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act3

 3 ―現在―

「こん……の、大馬鹿も――――ん!!」
 了が恐る恐る研究室に入室すると、何やら複雑そうな機械をいじっていた男が、くるりと振り返り、向こう三軒両隣までとどろきわたる怒号を浴びせかけてきた。
「あれほどメンテナンスの日を忘れるなと釘を刺したのに、三日も過ぎてから現れるとはどういう了見だ!? お前にくっつけてる義手は特別製だから、週にいっぺんは見せろと言ってるだろう!」
 男の名は、ネイ・バイルシュミット。
 ネイは了の養父――とはいえ、二ヶ月前に三十八回目の誕生日を迎えたばかり。
 茶色がかった金髪に、水色がかったグレイの瞳。カーキ色の作業つなぎの上に白衣をひっかけて、肘のあたりまで腕をまくっている。つなぎの上に白衣という珍妙な格好は、機能性と動きやすさを追求した結果だそうだ。
「ふん、これだから兵士なんぞ信用できんのだ! 技師の言うことなどろくろく聞きもしないのだからな! お前は俺の子供なのだから、いくら兵士になったってその辺は心得ていると、信頼しておったのに!!」
 ここまで来る道すがら、一応、はらをくくってきたつもりだったが、実際に怒鳴られると縮み上がりそうになった。
「わ、悪かったって。だから反省して、ネイの好きな混成酒を一本、買って……ほら、あんまり怒鳴ると血管が切れるよ。そうだ、この酒を買った時に凄い美形とぶつかったんだ、俺もあんなブロンドだったらよかったのに――」
やかましい!」
 ネイは「言い訳など聞く気はない」と、ビッと親指を立てて背後を指した。
「すぐに診察台に横になれ! お前がさぼったせいで、メンテナンス時間が長くかかりそうだ。寝ろ!」
「寝ろったって、別に眠くないし……。え、おい、まさかあのおかしな注射を打つ気じゃないだろうな……」
 ごちゃごちゃと物が散乱した部屋の中、唯一整然と整えられている診察台に寝そべりネイを見上げると、だからどうした? と軽くあしらわれる。
「待て、待ってくれ、ネイ! あれは勘弁してくれ、悪かったよ、もうメンテの日を忘れたりしない、か、ら……」
「だから、言い訳など聞かないと言っているだろう。さっさと眠ってしまえ!」
 ちくん。
 首筋に針の感覚。
「あー! くそったれの、マッドサイエンティスト……っ」

 ――暗転ブラックアウト

 バチ、バチ……と、目蓋の裏で火花が散っている。
「んん……」
 試しに指先に力をこめてみた。
 開く。
 閉じる。
 ――動く。
「あー」
 のろのろと起き上がると、手を拭きながらネイがそばに寄ってきた。
「どうだ、調子は?」
「……最悪……」
「そうか。つい今しがたメンテナンスが終わったところだ。これに懲りたら、もう二度とさぼるんじゃないぞ」
 ネイはポイとタオルを洗濯籠へ放りこんで、了が買ってきた酒瓶を手に取り、しげしげとラベルを眺め、感心したように唸った。
「アマレットじゃないか。ほう、お前にしてはいいものを持って来たなぁ。前のメンテナンス代はこいつで許してやろう」
「前の? 冗談だろ、ちゃんと前の分は払ったじゃないか。これは今日の分だ」
 ネイは薄く笑って、琥珀色の液体をビーカーに注ぐ。
「飲むか? アーモンドの味がする。中々美味いぞ」
「要らない。実験用のビーカーでものを飲むなよ、気持ち悪いなあ」
 了はこめかみを押さえて立ち上がろうとした。注射のせいだろう、まだ意識がシャッキリしていなくて、足がもつれてうまく歩けそうにない。仕方ないので診察台に再び座り直して、ふうとため息をついた。
「……ネイ。今、何時?」
「じきに鶏が鳴くかな」
「そんなに……長いこと、眠ってたのか……。今日は朝から城に行かなくちゃいけないから、さっさと準備しなくっちゃ……」
「城……? お前は街の巡回と、夜のベルの担当だろう。城に行くなんて、国に何か不穏な動きでもあるのか?」
「ま、戦争になったらネイの工房は儲かるもんな。いや、そういうわけじゃなくて、よく分からないけど貴族だか、元貴族の子供の護衛。いつもだったら俺みたいな下っ端に回ってくる任務じゃないけど、たまたま空きが出来たとか……。もうすぐ春の祭典だろ、お偉いさん達は皆、忙しいんだろ……ああ、喋ってたらやっと具合がよくなってきた」
「春の祭典……クルト王の誕生日か」
 国王の名を口にする時、ネイの目つきは決まって険しくなる。夜の国が現在の形になるまで、周辺諸国と戦争を繰り返していたから、その時代を知る者たちはどうしても国王に対して何かしら、含むところがあるようだ。
「国王が病で倒れて三年経つが、回復しているとは聞かんな。義肢のメンテナンスに来るやつらはよく『クルト王は実はもう死んでいて、王宮のやつらがそれを隠しているんだ』と話しているが……」
「ああ、病の元になったのは毒林檎を食べたせい。三年前の内戦で死んだっていうのもあったな。でも、国王自ら前線に出るわけないし、金の林檎なんか食うはずもないじゃないか。任務の合間に隊員同士で毎日新しい怪談を作ってるぜ。その手の話は耳タコさ。最新のやつは、甲冑に大剣を携えて、夜な夜な王宮の周りで獲物を探してるってやつだ」
 了は国王の顔を知らない。勿論、兵舎の壁に立派な肖像画が掛かっているから、金髪にグレーの瞳の若きクルト陛下の姿は知っている。しかし、実際に動いて、祭などの公の場に姿を現した、という記憶がない。
 記憶――。
 了の記憶は、何故か虫食いだらけだ。
 例えば、子供の頃のこと……差別を受けて苦しい思いをした、といったような漠然としたものならあるけれど、幼い自分がどんな遊びをしていたのかとか、ネイとどこかへ行ったとか、そういった細かな記憶が欠落している。
 無ければ無いで、そう困るものでもないが――任務の後、宿舎で寄り集まった時に酒の肴となるのはたいてい女の話か賭けの話、それから昔語りと相場が決まっているので、語るべき自分のない了は、いささか輪に入りにくかった。
「また、春が来るんだな……了、二年前の大会ではよく頑張った」
 急に言われ、了は驚いて目を見開いた。
「まさか、あれがきっかけでお前が兵士になるとは思わなかったが……。元気でやっているなら、よかった。どうした? 鳩が豆鉄砲食らったような顔をして」
 了は「いや」と首を振り、義手に赤いアームカバーを嵌めていく。怒鳴られるのには慣れているのだが、褒められることや心配されるのは少しくすぐったかった。
「なあ、ネイ。明日はひょうが降るから気をつけた方がいいよ」
「何だと? この陽気だ、そんなわけないだろう」
「あるよ。雷オヤジが珍しいこと言うから、空がびっくりするんだ」


「くれぐれも失礼のないよう、丁寧な言葉でお相手をするように」
 何度この言葉を繰り返されただろう。耳にタコが出来ている。しかし、上官の命令を無視するわけにはいかず、了は「はい」と従順に頷いた。
 小鳥のさえずりが心地いい。城の周辺は汚染がきれいに抜かれていて、まるで別の世界にいるようだった。城門の脇に小屋があり、そこで、これから中に入る了が危険物を所持していないかボディチェックを受けると、いよいよ城内に案内される。
 思ったより城内には人の姿がない。黒と白の優雅なエプロンドレスの女性とすれ違ったため深々と頭を下げると、あれはメイドだと呆れられた。
 二人で廊下を歩いていくと、かつん、かつんと靴の音が響く。しばらく進んでいくと、上官は「そこの部屋で待っていろ」とぞんざいに言い置いて、自分は別の任務があると去ってしまった。
「えっと……ここに入れ、って?」
 見知らぬ場所でいきなり一人にされて、了はおっかなびっくり重い扉を開く。
「……失礼します……。うわ……」
 中にはまだ誰の姿もないようだ。了は拍子抜けすると同時に少しだけ安心し、きょろきょろと室内を見回した。
 天井から大きなシャンデリアがぶら下がっている。壁には一本の蒸気パイプも見当たらない。代わりに落ち着いたアイボリーの壁紙がきっちりと貼られていて、赤と金をベースにした複雑な模様の絨毯が敷かれている。大きな窓にはレースのカーテン。陽光を十分に取り入れられるよう、うす緑の優しい色合いをした遮光カーテンは横にふんわりと寄せられている。座ったらさぞ心地良さそうなソファーセットに、白木のローテーブル。目に入る何もかもが眩しかった。
「凄い……。城の中って、こんなふうになってたんだ。でも、毎日こんなじゃ、息が詰まりそうだな」
 ため息混じりに呟くと、くすくす……と、窓の方から笑い声が聞こえ、ふらっと人影が現れた。
「そんなこと、ないよ? ここはとてもおもしろい」
「――っ!?」
 何だ、こいつは……?
 了の背が一瞬、ざわりと粟立った。けれど、目の前にいる青年の無垢な笑みを見ていると、だんだんと警戒心が解けていった。
 銀色に近いサラサラの金髪は前髪を長く伸ばし、真ん中のひと房だけを前に垂らしている。後ろ髪は肩につくかつかないかといったところ。グレイの透きとおった大きな瞳。これで動かなければ人形のようだ。仕立てのいい大仰なフリルつきのシャツに、おろしたてのようなキュロットを履いている。上から下までしみひとつない真っ白な服――。
「あははははっ。ねえねえ、びっくりした? ぼくね、今朝ハンナの目をくらませて、カーテンの中に入って、ずーっと、ずーっとここにいたんだ。ぼく、ちゃんと隠れてたでしょう? ちゃんと、そっちからは見えなかったよね?」
「びっくり、した……」
「やった! ねえねえ、遊ぼうよ」
「えぇ?」
 子供みたいだ――。
 けれど、目の前の青年は自分と同じくらいか、少し上くらいの年に見える。
(どういうことだ?)
 わけが分からない。少なくとも、今まで了の周りにこんなふうに話す大人はいなかった。
(考えていたって、仕方がないか……)
 了は気持ちを切り替えることにした。彼は子供なのだ――身体だけが成長したが、心は幼いまま……もしかしたらそういう病気があるのかもしれない。
 気をつけて観察してみると、無遠慮にこちらをのぞきこんでくる目の焦点も、どこかぶれているように思えた。
「うわあ! きみの髪、とっても綺麗だね。ぼく、黒い髪を見たの、初めてだよ! ねえねえ、触ってもいい?」
「え? いや、その」
 咄嗟のことで、どう答えたらいいか分からなかった。自分自身でさえ疎ましく感じるこの髪に触れてみたいなどと言い出すものがいるとは――。
「ええと……」
 呼びかけるにしたって、そもそも名前を知らない。失礼にならないように――と釘を刺されていたが、相手が子供ではどうしようもない。了は思いきって口を開いた。
「ちょっと待って。俺は、了・バイルシュミット。君の名前は?」
「リョウ? ふうん。ぼく、ユリウス。……ねえ、かくれんぼはもう終わったから、他にもおもしろいこと、しよう?」
「ユリウス君っていうんだ。はじめまして。上手に隠れたね、全然分からなくって、すごくびっくりしたよ。ごめんね、今はここを動けないんだ。その代わり、ほら」
 了はポケットから棒状のキャンディーを何本か取り出して、ユリウスの手にそっと握らせた。
 子供の護衛だと聞いていたため、昨日、ネイにやる酒を調達するかたわら、市場で買っておいたものだ。スティックシュガーを乾燥させて固め、バニラなどの香料で風味を足したもので、街の子供が好んで齧っている安価な駄菓子である。
「……? これ、なあに?」
「包みを破ってごらん。そう、こうやって齧るんだ」
 一応、毒が入っていないことを示すように――了はユリウスの手の中から適当に一本拝借し、カリカリと食べてみせた。
「わあ……! このまま、食べるんだ? すごい、すごい! ……あまーい!」
 すると、ユリウスは目を輝かせて棒菓子を口に含んだ。
 カリ、カリ、と、ひと口齧るごとに「甘い」とか、「おもしろい」と歓声をあげる。そんなユリウスをしばらく見守っていると、コン、コン、コン……と、控えめに扉が叩かれた。
「あ、きっとフレデリカだよ!」
「え?」
 ユリウスは棒菓子を咥えたまま、バンと勢い良く扉を開け放った。
「フレデリカ、遅かったね! ぼくはもうキャンディーをもらったよ。今度のは、前のヒキガエル野郎みたいないやなやつじゃないし、ハンナみたいにガミガミうるさくないよ。カラスみたいに真っ黒な髪と目をした、綺麗な男の人だよ!」
「もう……。そこをどいて下さい、車椅子が入れられません」
「ぼくが運んであげるったら」
「あ、ちょっと――」
 ユリウスは抗議の声を上げる少女に耳を貸さず、あっさりと横抱きにして部屋に入った。
「了! フレデリカだよ、可愛いでしょう。ぼくの妹なんだ。ねえ、フレデリカにもさっきのをあげてよ、いいでしょう?」
「え、っと……」
 困ったことに、さっきあげたので終わりだ。
 しかし、少女は慣れたように「わたしは、いいの」とユリウスを黙らせる。それから、自分の身体を放し、ソファーに座らせるよう求めた。
「フレデリカは目が見えないんだ。歩くことは出来るけど、あぶないから、ぼくがずっとついていてあげないといけないの」
「そんなこと、ありません。お兄さまは心配が過ぎます。ここにいる限り、わたしは平気なのに」
 腰まである、ゆるやかに波打つ金の髪。長く濃い睫毛の下には兄と同じグレイの大きな瞳がある。小ぶりな鼻、ほんの少しだけ厚めの口唇には淡いピンクの口紅が塗られて、可憐さを際立たせているように見えた。清楚な若草色のドレスが、ソファーに腰掛けると、ふんわりと花のように広がった。
 ゆったりとしたその動きひとつとっても、先ほどユリウスのせいでほつれかかった髪を気にする指先の仕草ひとつとっても、了が今まで見たことのある〈女の子〉とはまるで違っている。
 貴族――。
 了の脳裡に、改めてその二文字が飛来した。
 年齢は十五、六歳くらい――だろうか。
 年の割に、しっかりとした口をきく。まあ、身分の高い子女ならば、もう社交の場に立っているのかもしれない。ユリウスは彼女のことを〈目が見えない〉と言っていたが、透きとおったグレイの瞳はぱっちりと開いていて、ぱっと見ただけではそうとは思えなかった。
「こんにちは、フレデリカです。先の護衛がいなくなってしまい、とても困っております。国軍の中で最も腕がたつ兵士というのは、あなたですか?」
 フレデリカはそう言って、うろうろと細い手を宙で彷徨わせる。
 本当に見えていないのだ――了はフレデリカの手をとって、絨毯に片膝をついた。
「了・バイルシュミットです。腕がたつかどうかは分かりませんが、昨日の夕方頃、上官よりこちらでお仕えするよう申しつかりました。どうぞよろしくお願いします」
「まあ、こちらこそ。……バイルシュミットさん、とお呼びすればよろしいかしら?」
「〈了〉で十分です、フレデリカさま」
「分かりました。了はとてもまっすぐな声をしていますね。あなたが来て下さってよかった。ねえ、お兄さま?」
「うん!」
「えっ……。いえ、そんなこと……」
 初対面の相手から好意的な言葉をかけられたのは初めてで、少しくすぐったい。
「えー、一日だけ? 了、今日しかいないの? そんなの、つまんないよ」
「お兄さまったら……。わたしが来る前に、お兄さまにとてもよくして下さったのですね。ありがとうございます」
「いいえ、そんな。あの、ユリウス様は……、その」
 了が言いよどむと、フレデリカはすぐに「ええ」と首肯し、長い睫毛を伏せる。
「お兄さまは、幼い頃に長く患った悪い風邪で……」
「そう、でしたか……申し訳ありません」
「いいえ。そうだわ、いいことを思いつきました。了、車椅子をここへ持ってきて下さる?」
「ぼくが持ってきてあげる!」
「あ」
 了が返事をする前に、ユリウスがたっと駆け出し、すぐにドアの前に横倒しになっていた車椅子をゴロゴロと引きずって戻ってきた。
「ありがとう、お兄さま。それではお二人とも、少し待っていて下さいね」
 フレデリカはユリウスに抱かれて再び車椅子におさまると、器用に車椅子を操って部屋から出ようとする。了は慌てて同行するために後を追うが、「すぐそこへ行くだけですから」と断られてしまった。無理にでもついていくべきかどうか迷っているうちに、彼女の後ろ姿は長い廊下の奥へと消えていった。
「……これじゃ、何のために来たのか分からないな」
 気に入られたのはいいが、任務をまっとう出来ないのでは話にならない。どうしたらいいだろうと思い悩んでいると、ユリウスがすぐ近くにいて、フレデリカが向かった方向とは逆の廊下をじっと眺めていた。
「駄目ですよ。フレデリカさまがこちらで待つようにと、おっしゃっていたではありませんか」
 薄い肩に手をかけて諌める。しかし、ユリウスは気にもとめないどころか、不思議そうな顔をした。
「……え、わかんない。何?」
「あ、ごめん。えっと……フレデリカがさっき、ここで待っててって言ったよね?」
「うん」
「だったら、ここにいなくちゃいけないの、分かるよね?」
「いやだ!」
 あ、と思った時にはもう遅い。
 ユリウスは了の手をふり払って、身体を逆向きに回転させると大窓へ駆け寄り、レースのカーテンをくぐる。
「こら、ユリウス!」
 了の声を尻目に、ユリウスはガラスを開け、ひょいっと外へ出た。一階だから窓から落ちても大怪我こそしないだろうが、危なっかしくてたまらない。
「待てって、ああ、もう! 俺はベビーシッターじゃないぞ、このっ!」
「あはは。了の顔、おもしろい。でも、もっとおもしろいものがあるから、来て?」
「面白いもの?」
「さっさと来ないとおいてっちゃうよー。フレデリカが戻ってくる前に帰れば、だいじょうぶ。ほら、こっち」
「……ったく、妹に怒られたって知らないからな!」
 こんなところを誰かに見つかったらまずいことになるが、ユリウスを見失うのはもっとまずい。了は衛兵の目を気にしながら窓から外に飛び降りた。
 とすん、と、足に柔らかな土と芝生の感触。ここから庭へと通じているようだ。大木に白薔薇が駆け上がって咲いていた。他にも濃いピンク、淡いピンク、紫やクリーム色の薔薇がのびのびと植えられていて、自由奔放に咲き誇っている。よく見れば、名前は分からないが可愛らしいカラーリーフや青系の小花がさりげなく配置されている。
「凄いな……」
 華奢な門扉が了を誘うように開いている。庭園の奥へ進めば進むほど花の区画が大きくなっていくように感じた。華やかな甘い香りが鼻腔を掠めていく。
「了?」
 名前を呼ばれ、ハッとして声のした方を振り向いた。ユリウスだ。可憐なつる薔薇のアーチの向こうで「早く、早く」と白い手を振っている。了はすぐに駆け寄って、もう逃げられないようしっかりと手を握った。
「はあ……。やっと捕まえた。部屋の中に戻ろう、ユリウス」
「いやだ。この中に、おもしろいものがあるんだ」
 ユリウスは白薔薇が滝のように壁面を彩る建物を指差した。東屋にしては大きく、園芸小屋とも思えない二階建てのひっそりとした建物。
「ここ? でも、勝手に入るのはよくない」
「平気。ぼく、ここの鍵を持ってるよ。いま、出すから、ちょっとだけ……手、放して?」
「鍵を? 君が?」
「うん」
 ユリウスはボトムのポケットから金色の鍵を取り出し、鍵穴に差しこんだ。ガチャン、と意外に重い音がして錠が外れる。
「開いたよ。早く入って」
「でも」
「いいから」
 建物の中へ足を踏み入れると、ひんやりとした冷気に包まれる。了とユリウスのたてる足音以外の物音はしなかった。薄暗い室内に入ってすぐのところに大きな絵がかかっている。天使をモチーフにしたものだ。丘の上の天使像と似ている。
 白と金の装飾的な壁。城内のアイボリーの壁紙も美しかったが、こちらの細工の方が繊細で優美に感じる。丸いテーブルに猫脚のチェア、暖炉の上の壁には王家の紋章が入った緋色のタペストリーがかかっている。
 ユリウスは螺旋階段をトントンとのぼっていく。慌てて了も後を追いかけ、二階の最も奥まった部屋の前までたどり着いた。
「この中」
 了は促されるまま扉に手をかける。
 さっさとこの探検ごっこを終わらせて本来の任務に戻らなくてはならない――という思いはもちろんあったが、何があるのだろう、どんな〈おもしろいもの〉が隠されているのだろうといった好奇心が頭をもたげていた。
「開けてみて」
「はいはい。……ん?」
 扉に鍵はかかっていないが、金具のどこかが錆びているのか、ノブを回して軽く押したくらいでは入りこめそうな隙間が作れなかった。ぐっと力をこめると蝶番が軋んで、ギギギ、ギギ……と嫌な音が響く。
「開かない……?」
 狭い隙間から室内を窺うも、中が暗いのでよく分からない。
「何か挟まってるのかな……」
 軽く扉を蹴ってみる。すると、扉の下でコツンと手ごたえがあったため、もう一度強く蹴る。
「よし、開いた」
 扉の下にハンカチが噛んでいたようだ。さっそく中を調べてみよう、そう思った矢先――。
「何だ? 誰かいるのか?」
「――ッ!!」
 一階から中年男の太い声がして、了はぎょっと身を竦ませた。
「どうしたの? 了、ん、ぐ……っ」
 とっさにユリウスの口を右手で塞ぎ、中へと転がりこむ。
「痛いよ、了」
「ごめん、少しだけ静かにしてて」
 少しずつ目が慣れてきて、今いる場所はベッドルームだろうとあたりがついた。
 それにしても寒い――。
 室内はすっかり冷えきっていて、了の背にぞくぞくと寒気が押し寄せる。コツ、コツ……。男の靴音が聞こえる。ゆっくりとこちらへ向かってくるのが分かる。
(まずい、まずいだろ……こんな、泥棒みたいな真似、見つかったら……。どうする? 逃げようか、窓から……)
 手探りで窓際までたどり着き、待てよ、と思う。
 自分一人ならまだしも、まさかユリウスまで二階から飛び降りさせるわけにはいかない。それに、まさか本当に盗みに入ったわけでもないし――だいたい、ユリウスはここの鍵を持っているわけだし、まんざらこの場所と無関係な人間ってわけではないだろう。
 正直に話せば別段、面倒なことにはならないのではないか? 
 そうだ、落ち着け――。
 了は暗がりで冷たい空気を肺に送ると腹をきめ、シャッとカーテンを引いて暗い部屋に太陽を呼びこんだ。
「仕方ない、探検はおしまいにしようユリウス。あれ? ユリウス? ……、っ!?」
 すぐそばにいるはずだったユリウスの姿がない。
「次はかくれんぼか? 他の人に見つかっちゃったみたいだから、もういけないよ。きちんと説明すれば、きっと怒られないから……」
 了は部屋のあちこちに目を走らせる。一度でいいからこんな上等な部屋で眠ってみたいものだ。白と金を基調にした装飾的な壁紙に、身支度を整えるためのドレッサー、簡単な書き物のできそうな机と椅子。ベッドは天蓋つきだ。狭苦しい兵舎のベッドの三倍はあるだろうか、大きくて寝心地のよさそうなベッド。ベッドの下には隠れられそうなスペースはない。
「ほら、ユリウス。ふざけてないで出ておいで」
 ベッドの中、クッションに埋もれるようにして目を瞑っているユリウスの頬を軽くつっつこうとして、息が止まりそうになった。
「え? ……え?」
 ユリウスじゃない。
 同じ髪の色をしているけれど、これは……この人は……。
「どういう、ことだ、これ……っ!? ユリウス、ユリウス?」
 あやふやな〈記憶〉しか持っていない自分。
 だが、毎日、毎晩、この顔を〈見て〉いる。知っている。
 この〈顔〉は――。
「……国王、陛下……?」
 どういうことだ?
 国王は、病に臥しているのではなかったのか?
 何故、こんなところで……こんな……。ユリウスの言っていた〈おもしろいもの〉とは、国王の――
「死体……? 死んでる……死んで……、そんな……! うわあああっ!」
「何をしている……! 貴様、見たな!」
「――っ!!」
 パニックに陥る了に追い打ちをかけるように、戸口にぬっと壮年の男が現れた。赤い軍服に、王家の紋章入りの襟章。
(近衛兵!?)
「黒髪だと……? ええい、ヤマトの末裔がどうやってこの聖域に入りこんだ!?」
 近衛兵は腰に帯びている刀をスラリと抜き、了が口を開く前に斬りかかってきた。無駄のない動きだ。相当、修羅場をくぐってきたと見える。
「知らない、俺は……っ、ただ連れてこられただけだ!」
「世迷言を抜かすな!」
「嘘じゃない!」
「では、誰に連れられて来たというのだ!?」
「それは――」
 ユリウスの名前を言いかけ、了はぐっと口唇を噛んだ。
 いけない――!
 彼の名を出せば、いくら心神喪失に近い状態とはいえ、きっと重大な罪に問われるだろう。
「ふん、やはり嘘ではないか。もういい、薄汚い口を開くな!」
「!」
 はじめの一突きをあやうくかわし、丸腰の了は必死で逃げる。
(陛下はもう亡くなっている――噂は本当だった……)
 恐怖で頭がおかしくなりそうだ。
(でも、あれは何だ? 死んでいる人間が、どうしてあんなにきれいなままなんだ?)
(どうして、あんな場所で孤独に放置されているんだ――?)
「……ぐっ」
 足がもつれ、螺旋階段でブーツの底がつうっと滑る。
「しま、った……!」
 螺旋階段の手すりに捕まろうともがくも勢いがありすぎて、了の身体はドスンと階段の中央から落下する。
「か、っは……、っく……うっ……」
 胸をしたたかに打ってしまい、息ができない。咄嗟に左腕の義手を庇って変な方向に腰を捻ってしまったようだ。身体のあちこちがじんじんと重く痺れる。
「あ、あ……」
(殺される……。もう次は剣をかわせない……)
(殺される? 殺される、って……死ぬ、死ぬのか? ここで、俺は……嫌だ、嫌だ!)
 痛いと感じるより、黒々とした〈恐怖〉という感情が心の隅々まですっかり浸透してしまい、うまく動けない。そんな了を一階の暖炉の前まで易々と追いつめて、近衛兵はギラギラと銀色に光る剣を大きくふりかぶった。
「――その首元のタグ……。貴様、我が国の兵士か? ならばなおさら、秘密を知ったからには生かしておけぬ。クルト陛下の御為に――死ね!」
 もう、駄目だ……。
 了が諦めて目を閉じた時、大扉がバン、と開かれた。
「やめなさい!」
 了は思いもしなかった乱入者を見て呆気にとられ、呟く。
「フレデリカ……?」
 逆に、近衛兵は苦虫を噛み潰したような顔で剣を退いた。
 フレデリカの後ろで車椅子を押していたメイドが、剣を見て小さな悲鳴をあげ、手にしていたバスケットを落とした。
(え……? どうして、剣を退く?)
「お茶の用意をして戻ってみれば、お兄さまも了もいなくなってしまって、探してみればこちらから声が聞こえて、もしやと思って来てみたら……。その者の命を奪うことは許しません」
「見られてしまったのですよ、あれ・・を! 幸いこの男はヤマトの者です、殺したところで何の問題もない。いえ、殺してしまった方が世のため、人のためというものではないですか」
「お黙りなさい!」
 フレデリカは気丈に言い返す。
「しかし、フレデリカさま……!」
「黒髪に黒い瞳だから下等な人間だなんて、いつまでそんなくだらないことを言っているのですか、あなたたちは!」
 ぐっと近衛兵は眉をひそめる。自身の価値観をあっさりと否定されて不快なのだろう。そこへ、くすくすと場違いな笑い声が降ってきた。
「ねえ、ぼくはいつまで隠れていればいいの?」
「お兄さま! やっぱり、お兄さまがここへ……また、鍵を持ち出したのですね。あれほどいけないと申しましたのに……」
「あれ? お茶はどうしたの、フレデリカ」
 ユリウスは楽しげに階段を下りてくる。
(そうか、そういうことだったのか)
 こうして二人が並び立つとよく分かる。
 銀に近い金色の髪、グレイの瞳、誰あろう、クルト国王にそっくりだ。ユリウスにいたっては、ほとんど生き写しではないか。
 何故、気がつかなかったのだろう――。
「たとえヤマトの末裔でなくとも、あの部屋を見られたことに変わりはありません。即刻、首を刎ねて始末しなくてはなりません、この国のために!」
「なりません!」
 フレデリカは自らの手で車椅子をキイ、と進めると、放心する了の前で両手を広げた。
「その者はわたし、フレデリカ・エーレンフェルスの護衛。いくらあなたがお父さま……国王クルトの側近でも、わたしの持ち物をわたしの許可なく殺すなど――許しません!」
 カアアァン――と、どこかで高い鐘の音がした。
 正午を告げる鐘。
 しかしこの時の了はまだ、そんなことを知りはしない。ただ――。
「…………」
 乾いてからからになった口の中、言葉さえ干からびて、おずおずと片膝をついた。


☆第5回は4月29日(木)0時更新予定です。お楽しみに♪


by 玉置真珠 ¦ 00:03, Thursday, Apr 22, 2010 ¦ 固定リンク ¦ コメント(5) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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■コメント

大抜擢からの大トラフ゛ル(笑)

人間を「持ち物」とするのは
なんだか貴族らしい表現ですよね。
中世色が強い様な気がします。

また木曜日が楽しみになってしまいました(笑)


名前: エシディシさん ¦ 14:01, Monday, Apr 26, 2010 ×


これらのレプリカのハンドバッグは、で出てくる行うに私の好きな%uE2808B%uE2808Bthnigsの一つは、(おそらく極めてsockingされていない)デザイナーのレプリカのハンドバッグを見てですが、私は広告が英国に悪影響を及ぼす可能性があると思います、私は実際にそれらのすべてを見て愛しているので、驚くべきものだ。それは奇妙な人が実際に広告が好き傷つけるのですか?まあ、それはそうであっても、私は絶対にレプリカブライトリングの時計は、彼らが戻ってドロップとして選んだことが大好き。私は、我々が時間内に戻っているようなものになって持ってきて、MONTRESロレックスこれら本当に私が愛している洗練さを披露している!あなたには、いくつかのショッピングのレプリカのハンドバッグのための気分で得ている?私は私が知っている!


名前: Hermes handbags ¦ 17:13, Saturday, May 04, 2013 ×


ESロレックスこれら本当に私が愛している洗練さを披露している!あなたには、いくつかのショッピングのレプリカのハンドバッグのための気分で得ている?私は私が知っている!


名前: Replica Watches ¦ 14:29, Saturday, May 11, 2013 ×


少し評価は、千の言葉よりも優れている


名前: Nike Air Max High Heels ¦ 17:46, Monday, Jul 29, 2013 ×


よく書かれていますが、私はあなたが良い書き込むことができると思います!


名前: 2013nike新款高跟鞋 ¦ 11:41, Thursday, Aug 08, 2013 ×



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