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act2

  2 ―過去―

「ん……」
 目蓋の裏に光を感じてカルマは目を覚ました。
 真っ白なシーツが陽の光に照らされている。連れて来られた当初はふかふかしすぎて寝付けなかった豪奢なベッドにも、だんだんと慣れてきたようだ。
 ふわり……と、〈あのお方〉――いや、クルトの香りが全身を包みこんでくる。ここはクルトの寝室、クルトのベッドだ。
 とはいえ、クルトとベッドを共にしたというわけではない。クルトは王宮の中に幾つもプライベートな部屋を持っており、その一つを貸してくれたのだ。
『しばらくしたら専用の部屋を用意させる。それまではここで我慢して欲しい』
 自分専用の部屋――何も持たない自分がそこまで優遇されるのは恐縮だし、王族の寝室を使わせてもらうことは、もっと恐れ多い。召使用の小部屋で十分だと言うと、クルトは「慎み深いことは結構だが、そうはいかない」とカルマの頼みを一笑にふした。
(やっぱり、クルトさまの香りがする……)
 あの日、凍える身体に掛けてもらった毛皮のコートと同じ香り。
 一度意識してしまうと心臓が煩いくらい早くなってしまうので、被っているシーツを取ってするりとベッドを抜け出した。窓際まで寄ってカーテンの隙間から花時計を眺める。
 もうそろそろ朝食の時間だ――そう思った途端に、クゥと腹の虫が鳴いた。
「お腹、減ったな……」
 朝食が待ち遠しい。
 まさか自分が、積極的に食事を摂りたいなどと思う日がくるとは考えもしなかった。
 VV2-SS09と呼ばれていた頃食べていたものには、パンから飲み水にいたるまで全てのものに毒が入っていた。どんな毒にも耐性がある身体といっても、大量に毒物を食わせられれば悪心や目眩、幻覚症状や痛みなどが少なからず生じる。
 カルマにとって、食事という言葉は苦しみと同じだった。幼い頃はもっとひどかった。毎日毎日が死と隣り合わせで、飢え死にたくないから毒を食らい、今度はその毒で死にかける――その繰り返しだった。
「痛っ……」
 いけない――。
 子供の頃のことを思い出そうとするとこめかみにビリッと強い痛みが走り、カルマは毛足の長い絨毯の上でうずくまった。
『――痛むか?』
 こんなふうに頭を抱えていると、クルトの声と温かな手のひらを思い出す。
 時々、研究所へ視察に訪れていたクルトは、毒物にやられて息も絶え絶えになっている自分――VV2-SS09の身体を支え、痛む場所を撫でてくれた。実験動物でしかない自分を普通の〈人間〉と同じように気にかけ、心を砕いてくれたのはクルトだけだった。
 研究所内では会話らしい会話をすることはほとんどなかった。カルマは毎日のように投薬や注射などを受けて身体を改造されており、口を開くことさえままならぬ時間が多かったからだ。会える時間は短かったし、次に会える日がいつかも分からず、会える日より会えない日の方がずっと多かった。名前すら聞けずにいた。でも――。
 会えた時、クルトは必ず、惨めに苦しんでいる自分の背や頭を優しく撫でてくれた。
『よく頑張ったな……』
 そして、短くねぎらいの言葉をくれる。それだけで十分だった。
 長い苦しみの日々で、クルトの存在が自分の中で大きく育ってゆき、たまにしか会えないクルトへ寄せる想いは、深く重くなっていた。
「……駄目だ、頭が爆発しそう……」
 考えてはいけない。昔のことは、あまり考えないようにしなくてはいけない……。
 本格的に痛み始めると、治まるまで半日以上かかってしまう。
 カルマはふらふらと立ち上がって窓を細く開けた。新鮮な空気が入ってきて、ゆっくりと深呼吸する。すると、頭の痛みは徐々にひいていった。
 研究所の所長、アーレンが言うには、戦争の時に頭部に裂傷を負ったのと、目の前で暁の兵士に両親を惨殺されたせいで無意識に記憶の蓋を開けないよう、心が自己防衛を働かせているらしい。
 とにかく、王宮では何を口にしても四肢が痙攣することはないし、胃がひっくりかえりそうになることもない。カルマは初めて食べ物を「おいしい」と思った。菓子の類は、まだまだ、苦手だけれど――。
 王宮へ来て初めて、冷たくないスープを食べさせてもらった。パンも焼きたてで、柔らかく香ばしい。前に〈パン〉と呼んでいたものとはあまりに違っていて、とても同じものとは思えなかった。
 ――全てはクルトさまのおかげだ。
 いつまでも寝間着のままではいけないと思い、白いブラウスをきちんと着て、紺色のボトムを身につけた。
「失礼いたします。朝食をお持ちいたしました」
 控えめな声とノックの後、エプロンドレス姿の女性がゴロゴロと配膳用のカートを引いて寝室に入ってきた。てきぱきとベッドサイドのテーブルがセッティングされ、白いプレートにクロワッサンやジャム、チーズ、卵などが並べられていく。
「美味しそう……。俺、この穴の開いたチーズが好きです」
「では、少し多めにお切りいたしましょう」
「あ……、ありがとう」
 メイドはにっこりと微笑んで、香りのいい紅茶を差し出す。夢中でパンを腹へおさめ、紅茶のおかわりを注いでもらっていると、寝室のドアが開かれ、黒い衣裳が見えた。
「クルトさま!」
 カルマはすぐにカップを置き、裸足のまま駆け寄ると黒いブーツの足元でうやうやしく跪く。
「おはようございます、クルトさま。今日はどちらへお出かけになられるのですか?」
「ああ、おはよう。そう急がなくていい。午後になったら少しばかり公務を休んで市街地の視察にでも行こうかと思っている。実を言うとエスケープだ」
 クルトはさらりと言ってのけた。
「たまには息抜きをしないと身体がもたん。ま、お前はいつものように俺の後ろについてくればいい」
「分かりました」
「おや……? 少し、肌の艶がよくなったようだな?」
 クルトは指先でクイとカルマの顎を持ち上げる。吐息がかかるほど近くで見つめられて、カルマは恥ずかしさのあまり、みるみるうちに頬が赤く染まっていくのが分かった。
「ふむ……。少々、栄養が足りなかったようだ。年齢のわりに肉のつきかたもあまりよくない。だが、骨格がいいし手足がしっかりしているから、まだまだ背は伸びるし大きくなるだろう。朝食は?」
「もうすっかり。お腹いっぱいです。こちらの皆さんは朝食をたくさん召し上がるんですね……研究、えっと、あそこでは朝は野菜のペーストにパンと飲み物だったから」
「朝の食事は一日の活力だからな」
 顎を上向けさせていた指が、カルマの頭を優しく撫でた。
「ヨーグルトを食わなかったのか?」
 テーブルの上には手つかずのヨーグルトが残されている。ヨーグルト自体は平気なのだが、一緒に出された苺のジャムが駄目だったのだ。
「ごめんなさい、甘いものは、あまり」
「そうか」
 クルトはジャムの小瓶と、脇に添えられていた金のスプーンをひょいと手に取った。
「もう下げていい」
 メイドは従順に頭を下げ、すぐさま配膳カートを押して退室していった。静かにドアが閉まり、部屋の中にはカルマとクルトだけが残される。
 クルトはジャムを持ったままコツコツと歩き、ベッドに腰かけた。
「いつまでそんなところで膝をついているんだ、こっちに来い」
 二人きりになると、心なしかクルトの声が優しくなる。カルマは言われるまま立ち上がるとベッドに駆け寄り、クルトの隣に座った。
「クルトさま、栄養がついたら、俺もクルトさまくらい大きくなれますか?」
「さあ、どうかな? 好き嫌いをする子供は大きくなれないかもしれないぞ」
 クルトはからかうように言って、金のスプーンを薄い口唇へ近づけ、ぺろりと舐めた。そんな仕草がやけに艶かしく感じ、カルマの胸が甘く疼く。
「分かって、います。でも、まだ甘いものは……」
「甘味には毒を仕込みやすいからな」
 クルトは分かっている、というように薄く笑った。
「俺にも経験がないわけではない。父の代、主だった王族たちが留守で、城に俺と母上しかおらぬ時……午後の茶の時間に出された水蜜桃のタルトに毒が盛られていたことがある。遊ぶのに夢中だった俺はあまりタルトを食わなかったから死ななかったが、甘いものが好きだった母は駄目だった。まだ童だった俺は、母が目の前でもがき苦しみながらどんどん冷えていくのを見ているしか出来なかった。あの無力感と屈辱感は、今をもって忘れることが出来ない」
「……そんな、ことが……」
「あの時は国が少々ごたついていた。父に一人、たちの悪い寵妃がいてな」
 端女風情が王妃になれるわけもなかろうに、女というやつは浅はかなものだとクルトは口唇を歪めた。
「毒を盛ったのは属国から雇い入れた腕のいいパティシエだった。決行日に配置されていた召使いは全員、かの寵妃の息がかかっており、長年に渡って信頼を寄せていた毒見役までもが裏切った。とんだお笑い種だろう?」
「お笑い種だなんて、そんな……」
 もしも……。
 カルマは自分がその立場だったならと想像してみる。助けを求めても誰も耳を貸してくれず、頼れる大人もおらず、看病や解毒の方法なども知らない子供の自分。何も出来ないまま、目の前で冷たくなっていく最愛のひとの姿――。
「お前が落ちこむ必要はない。過ぎたことだ」
「はい……」
「そういうわけで、王宮で出される食事には徹底した安全管理と、料理人に限らず下働きの者たちの雇用基準を新たに定め、教育管理をくれぐれも怠らぬよう徹底的に命じている」
 クルトはスプーンから指先にトロリとしたジャムをまぶし、カルマに向けて誘うように右手を差し出した。
「舐めろ」
「……でも」
「いちいち命令しなくては何も出来ないか? それとも、俺の指を舐めるのがそれほどに嫌なのか?」
「違います! ご存知でしょう? 俺の体液は、猛毒で……クルトさまのお身体が……」
「怪我をしていないから傷口から毒が滲みることはない。ああ、ジャムがこぼれてシーツが駄目になってしまう」
 挑むような灰色の瞳。
 本気かからかいか分からぬ口ぶり。白い指先を染めている赤い滴り。
 ただ『指先を清めよ』と言われているだけなのに、カルマの心臓は喉元までせり上がってドクンドクンと激しく脈を打ち、鼻先を掠めるベリーの甘い香りが何かもっと違うもののように感じて目眩がした。
 ベッドから降り、カルマは再びクルトの足元に跪いた。
「ん……」
 おずおずと指先にくちづける。すると灰色の瞳はすっと細まって、「もっとしろ」と視線だけで促している。人差し指に舌を這わせ、甘い蜜を啜る。舐めても舐めてもすぐクルトが小瓶からジャムを垂らすので、カルマは次第に大胆に指にむしゃぶりついていった。
 指の股にゆっくりと舌を這わせる。クルトの手のひらは自分より厚く、剣だこのある場所はごつごつとして硬かった。
「ふ……ふぅ、ん、んくっ」
 舐めさせられながら、カルマは懸命に苺の粒を咀嚼し、ジャムを飲みこんでいく。息継ぎを誤ればすぐに、甘い蜜で溺れ死んでしまいそうだった。
「み、水を……下さい……」
 口中に甘い味が広がって苦しかったので、枕元を指さして懇願した。するとクルトは意地悪く笑いながらカルマの頬を撫でた。
「水差しが欲しいのか? もう降参か? そんな有様で〈成すべきこと〉を果たせるのか?」
「……成すべき、こと……っく、ゴホッ、ゴホッ」
 果汁と砂糖、それに唾液で口の中が粘つき、カルマは軽く咳きこむ。
「俺が〈成すべきこと〉と口にした時――」
「分かっています! 大丈夫です、絶対に……殺します。その時クルトさまの目の前にいるのが標的ターゲット、です……っ。それが、暗殺が、俺の使命だから……っ」
 顔が、特に口の周りと両頬がぬらぬらと濡れ、涙がひとすじ頬を伝った。
「ああそうだ。その通りだ」
 そんなカルマを眺めるクルトの瞳は一見、いつもと変わらない冷ややかな灰色。しかし視軸にはしっとりと淫猥な色が浮かんでいた。
 ――今すぐベッドから降り、荒々しく床に組み敷いてやりたい。快楽のままその身体を蹂躙してみたい。あの実験の時にさんざん聞いた、女より艶やかで張りのある声で自分の名を叫ばせ、鳴かせたい。〈毒〉だと分かっているのに……分かっているからこそ尚、誘われる――。
「……」
 クルトはいつの間にか己の内に宿っていた炎に気づき、自嘲気味に小さく笑った。
「冗談だ、無理をしなくてもいい」
 カルマの頭を唾液にまみれていない左手で撫でて水差しを取ってやると、荒い息をしていた少年はごくごくと喉を鳴らして飲み始めた。
「さて、身支度を済ませたら後で呼びに行くから、庭園で待っていろ」
 クルトは立ち上がってレースのカーテンを開け、外の庭園を示した。眼下では色とりどりの花々が競うように咲いている。
「……、はい、クルトさま」
 カルマは上がった息を取り繕いながら、何事もなかったように従順に頷いた。
 その時、せわしない足音が廊下からやって来て、赤い軍服の男が開けっ放しのドアを形式的にノックし、姿を現した。クルトの眉がピクリと不機嫌そうに上がった。
「何だ」
「どこにもいらっしゃらないので、お探しいたしましたよ。こちらにいらっしゃったのですか……一昨日の夜、ソーダライトの旧市街にて反乱分子と思われるヤマト人が、大規模な集会を開いていたとの報告が――閣下、その子供は……?」
 男に睨まれ、カルマはびくりと身を縮ませる。そんなカルマを庇うようにクルトが口を開いた。
「新しく側仕えとして召し抱えたカルマだ。まだ半人前だが、子供というほどの年齢ではない。それに、マキシミリアン家からの紹介だ。カルマ、この者は側近の一人、ヴェレ」
 淀みなくすらすらと嘘をつくクルト。マキシミリアンなんて、聞いたこともない。
「は、はい」
「マキシミリアン家! あの大貴族の……。それはそれは」
 しかし、側近にとってその家名は絶大な効果をもたらしたようで、胡散臭そうな視線がすぐに媚びるような態度へとすり替わった。そこへ畳みかけるようにクルトは質問を浴びせる。
「ヴェレ。ソーダライトの市街にいた反乱分子どもの数は?」
「偵察員の話ですと、相当な数だそうです。百人は大げさだとしても、近隣に住み着いているほとんどのヤマト人の顔があったとか――」
 クルトは為政者の顔に戻り、側近の報告を受けながら執務室へ向かって行った。カルマは一気に緊張の糸が切れて、ベッドにぼすんと四肢を投げ出した。
「ああ、どうして……?」
 身体が内側からかっかと火照っている。何もされていないのに下半身が疼いて、熱を持ち始めていた。我慢が出来ず、カルマはそろそろと紺色のボトムの前をくつろげた。すぐさま、張りつめた欲望がこぼれ出す。尖端にはぷっくりと透明な蜜が滲んでいた。
「薬もないのに、こんなに……」
 ボトムを脱ぎ捨てる。頭が痺れる。猛った欲望はへそまで硬く反り返っていた。
「んっ……」
 左手で竿を持って、右手の人差し指の腹で蜜をカリ首に擦りつけた。とろとろと湧き出る蜜がやがて糸をひき始め、水気の多い卑猥な音をたてる。
「あ……、あ、ふっ」
 ごくりと唾を飲みこむと、先ほど舐めさせられたジャムの甘い味がまだ残っていて、カルマの青い瞳がとろんと蕩けた。夢中で利き手の左で竿をしごきながら、右手で口元や頬のべたついている場所からジャムの甘味をすくい、舐めまわす。
「んんんっ」
 自分の細い指を舐めていると、クルトの大きな手を思い出して背に快感が駆け上った。
「……クルト、さまぁ……」
 ふと斜め前を見れば、ドレッサーの鏡に自分自身の雄芯を弄びながら物欲しげに指を咥えて喘いでいる、いやらしい自分が映っていた。
 クルトのように鍛えられていない身体はひょろひょろとしていて貧相だ。ちっとも男らしくないのに、淫らなことばかり考えてしまう、浅ましい身体――。
「クルトさま……っ」
 名を呟くだけで泣きたくなるほど胸が掻き毟られた。

(抱いて欲しい――)

 それは。それだけは。
 絶対に叶わないと知っている。
 どこの誰が、危険な毒が全身に回っている自分のようなものを抱きたがるものか。考えるだけ苦しくなる。そうだ、無理なのは最初から分かっている。
 もしも――クルト自身が気まぐれを起こして、それを望んだとしても。
 はぁ、はぁ、と閉めきった部屋で自分の息づかいだけが大きく聞こえる。クルトのつけている香水の残り香がほのかに香った気がして、カルマはいっそう激しく竿をしごいた。
 自分は人殺しのために作られた生体兵器だから。自分の体液がクルトに取りこまれでもしたら、命を奪ってしまうから、だから――。
(でも……あなたを想って自分を慰めるだけなら、いいですよね……?)
 カルマは黒衣の下に隠された鋼の肉体を夢想しながら、先走りでぬめる昂ぶりを擦りあげる。
「クルト、さま、クルトさまっ、あ、あっ……!」
 やがて昂ぶりきった欲望は頂点へ達し、カルマはシーツへ白濁を散らした。
「はぁ、はぁ……ああ、やっちゃった……」
 汚してしまったシーツを丸めて洗濯物の籠へ放りこむ。
 高潔な相手を密やかに穢した恍惚と、自慰をした後に訪れる、うっすらとした背徳感。カルマは吐息が平静を取り戻すのを待ってから、ドアを開けて召使いを呼び、温かいおしぼりを何本かもらった。身体を拭き清め、身支度を整える。
 春先とはいえまだ風が冷たいので、クローゼットから薄手のケープを取り出してブラウスの上に羽織った。クローゼットの中にある服は全てサイズがぴったりと合っている。この中に仕舞われている衣裳の全てが自分のためだけにあつらえられているのが嬉しかった。
「庭園に行かなくちゃ……」
 カルマは髪を後ろでひと括りにして、部屋を後にした。


 庭園に咲いている花はどれも見事だったが、中でも真紅の薔薇の一群に目を奪われた。
「凄い……!」
 噎せかえるほどの甘く芳醇な香り。これほどの量があると、何だか目の前にある花たちが現実のものでないように思ってしまう。カルマは感嘆の声をあげながら、あちこちにいる園芸師の邪魔にならず、クルトに見つけてもらいやすそうな場所を求めて辺りを見回した。
 庭園の中央に、白い東屋ガゼボがある。
 あそこならちょうどいいだろう。花のアーチをくぐってそこまで近づくと、中に人がいるのが分かった。先客がいたのか――カルマはひょいと東屋の中を覗いた。
「あれ? クルトさま?」
 なんと、東屋の中にいたのはクルトだった。ベンチにもたれてうたた寝をしている。
「どうして、ここに? それに、服……」
 つい先ほど別れた時とは全く違うものを着ていた。赤地に金の刺繍が施された、足元まで届きそうな長いチュニック、腰に回された宝石のたくさんついたベルト。ぴったりとした白いレギンスにかかとの高いブーツ。東屋の小テーブルには紅茶のセットと、竜の彫りが施された銀色の煙草入れとライター、まだ吸殻の捨てられていない灰皿があった。
 クルトは黒い服しか着ないものと勝手に思いこんでいたため、カルマは思わず目をみはった。うたた寝をする顔も、いつもより隙だらけのように感じる。常にオールバックに整えられている髪が少し崩されて、思ったよりずっと柔らかそうな前髪が額にふんわりと垂れているせいだろうか。
(綺麗だ、クルトさま。でも、この格好じゃあ、外に出るのは無理だよね……)
 やはり公務を休むことは出来なかったのだなと分かるとカルマは少し寂しくなって、そっとクルトの眠っているベンチの隅に腰かけた。
「……?」
 なるべくそっと座ったつもりだったのだが、起こしてしまったようだ。クルトは目元を軽く擦って、あくびをしてから大きく伸びをした。
「申し訳ありません、気持ちよくお休みだったのに」
 あんなことをしたばかりなので、なんとなくクルトと言葉を交わすのが恥ずかしかった。あまり目を合わさぬように、カルマはもじもじと自分の手を組んで視線をそちらへ落とす。クルトは何のことか分からない、といったように一瞬僅かに首をかしげたが、すっとカルマの頬に手を触れた。
「愛らしいな……」
「え?」
 クルトの手が、頬を撫でている。絹のようにすべらかなその手の感触に、カルマはふと違和感を覚えた。
(あれ? クルトさまの手はもっとごつごつしていたはず)
 苺のジャムにまみれた手を犬のように舐めまわしていたのは、たった一時間前くらいのものだ。余韻にひたりながら自慰までしてしまったほどだ、そうそう簡単に忘れはしない。
 しかし、冷たさすら漂う怜悧な美貌に、低くて少し掠れた色気のある声は間違いなくクルトだ。わけが分からない――カルマがぎくしゃくと身を硬くしていると、優しい声がかけられた。
「どうした、こんなに震えて。寒いのか?」
 宝飾品をたくさんつけた腕が、カルマの身体を抱き締めようとする。
「あ、あの……っ、いけません……」
 見つめられるだけで可笑しいくらいに胸が高鳴る。けれど、こんな開けっ広げの場所、庭園の真ん中の東屋などで抱き合うわけにもいかず、カルマは弱々しい抵抗をした。
「何故、拒む? 誰も咎める者などいないのに」
「でも、庭師のおじさんが、すぐ近くにいたし……」
 やっとの思いで言葉を紡いだ時、腰に回されていた腕の力が少し緩まり、ふっと彼が顔を上げる気配がした。つられて視線を上げたカルマは驚愕のあまり息を飲む。
「こんなところでお楽しみでしたか、陛下」
「……その呼び方はやめろと言ったはずだ、クルト」
「え、えっ?」
 東屋の前で腕組みをしてこちらを見下ろしているのは、先ほど別れた時と変わらぬ、黒一色の衣裳を纏った人物だった。外へ出るために帯刀している。カルマはバッと後ろをふり返って、自分を抱いている男の顔を確かめた。
「同じ顔……。どうして? クルトさまが二人……?」
「陛下は陛下ですから、そうお呼びするしかありません」
 黒いクルトが皮肉げに笑う。カルマを抱き締めているクルトは、どこか哀しそうに言った。
「こんなところで肩肘を張る必要はないというのだ。それより、この美しい少年は何だ?」
「新しく置いた側仕えです、兄上。これから市街地の巡回を共にするため、ここで待たせておいたのですが、何か?」
 兄上――。
 カルマはやっと、自分を抱いている者の正体を知った。
 彼こそが暁の国王、ヤン・エーレンフェルス。

(そんな……)

 確かにクルトの兄が国王だとは聞いていたが、兄といっても、もっとずっと年上なのだろうと勝手に思いこんでいた。まさか、一国の統治者がこんなに若いとは思いもしなかった。敬愛するクルトと同じ顔、同じ声――きっと年も同じなのだろう。本物を見たのは初めてだが、研究所にあった本で読んだことがある。双子――彼らは一卵性双生児なのだ。
 研究所――。
 忘れかけていた、薬品くさくて狭い部屋。
 アーレンはこのことを知っていたのだろうか?
「その者は、お前の側仕えなのか」
「ええ、兄上。まだ王宮に呼び寄せたばかりの田舎者で作法のひとつもろくに知りませんが、俺には堅苦しい王宮の作法などどうでもいいし、せっかく近くに置くなら……」
 クルトは淡々と言いながら、ヤンの腕の中で呆然としていたカルマの手をぐいと引く。
「見目の麗しい方がいい」
「あ……」
 やはり本物のクルトの手は剣だこだらけで、ごつごつしている。
「では失礼。行くぞカルマ」
「はい、クルトさま」
 クルトは軽くヤンに礼をして、カルマはクルトの手を引くと、東屋に背を向ける。すると、背後でヤンが立ち上がり、焦ったように二人を引き留めた。
「待て!」
「何でしょう、兄上。商人組合の者と昼食の予定があるので、あまり時間がないのですが」
 嘘だ。今日はエスケープだと言っていたはずだ。しかしヤンがそんなことを知るはずもなく、カルマに向けて顎をしゃくった。
「その側仕えが欲しい」
「それは出来ません。この者は中々ものの覚えがよく、重宝しておりますゆえ。俺の側仕えとして〈成すべきこと〉が何かもきちんと分かっておりますし」
「え……っ」
 カルマは弾かれたようにクルトを見上げた。〈成すべきこと〉――王宮にてクルトよりこの言葉が発せられた時、それは――。
 クルトの強い瞳がしっかりとカルマを見返してきて、今のサインは本物だと告げた。
「代わりの者ならいくらでもこちらで調達してやる。美しい者ならいいのか? 計算が得意な者や機械のような記憶力を持つ者、欲しいだけくれてやる。私は――どうしても、その子が欲しい」
「困りましたね、急にそう申されても……。そこまで兄上が望むのならもちろん献上いたしますが、もしもこれが兄上の命を狙う刺客だったらどうなさるおつもりですか?」
 兄を――国王を暗殺せよ。クルトはそう言っている。
「それは、しかし……お前が側に置くのなら、身元がしっかりとしているのだろう?」
「ええ。ああそうだ、カルマ、お前の利き手は?」
「え? 利き手? 左です」
 クルトに唐突に訊ねられ、カルマは左手を上げて見せた。すると、クルトはトンと一歩下がって腰から剣を抜き、瞬く間にそれを躍らせた。
「……っあ、あああぁっ……っ!」
 恐怖も痛みも感じなかった。何も考えられなかった。とさ、と滑稽な音をたてて白薔薇の上に見慣れた腕が落ちた。カルマは重心を欠いて青い芝生へ崩れ落ちる。
「これならいいでしょう、腕が欠けていては害をなすことも出来まい。まだ触れないで下さい、兄上。すぐに専門の医者を呼んで血止めをさせますよ。後はどうぞ、お好きなように」

(……クルト……さま……)

 カルマは懸命に名を呼ぼうとする。だが、口から漏れるものは言葉にならない低い呻きだけだった。



☆次回は4月22日(木)0時更新予定です。お楽しみに♪


by 玉置真珠 ¦ 00:03, Thursday, Apr 15, 2010 ¦ 固定リンク ¦ コメント(6) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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■コメント

いよいよ運命の歯車が回り始めたのですね。

クルトみたいに物語をク゛イク゛イ引っ張る先導者が居る

過去編は物語的にも淫靡な部分にもスムース゛な印象を

受けますね(笑)

ターケ゛ット登場による次話の展開も楽しみです。



名前: エシディシさん ¦ 12:10, Friday, Apr 16, 2010 ×


話がうごきだしましたね。
これからの展開に期待してます☆


名前: すぅ ¦ 20:58, Monday, Apr 19, 2010 ×


話がうごきだしましたね。
これからの展開に期待してます☆


名前: すぅ ¦ 20:59, Monday, Apr 19, 2010 ×


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