ためらってから意を決した。
「待って。待って下さい、ヤンさま!」
「カルマ?」
 ヤンは驚いたようにふり返る。もう後戻りは出来ない――カルマは羽根布団をきつく握りしめ、息を落ち着かせてから搾り出すように言った。
「お願いです……。片腕を無くし、役に立たない俺を側仕えとして置いて下さり、部屋まで与えて下さったあなたにお礼をしたい……でも、俺は何も持っていなくて、だからせめて、この身体を捧げたいのです」
「礼をしたい――か。その気持ちだけで私はもう満足だ。それよりも、おとなしく横になっていなくては、いつまで経っても快復せぬぞ」
 ヤンは苦笑して、カルマの身体を支えるとベッドへ横たえさせた。
「違うんです。ヤンさま、俺は……」
 視界が淡く霞む。カルマは自分の頬に熱いものが伝うのが分かって、どうしてだろうと不思議に感じた。
「何故、そう泣くのだ」
「ヤンさま、俺、俺……血の繋がった親も友達も、いなくって、ずっと一人でっ、そんな中で、何の取り柄もない俺のこと、側仕えに召し抱えて下さったクルトさまだけが、救いで、でも……っ」
 一度言葉にしてしまうともう止められなかった。カルマはしゃくり上げながらヤンの胸の中で泣き続ける。
「もう……俺には誰も、いなくて……」
 引き止めたのは使命を果たすため、ヤンの気を引くため――ただそれだけのつもりだったのに、次々に漏れるのはカルマの本心だった。涙が流れる度に、暗く心に凝っていた、黒々とした塊のようなものが流れてゆく。
「ごめんなさい、こんなこと、言うつもり、なかったのに……どうしたんだろう、どうして、俺……」
 ヤンはカルマの髪を撫でる手を止め、嗚咽と共にこぼれ落ちる孤独な述懐を、塞いでしまうように優しく口唇を押し当てた。長く滑らかな指先でカルマの頬に触れ、涙を拭う。
「あ……」
 ヤンの口唇はそのままカルマの首すじへと落ち、ついばむようにくちづけをされた。寝間着のボタンが上から順に外されていく。自分から誘ったくせに、いざ肌を露にされていくと恥ずかしい。そういえば寝汗をかいたままで、起きてからシャワーも浴びていない――カルマは顔を赤らめた。
「ヤンさま、やっぱり俺、ちゃんと綺麗にしてから……、あっ」
 乳首を摘まれ、つい甘い声が漏れる。ヤンは首すじから胸元へ焦らすように舌先を遊ばせ、乳首をきつく咬んだ。
「あっ」
 痛いのに、ヤンに咬まれたところが痺れるように疼く。堪え性のない身体はもう熱を持ち始めている。ヤンの愛撫はとても手馴れていて、どのように男の身体を刺激すれば快楽を引き出せるのか、どうすれば吐息が蕩けるのか、何もかも全て心得ているようだった。
「愛らしいな……。あの時、庭園でお前を初めて目にした時から私の心は奪われていた。クルトの背に隠れるお前を見た時、クルトと手を繋ぐお前が私の前から去ろうとした時には、腹が立って気がおかしくなりそうだった」
 下穿きと下着がずり下げられ、カルマのだらしない雄が姿を現す。ヤンは自らも服を脱ぐとそこへ頭を埋め、勃ちあがりかけているカルマの雄を口に含んだ。
「えっ? そ、そんな、いけません……っ」
 雄芯の全てを咥えられ、カルマは両足を引き攣らせて喘いだ。だが、ヤンの口唇はおかまいなしにカルマのカリ首に吸いつき、裏すじを舐めあげ、双珠を転がした。
「んっ、ふあ、あぁっ」
「きつかったら言うのだぞ」
 そう言ってカルマの両足を高く持ち上げ、尻の下に羽根枕を重ねさせ、ヤンは要領よくカルマの身体を開く。枕で腰を上げさせられているせいで、敏感なところがみんな見えてしまっている。恥ずかしくて足を閉じたくてもヤンの顔がすぐ近くにあって出来なかった。
「ヤン、さま……? あっ」
 口唇が秘所に当てられる。ヤンも既に昂ぶっているのが熱い吐息で分かった。蕾の入り口を舌で突かれるとたまらない気分になり、カルマは艶やかな嬌声をあげた。ヤンの舌は味わうように蕾の中まで侵入し、粘着質な音をたてながら出入りする。
「あぁっ、何、それっ……?」
 カルマの屹立した尖端から透明な蜜があふれる。腰を高く、足を上に固定された体勢のため、あふれた蜜は腹の上にこぼれて糸を引いた。ほぐれてきた窄まりに指を入れられ、すぐに一番弱いところを見つけられる。
「うぅ、あっ」
 入り口を丹念に拡げられ、指の腹で奥壁を探られ、さざ波のように刺激されるとカルマの身体が大きくしなった。
「そ、それっ、駄目……っ、ああぁっ」
 止める間もなくカルマの竿が膨れ、白濁が爆ぜた。体勢のせいで己の精を顔に浴びてしまい、羞恥と苦い香りで息が詰まりそうになる。ヤンはそんなカルマの顔から濃い淫蜜を掬い取り、陶然と目を細めると指先を舐め、一度精を放ってもまだそそり立っている雄にしゃぶりつき、茎の中に残っていた蜜を一滴残らず飲み干した。
「カルマ、お前の蜜は摘みたてのベリーのように芳しく、口の中で溶けるようだ。素直でもの覚えのいい極上の身体だな……。硬く閉じていたここがもう誘うようにうごめいているぞ」
「んん、あ……でも、俺、はじめてで、うまく出来るかどうか分からないです」
 アーレンたちに覚えさせられ続けたのは手による快楽だけだ。自分の身体はまだ誰のものも受け入れたことがない。カルマが「はじめて」だと言うと、ヤンは嬉しそうに目を輝かせた。
「てっきりクルトあれのお手つきかと思ったのに、そうか……この敏感な果実はまだ男の味を知らぬか」
「あっ……」
 ヤンはカルマの蕾に反り返った欲望をあてがう。カルマのはしたない身体を弄んでいるうちに昂ぶったヤンの尖端から蜜が滲み、蕾の上でねっとりと擦りあわされると、湿った音が部屋に響いた。
「ひっ……い、あ、あ……」
 ヤンが中に這入ってくる。想像していたより痛みはなかった。事前にしっかりと愛撫されほぐれていたからだろう。腰の奥から痺れがやってきて、じんとした感覚が全身を支配していく。
「苦しいか?」
「は、い……、でも、ゆっくりなら」
「では、ゆっくり私のかたちを覚えてゆけ」
 ヤンはカルマの華奢な身体を正面から抱き締めると、濡れた瞳でじっとカルマの顔を覗きこむ。カルマの心臓は痛いほど早くなり、恍惚と錯覚で溺れそうになった。
(ああ、クルトさま……違う、これはヤンさまだ……)
 しばらく、カルマの窄まりはヤンの逞しい雄を拒んでいた。生まれて初めての圧迫感に戸惑い、どうしても身体が押し戻そうとするのだ。しかし、徐々にヤンの太さに馴染んでくると、身体を支配していた痺れが甘い快感へすり替わっていった。
「あ、っは、すご……い、中で、暴れてっ」
 カルマの目が蕩ける。身体の真ん中に深々と肉の杭を打ちこまれ、苦しいはずなのに気持ちよくておかしくなりそうだ。こちらを見据えているヤンのグレイの瞳には情欲の炎が宿っていて、その瞳の中にあのひとの影を見つけ、カルマの秘所がせつなくわななく。
「カルマ……可愛い、私の人形……」
「……もっと、もっと、名前を呼んで下さい」
 抱かれたいと思い続けていた。
 叶わないと知っていた。そんな気持ちさえ抱いてはならないと、こぼれそうな想いに蓋をしていた。
 けれど、夢にすら見た彼の瞳が今、自分だけを映して、上擦った声は自分の名前を何度も呼んで、逞しい雄芯は自分の中で猛り狂っている。髪の色や目の色が同じように、あのひとのものもきっと――こうして反り返って、肉を抉るのだろう。
「カルマ、カルマ。お前の熱く溶けた肉筒は、まるでこの世のものとは思えぬほど心地よい。いつまでもしていたいのに、気を抜くと絡めとられてしまいそうだ」
 分かっている。今こうして自分を抱き、腰を振っているのはあのひとではない。
 自分は〈成すべきこと〉のため――クルトの命令で、クルトと同じ顔を持ったヤンを殺すためにこうして肌を合わせているというのだと。
(でも俺はヤンさまをクルトさまの身代わりにして、どこへもいけない想いを吐き出している)
 なんて罪深いけだものだろう。孤独な落涙を受け止めてくれたヤン。その彼にいったいどのくらい毒が今沁みただろう。自分の毒はヤンを殺す。この温かい両腕から体温が失われ、二度と動かなくなる――水槽の中で死んでいった魚たちのように。
 なのにどうして自分には、殺すことに対して罪悪感のようなものが湧いてこないのだろう――。
 カルマの窄まりは貪欲に昂ぶりを呑みこんで、狂おしくうごめいた。
「受け止めよと……命じて、下さい。もっと酷くして、あぁっ」
 ヤンに腰を抱えられ揺さぶられると屹立した雄から蜜が流れてへその周りを汚した。足が痙攣を始めている。次の絶頂まで、もう間もないことが分かり、カルマは一層声を張り上げる。
「してっ、中に、中に下さいっ」
「ああ、いいぞ……。カルマ……カルマ!」
「あっ!?」
 ヤンの分身が一回り大きくなる。次の瞬間、どくん、どくんとカルマの体内なかが熱い飛沫で濡れた。マグマのような奔流が後から後から迸り、カルマの脳髄が沸騰した。
「ああっ、すごいのが、くるっ、あっ、あ――――っ!!」
 四肢が張り詰める。カルマはヤンの迸りを感じながらガクガクと身を震わせ、先ほどより大量の白濁を狂ったように放出した。


 それから毎夜のようにヤンはカルマの身体を求めるようになり、カルマも生まれて初めて味わった強烈な快楽を貪るように享受した。ヤンはすっかりカルマに夢中になって、美しい服や装飾品を下賜したり、様々な地方の特産品や珍しい植物などを贈ったり、挙句の果てには建設途中の新しい照明システムの起動スイッチとなる天使像の顔をカルマを模して創らせたりと周囲を呆れさせた。
 国王の愛妾となってから、クルトと言葉を交わすことはほとんどなく、王宮の中ですれ違ってもあまり目を合わせてはくれなかった。カルマはそれが苦しかったが、仕方がないことだと諦めるしかなかった。すれ違いざまにクルトの残した香りに胸を掻き毟られると、ヤンを誘惑して欲求を満たす――充足と渇きが一体となった奇妙な日々が続き、計ったようにふた月後、ヤンが高熱を出して倒れた。
 とうとう毒が全身に回ったのだ――。
 ヤンはその日、親交の厚い叔父方の屋敷へ身を寄せていて、公務で孤児院の慰問をしていたそうだ。表向きは側仕えといえただの妾、何の取り柄もないカルマはいつものように城に残り、帰りを待っていた。
 ヤンの元にはすぐに腕のいい医師団が遣わされ、総力をもって診察、治療にあたったが、いくら優秀な彼らが調べてもヤンの病の正体は分からず、昏倒して三時間後、ヤンはついぞ意識を取り戻さず、眠るように息を引き取ったという。
 国王崩御の報せを受け、弟王クルトはヤンが身を寄せていた王族の屋敷や孤児院、医師団さえも迅速に取り調べさせた。しかし、ヤンを死に至らしめた原因は掴めず、国王の不在に懸念を抱いた側近らのすすめに従い、戴冠式を行うことを表明した。
「〈成すべきこと〉……」
 カルマは黒いシャツに黒いボトムを身につけ、ヤンと共に過ごした部屋で一人、ヤンの赤いガウンを抱き締めて冷たい床に膝をついている。国王が死んだと聞かされてから二晩が経っていた。
 王宮の中は蜂の巣をつついたような騒ぎだ。王族や貴族などといった高い身分の人物らがクルトに面会を求めてひっきりなしに訪れる。その顔の中には、一つとしてヤンの死を悼んでいるものはなかった。彼らは、新王クルトに自らの存在を認めさせ、今より少しでもいい居場所を確保するのに腐心しているようだった。
 そんな彼らが薄汚い、恐ろしいもののように感じて、カルマは寝室の奥に閉じこもっている。
 ヤンを殺害したのは誰でもない自分なのに、ヤンの遺したものに囲まれて、どこの誰とも分からない神に祈りを捧げている――いや、カルマの心にある顔はただ一つだけだ。
 銀に近いブロンド、思慮深そうな灰色の瞳――しかし、寝つけずに一晩中こうして祈り続けていると、その姿がクルトなのかヤンなのか分からなくなってくる。カルマは深いため息をつくと時間をかけて立ち上がり、カーテンを開けて窓の外を眺めた。まだ明けきらぬ夜空には厳かに瞬く高い星が浮かんでいて、遠くでフクロウの鳴く声が聞こえた。
 ヤンの葬儀は公には一週間後に行われるらしい。
 だが、亡くなった次の日には内々で密葬が行われ、遺体は既に土に埋まっている。カルマが参列することは当然、許されなかった。死者にけじめをつけるということは思いのほか大切なことらしく、きちんと別れを言っていない分、自分はいつまでも気持ちの整理がつかないのだろう。

 こんな時間なら誰にも見つからずに、外へ出られるかもしれない。

 天啓のように、そんなことを思いついた。
 そうだ、使命は果たした。もう自分は自由になってもいいはずだ。片腕になってしまったから、働き口には苦労するだろうが、いつまでも死者と生者の間に挟まれているよりずっとマシだ。カルマは黒いシャツの上に黒いフードを被り、ヤンから最初に貰った綺麗な青い石のついた鏡を胸ポケットに隠し持った。
 人目を気にしながらドアを開ける。戻るつもりはなかったので、鍵はかけなかった。
 まっすぐ城門までの道を歩く。カルマが与えられた部屋から城門までは、それほど遠くなかった。カルマは愛妾として城に滞在するようになってから、いつか逃走する時のためにと城内の召使いや門番にいつ隙が出来るのか、誰が当番の時にどのようなミスが多いかを観察してきた。
「ジムおじさん、やっぱり眠ってる……」
 こんな時なのに高いびきをかいて寝ているお人よしの門番をやり過ごすと、足音を消すよう気をつけて一気に駆け抜けた。もう少しで自由になれる――まずは研究所に戻って、アーレンの仏頂面でも眺めて悪態の一つでもついてやろうか――そう思った時、後ろから何かが飛んできて耳を掠めていった。
「どこへ行く」
「……クルト、さま……。俺はもう、ここにいる必要がないと思って」
 何だろう、耳たぶの下が妙に熱い。右手で自分の耳に触れると、ぬるりと気味の悪い感触があった。
「どこへ行くと、聞いている」
 久しぶりに口をきいたクルトから、以前とは比較にならないほどの威圧感を覚える。
「カルマ?」
 彼に名を呼ばれると、軋むように胸が痛んだ。
「〈成すべきこと〉を果たしました……」
「そうだな。お前には本当に世話になった」
 多分、笑みを浮かべているのだろう。クルトの声が僅かに和らぐ。カツカツとブーツがこちらへ近づいてくる。いつものようにクルトは黒一色の衣裳を纏っていた。
「もうここには、いられません。だから一旦、研究所に戻って……落ち着いたら、どこか遠くへ旅に出るつもりです」
「…………研究所か。あれは廃棄した」
 月にかかった雲が晴れ、外灯をスポットライト代わりに背負い、クルトは手を伸ばせば届きそうな場所でカルマを見据え、凶悪な目つきで嗤っていた。
「え?」
「所長のアーレン以下、十二名の不穏分子を処分、研究所は施設ごと焼却処分」
「処分? 廃棄って……どういう、っあ!」
 クルトは上着の内ポケットから小さな銀色の棒を取り出し、嗤いながらカルマの足へ投げた。嫌な音をたててそれがカルマの足指と地を縫いつける。カルマは、よろけた拍子に地にもう一本銀の棒が刺さっているのに気がついた。
(何だ、これ……。ナイフ……?)
 足が痛い。
 耳たぶの下が痛い。
 クルトの視線が――痛い……。
「廃棄とは、不用なものを捨てることだ。そして、捨てられたものは廃棄物という。廃棄物を放置するのは害悪だ。この国の汚染が古代ヤマト人の廃棄物からなっているのは知っているだろう?」
「ひっ……」
 クルトは何でもないように腰にある刀を抜いた。そこに浮いている鉄錆に、カルマの背がそそけ立つ。
 あの刀で、アーレンを斬ったのだ。
 いや、きっとアーレンだけでなく、他の皆も、全員斬り殺して――。
「さらばだ、カルマ。いや、実験ナンバーVV2-SS09!」
「嘘だっ! 嘘だっ! 俺はあなたのために生まれて、あなたのために殺して、あなたのためなら、腕を落とされても我慢した! 全部、全部あなたのために……! 誰にも喋らない、愛して……欲しいなんて、大それたことも言わないのに……っ」
「愛するだと? 俺が、いやしい実験体を?」
「実験……、違うっ、違う! 俺はあなたに名前を貰った! 俺はカルマ、あの月と……同じ名だ!」
「それがどうした? 名があるから存在に意味があると? 愛されるに足ると言いたいのか? 笑わせるな、家畜にだって人は時に名をつけるものだ!」
「……! 俺は家畜なんかじゃ……っ、ああぁ――――っ!!」
 斬られた瞬間は、やはり、痛みを感じなかった。
 アーレンたちもそうだったらいい――。
 カルマは一太刀で宙に舞い、紅い花を散らした。
「クル、ト」
 確実に仕留めたと思ったのだろうか、それとも、もう見ることさえ汚らわしいとでもいうつもりだろうか? カルマが懸命に口を動かしても、クルトはもうふり返りもしなかった。時間がやけにゆっくりと動いてゆく。
「あ、あ……」
 クルトの姿がコマ送りのように見える。
 剣を一振り。血が落ちる。嗤っている。その剣を鞘へおさめる。嗤っている。無情に背を向ける。城の中へと消えてゆく――。

 ――本当に、これは……この目に見えている映像ものだろうか?
 
 血液を失った身体が冷えていく。長い坂道を転がり落ちながら、カルマは、さっさと死んでしまえばいいのにと胸に手をやり、愕然とした。
(護られた……? この、鏡に……)
 胸ポケットの中にはヤンから貰った美しい手鏡が入っていて、ちょうど心臓を護るようにそれが粉々になっていた。
 ドン、とカルマの身体が長い滑空から着地する。視覚や痛覚が急に戻り、激しい吐き気に見舞われた。夢じゃない、何もかも夢じゃないんだ――。
 握りしめた手から濃い青色をした石の欠片が落ちて、カルマはヤンと寝室で交わした甘い睦言を思い出し、その石の名を呟いた。
「瑪瑙……。あんなに綺麗だったのに、俺なんかを護って、こんなに粉々になっちゃって、馬鹿みたいだな……」
 カルマは自嘲気味に笑い、手足に力をこめた。
 まだ動く。生きている。それなら、俺は生きなくてはいけない。早く手当てをしてこの街から出て行こう――夜が明けてしまう、その前に。


☆第6回は5月7日(金)0時更新予定です。どうぞお楽しみに♪
(一日ずれますのでお間違いなく……。)


by 玉置真珠 ¦ 00:00, Thursday, Apr 29, 2010 ¦ 固定リンク ¦ コメント(1) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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■コメント

こうして主人公の一人は生き残り

後に繋がるのですね。

目が離せなくなってきました(笑)


名前: エシディシさん ¦ 09:44, Friday, Apr 30, 2010 ×



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