≪ プロローグ  ¦ トップページ ¦ act2 ≫


act1

 1 ―現在―

 血のように紅い夕日を浴びながら、青年は支給品の蒸気バイクドーリーを荒廃した丘のふもとで荒っぽく一回転させた。
 ドドドドド……と蒸気を発散させながら、暴れ馬のようだった単車がようやく停止する。
「ったく……。誰だ、こんな下手なクセつけたやつは」
 舌打ちをして、むしるようにゴーグルを頭上へと押しやる。黒髪の上で、鈍い金色のゴーグルの縁が、陽光の残滓を受けて一瞬、キラリと反射した。
 青年の名は、りょう・バイルシュミット。
 年の頃は十九、二十歳――といったところ。
 少年から牡へと変わりつつある身体にはしなやかな筋肉がついていて、うっすらと色香が感じられる。スタッズがたくさんついた、ぴたりと身体に寄り添う黒いジャケット、同色のパンツを身につけている。
 左手にだけ、ベルトが幾本も巻きついた、拘束具のような赤いアームカバー。
 アームカバーの下にあるのは、義手。生まれてすぐに内戦の炎に巻きこまれたそうで、了の左肘から下には物心がつく前から機械で出来た手が嵌っている。
 了は自分をこの世に生み出してくれた両親の顔を知らない。養父から聞いた話では、母親は生まれたばかりの了を抱き締め、父親は妻と子の盾となり、崩れ落ちた鉄パイプや瓦礫を受け止め、折り重なるかたちで夫婦ともども絶命していたという。
 瓦礫の下から赤子の泣く声を聞きつけて救助してくれたのが、たまたまそこへ居合わせた機械技師、ネイ・バイルシュミットだった。ネイはそのまま行くあてのない了を養子としてひき取ってくれた。
 天涯孤独の了にとって、ネイは唯一のよすがだ。
 厳しいところも多いし口も悪い、だが芯は優しい――。そんなことを言ったら不機嫌そうに鼻を鳴らされるだけなので、口には出さないけれど。
 ネイは義手や義足、義眼や時計類などの機器、およそ機械と名のつくものならほとんどの物を扱っている。ネイの工房、兼、研究所には珍しいものや不思議なものがいつでもあふれかえっていて、足の踏み場もない。
 せめて片付けくらいした方がいいとすすめても、自分にはこの状態が心地いい、どこに何があるのか頭に入っているのだから余計なことをするなと雷が落ちるので、迂闊に手を出すことも出来ない。
 頑固で偏屈だが、腕は一流。了はそんなネイのことを尊敬している。
 赤いアームカバーの下にある義手も、勿論ネイが作ったものだ。どういうカラクリか見当もつかないが、ただくっついているだけではなく、日常生活に何の支障もない、右腕と比べても――いや、それ以上に精密な動作が可能なシロモノである。
「ふう……」
 ゴーグルの下から現れたのは、髪と同じ黒色の瞳。左目はわずかに赤みがかっている。天然のものではなく、これもネイが作ってくれた義眼もの。左腕と左目を失いながら、よく生きて拾われたものだ――いや、拾ってくれたのがネイでなければ死んでいたかもしれない。
 意思の強そうな眼差しに、精悍に引き締まった口元。一息ついて黒いジャケットの前をくつろげるとシルバーのチェーンが首にかかっているのが見えた。
 実は、笑うと意外に優しく人当たりがよくなるのだが、今は任務の途中だし、ここには自分一人しかいないので笑う必要はない。
 任務中――そう、了は国軍の兵士だ。
〈夜の国〉、それがこの大国の名前である。
 そして今、了の視線の向こうに広がっている街が夜の国の首都、クローネ。
 若かりし頃は〈武〉の名をほしいままにした、クルト・エーレンフェルス陛下が統治する王国――。
 了がクローネで暮らすことは、困難と背中合わせである。
 理由は簡単、了自身のせいではなく、了に流れる血統と、顕著な見かけのせいだ。
《黒髪、黒目は古代ヤマト国の血を継ぐ者の証》
 ヤマトの末裔は人々の間で〈不吉を呼ぶ者〉と言い習わされている。何故かは知らない。ずっと、ずっと古くから……了やネイの世代よりも古く、それこそ何代も前から、黒髪黒目は不吉とされているそうだ。
 故に、了と同じく黒髪と黒い目を持つ〈ヤマトの末裔〉たちは、そうするのが当然といった調子で挨拶をしても無視されたり、すれ違うだけで目をすがめられたりしている。
『この髪の何が悪い!』
〈普通〉の、栗色や金色の髪を持つ他人が羨ましかった。
『俺がいったい何をした!?』
 荒れて、荒れて、ふっかけられた全ての喧嘩を片っ端から買ったこともある。たちの悪い集団にからまれて、意味もなく死刑リンチされたこともある。
 何も悪いことをしていないのに、どうして?
 いわれのない苛立ちに、どうしようもない屈辱感。しかし、そんな感覚も幾度も繰り返されるうちにすり切れ、麻痺していった。
 勿論、怒りや屈辱を覚えないわけではない。ただ――慣れた、それだけのことだ。
 不吉の象徴である自分を、何故〈普通〉のネイが拾って、養ってくれたのか――一度だけ訊ねたことがある。
 しかし、養父は軽く首を振って肩をすくませただけだったから、重ねて問うことは出来なかった。ふっと遠い目をしたネイの横顔が、思いがけず寂しそうだったからかもしれない。
 理不尽な暴力にただ屈するのだけは嫌だったから、ゼンマイを巻いたり、謎の部品を棚から棚へと移動させたりとネイの仕事を手伝うかたわら、小遣い銭を持って街の剣術道場へ通った。
 訓練を受けて少しずつ強くなっていくと、皮肉なもので了に因縁をつけてくる輩は徐々に減っていった。
 そして、二年前の、ちょうど今ごろ――。
 剣士としての腕を見こまれ、国軍の兵士に徴用された。
 徴用されることになったきっかけは、国王の生誕祭で毎年行われる剣技大会。大会の最中、戦士の間では一切の種別、血統など、身分の違いが排除される。
 了と同じヤマトの末裔や、腕に覚えのある没落貴族の子息、その他国中の剣士や腕自慢たちが、ただ己の体術と一本の剣のみを武器にして戦う、盛大な春の祭典のメインイベントである。
 武王クルトはこの催しを大層気に入っていて、病に臥す前はどんな重大な会議があろうが、大切な客人が訪れようが、必ず会場へと駆けつけて、特別席から観戦を楽しんでいたという。
 大会で王に実力を見こまれれば一躍、出世も夢ではない。それは王が観覧に来なくなった現在もそう変わらなかった。貴賓席には王族や貴族のお歴々がずらりと控えている。
 社会的に地位がない者、名を上げたい者にとっては、自分の存在をアピールできる絶好の機会というわけだ。
 しかし、了が参加を希望したのはただ単純な思いつきからで、その時は正直、立身出世など考えもしなかった。
 了はただ――試したかった。
 自分の〈強さ〉がどこまで通用するか、試してみたかった。運試し半分、といったところ。
 だが、変に気負わなかったおかげだろうか。第一戦を軽く突破し、二戦、三戦……と、了は驚くほどあっさりと勝利を積み上げていった。
 そして――何度目かの戦いの後、ついに了は昨年の優勝者とまみえることとなった。
 さすがに歴戦の勇者と称えられる対戦相手は、ひと目見ただけで恐ろしいほどの〈力〉の存在を感じさせた。ただ強いだけではない、名もある、プライドもある、意地もあるのだろう。そもそも戦いに挑む気持ちが違う。
 相対した時、了の首筋にゾロリと這い上がってきたのは、圧倒的な威圧感。
 僅かでも気を抜けば、死ぬ……。
『死ぬ――?』
 そう思った途端、何も考えられなくなり、ただめちゃくちゃに剣を振り回した。数分後に見た景色は丸い空と、どよめく観衆たちが散らせる紙ふぶき。背には土を背負っていた。
 ああ、負けた……。
 背中につけている土の冷たさ、硬さ――いつ以来だろう、こんな……無様に地に這いつくばって、指先一つ上手く動かせずに、ぜえぜえと息を切らせて空を仰いでいるのは……。
 後はあまりよく覚えていない。恐らくそこで意識を失ったのだろう。気づいた時には自宅の寝所に横たえられていた。
 ――あの時、もっと粘っていたら……。
 歯噛みすると同時に、それでも準優勝だ、初めてにしては上出来だ――とも思い、枕元にあった準優勝のトロフィーを抱き締めて寝た。
 あくる日――。
『お前が今年の剣技大会準優勝者、了・バイルシュミットか』
 ネイが不在の折、まだ眠気の去らない了のもとへやって来たのは、上等な衣服に身を包んだ中年の男。男は自分は国軍の者であると名乗ったのち、人目を憚りながら話を持ちかけた。
『みすみす市中で埋もれさせるには惜しい腕だ。うちの小隊に来ないか? そうだ、正式に国軍の兵士として働けるよう、特別に口をきいてやる。どうだ、悪い話じゃないだろう?』
 男の言葉に、了は大いに揺れた。
 大会に出場したのはただの腕試しで……けれど、それだって結局、一番にはなれなかった。
 争いごとは嫌いだ。
 人を傷つけることも嫌だ。
 人を殺すことは――もっと、嫌だ。
 そんな自分に国軍の兵士なんて役が務まるとは……正直、思えない。
『国軍に……? 俺が……?』
 ――でも……。
 ヤマトの末裔が真っ当な職につけるチャンスは滅多にない。
 いやらしい差別と偏見が付き纏うこの街では、ヤマトの末裔のつける職といえばチンケな肉体労働か、水商売にチンピラの使い――それこそ、日陰の仕事ばかりだ。そんなふうだから、余計にヤマトの末裔が嫌われるのだとも分かるが、だからといって体制を覆すことなど出来はしない。その点、自分は恵まれている、ということも知っている。このままネイの元で教育を受け続ければ、いずれ技師として工房を継ぐ道だってあるのだから。
 ――それでいいのか?
 ――いつまでもネイの下で庇護され、ぬくぬくと生きていくだけでいいのか?
 ――俺がネイの後を継ぐ? 本当にそんなことが出来るのか?
 もう、〈自立〉しなければ……。
 自立。
 一度思うともう、止められなかった。
 いつまでも自分は父親に守られているだけの子供じゃない。
 そうだ、自立すればネイの研究にだって、僅かでも貢献出来るのではないか……?
『……すぐに返事をしなくてもいい、また来よう』
『待ってくれ!』
 了は男の申し出を受け容れた。男は満足そうに頷いて、手配は全て済ませておくと約束し、去っていった。
 それから三、四日ほど経ち、身体の傷がだいぶ消えてきた頃、国軍のマントを羽織った士官がネイの研究室へと訪れた。
 士官は了の徴用が決まったこと、まずは訓練と勉学のために何年か養成所へ通わなくてはならないこと、養成所の費用は国が負担すること、そして、今後の配置や心構えなどについての説明に、分厚いマニュアル一式、国軍の兵士であることと、生年月日や血液型、住所などと一緒にシリアルナンバーが刻まれた、タグつきのネックレスを置いていった。
 あれは本当だったのか……と、了は他人事のようにドッグタグを手のひらで弄びながら思った。独り立ちをしたい、自立したいと願った自分が怪我を負った際に見た、都合のいい夢――。
 己の身に起こったことが信じられず、未だ夢うつつの了とは違い、ネイはほとんど掴みかからん勢いで怒鳴り散らした。
『仕官だと!? 正気か、了!』
 何故、進路を決めるのに自分に相談をしなかったのだ――と、怒声の中に呆れが混じったネイに、了は始め、曖昧に言葉を濁した。
 父も母も左目も左腕も、戦禍で喪った。だからネイに言われる言葉は最初から分かっていた。
『それ以上、いったいどこまで喪うつもりだ?』
 だが、違う。
 ――確かにまた、俺は何かを喪うのかもしれない。だけど。
 ――欲しがるだけじゃ、何も手に入らない。自分の持つ力で、勝ち取りたいのだ。
『……ごめん……。でも、もう決めたことだから。兵士になって……生きていこうって、生まれて初めて、自分で決めたんだ』
 ネイは了の静かな口調に一瞬息を呑んで、苦いものを含んだように眉間に皺を寄せた。
『俺の腕っぷしが欲しいって言われた。必要とされたんだ、他人に。埋もれさせるには惜しいって……だから』
 するとネイは了にくるりと背を向け、やがてボソリと呟いた。
『もういい、勝手にしろ。だが、男が一度決めたら簡単に投げ出してはいけない。それだけは覚えておけ』

 ――それから二年。

 了は士官の言葉どおり、養成所で一年半の間兵士としての訓練を受け、更に半年間の仮入隊を経たのち、正式に国軍の兵士となった。幸い、剣はできるし、読み書きやある程度の計算式はネイの工房で自然と覚えていたので、養成所に通う期間は通常より短かったらしい。
“ヤマトの末裔のくせにでき・・のいい”了は養成所に通う生徒たちから煙たがられていたから、さっさと卒業できるのは有難かった。
 もちろん、所属している部隊の中でも偏見と蔑視は変わらなかった。入隊したての頃は他の兵卒や上官たちから色眼鏡で見られたし、時にははっきりとした嘲笑、侮蔑の言葉をかけられることもあった。
 だが、了は決して挫けなかった。今さら差別に負けてどうする、という気持ちと、二年前にかけられた言葉――
『一度決めたら簡単に投げ出すな』
 その重いひと言を噛みしめ、また、支えとして頑張った。
 必要以上に卑屈にならない。諦めない。与えられた任務はきちんとこなす――。
 了の真面目さ、勤勉さは少しずつ周囲の冷たい壁を崩していった。まだまだ、自分の理解者は少ないが、それで十分だと思っている。
 ひょおおぉ……。
 荒野に強い風が吹き始め、了の黒髪がはたはたとはためいた。
「一雨きそうだな……」
 茜色から群青へとうつろいゆく空を見上げ、了は硬い地面へ降り立った。
 帰ったらすぐに整備をしてやらなくてはいけない。
 ドーリーは小隊ごとに一台か二台ずつしかないため、その時々によって五人で使いまわすしかない。個人の持ち物ではないため、完璧に整備されているドーリーは、ほとんどない。今日乗ってきたものも、マフラーのどこかが欠損しているのか、ずいぶん喧しかったし、タイヤにも変なクセがついていて、もの凄く扱いにくいじゃじゃ馬だった。
「ん……、やれやれ」
 了は軽く伸びをして、今来た道を振り返る。
 どこまでも、どこまでも、不毛な大地が続いている。この辺りはまだ汚染がひどいらしく、農作物を育てることは出来ない。時々、黄金色の林檎〈カルヴァドス〉が生っている貧相な木があるが、あの林檎は芯まで毒だ。複雑な工程を経て蒸留させれば麻酔代わりに使えるが、中毒性があるために売買は禁止されている。
 汚染の広まる前、遥か昔……何百年――いや、何千年も前にはこの大地にも緑が生い茂り、ここから南の方角へずっとずっと……先へ行けば、青い〈海〉が広がっていたという。海は全ての土地に続いていて、全ての生命は海へとかえっていったのだと――。
(緑に、〈海〉か……。想像もつかないな)
 了はふっと口角を上げてドーリーから離れる。
 任務をこなさなくてはならない。ジャケットの内ポケットから鈍い金色の懐中時計を取り出し、現在時刻を確かめた。
「もう少し、かな」
 時計の蓋を閉じようとした時、蓋の裏側につけているネイの写真が見え、ついついあの話を思い出した……。

 むかし、むかし――。
 人類は、過ぎた力を持ってしまった。
 その〈力〉がどんなものなのか、緑と青の大陸をこうまで蹂躙しつくしたものは何なのか――滅亡の原因についてはネイもあまり多くは知らないようだった。あるいは、知っているが語らなかっただけなのか――。
 とにかく、医療の発展、技術、科学の進歩を受け、爛熟しきっていた文明は大きすぎる力を持て余し、あるいはその力そのものを試したかったのか――辛うじて保たれていた平穏と均衡はいつしか崩れ去り、炎が世界を包んだ。
 そして。
 世界は、崩壊した。
 崩壊後の世界に生き残った者の数は、崩壊前の半数にも満たないという。
 生き残った者は寄せ集まって、民族ごとに小国を立ち上げては滅び、強者が弱者を取りこんではまた国をなし、分裂や集合を繰り返し、強大な国家は他を従えて領地を広げ――ついに強大な一国、〈暁の国〉が誕生した。

「――そして今は〈夜の国〉……。さてと、こいつを起動してやらないと」
 懐中時計の蓋を開け、再び時刻を確かめる。
「そろそろだ」
 丘の上へ向かって、早足で歩き出す。白い大理石で出来た天使のモニュメントは、触れるとひんやりと冷たかった。ジャケットのポケットから銀の鍵を取り出し、天使が抱える星の中心部分へと慎重に差しこんだ。
 カチリと小さな音がして、銀の鍵が天使像にぴったりはまりこむ。ゴウン、ゴウンと天使像の内部で音がして、しばらくするとただ白いだけだったモニュメントの内側から光があふれ出した。
 ……ゴオオォン――。
 リン、ゴオォン……。リィン、ゴオオォン……。
 モニュメントの星がまばゆく輝く。星の光に合わせ、辺り一面に厳かな鐘の音が響きわたった。
「これでよし……と」
 了は、鐘の音色にしばらく聞き入り、二キロほど先の街に目をやる。
 やっぱり、綺麗だ――。
 了はここから街を眺めるのが好きだ。
 特に、昼から夜へ変わる時間は格別だと思う。クローネは夜を迎えると同時に、街中に設置されている外灯が一斉点火される。
 了が先ほど起動させた天使像――頭部と片翼が欠けた天使が星を持って佇んでいるもので、元はどこかのお偉いさんの子供か何かの姿を模した彫像だったという噂だ――と、照明システムがリンクしているらしい。
 一日が終わる頃、国軍の下っ端兵士は持ち回りでここへ来て、中央の星に鍵を差す。
 今日は了の番ではなかったが、街に明かりがつく瞬間を見たいため、部隊長へ申し出て交代してもらった。わざわざこんな僻地に行きたがる者は少ないし、そんなに希望するなら――と、この任務はほとんど毎日、了が受け持っている。
 鐘の音を合図に、街に住む人々は夜の訪れを知り、一日が終わる。クローネの街の家々に、徐々に明かりが灯ってゆく。
 むき出しの鉄骨も、昼間にはただ醜いだけのチューブや無機質な配管の数々も、ライトアップされただけですっかり別物に姿を変えてしまう。
 街からやや離れたところにある城――国王たちの住まう、豪奢な城の静謐な美しさとはまるで対極の、猥雑で、けれど活気に満ちたクローネ……。
 しばらく街に見蕩れてから、了は丘を降りて再びドーリーに跨った。エンジンをかけようとキックするが、うまくかからない。
「帰ったらメンテナンスしてやろうかな……。ん?」
 メンテナンス――と、自分で発した言葉にひっかかりを覚え、はて、と考えこむ。数拍おいて「うわ」と頭を抱えた。
「俺もメンテがあったんだ、すっかり忘れてた……。参ったな、こりゃ朝まで説教、かも……。今夜は宿舎じゃなくて、工房で一泊かな……」


  ■■■

「……目が……霞んできた……」
 口を開くことも苦しいだろうに、やつれた男は口唇に笑みを浮かべた。
「これで俺も……逝ける、んだ、な……?」
 一家心中の生き残り。壮年の男は何度も自殺に失敗し、自分を殺してくれるものを渇望していた。願いが成就しようとしている今、男の胸中にはどんな思い出が去来しているのだろう。
「そうだ。お前の家族は確か――十年連れ添った女房と、子供が一人だったな?」
 掠れた声に答える、艶やかなバリトン。暗い室内には瀕死の男の他にもう一つの影があった。カチ、カチ、と、その男がベッドサイドのオイルランプに手を伸ばして明かりを灯す。
 ぼう……と青白い炎が揺らめいて、自力では最早起き上がることの出来ない壮年の男は、自分に〈死〉の恩恵を齎してくれたものを懸命に眺めた。最期に、その端麗な姿を網膜に焼きつけようとでもするかのように。
 長く伸ばした金の髪。
 抜けるように白い肌。長い睫毛、深い青色の双眸。シンメトリーな美貌。
 年齢は――読めない。噂では三十そこそこと聞いていたが、もう少し若く見える。
 パーツのひとつずつは繊細で美しいが、背が高く、胸板はどちらかというと厚めだし、全身に満遍なく伸びやかな筋肉がついていて、女のような柔らかな印象はない。
 唯一、左右対称でない場所が、左の腕だった。
「『隻腕せきわんの死天使』……噂は、本当、だったんだな……」
 美貌の男の左肩から先は失われている。
「その二つ名で呼ばれるのは、あまり好きではない」
 不思議なもので、失われているが故になおさら、男を魅惑的に見せていた。
「はは、こんなに楽なら……長いこと病気で苦しんでた女房も、あんたに殺してもらえばよかった……なあ……天使、さま……?」
 壮年の男は声を震わせながら、ベッドの隣で横になっている男へゆるゆると手を伸ばす。しみの浮いた手をとってやりながら、『隻腕の死天使』は涼しい顔で言ってのけた。
「一人増えるとその分、料金も増すが?」
「やな、こった……。恋女房を、あんた、に、抱かせるもんか……よ。六年もかけて、ものにした、ってのに……たった一発で堕とされちまったら、立場がない、だろ……? ああ……何だ、そこにいたのか、ニコ、アン……ああ、天使、さんよ――」
「何だ」
「……り、がと、う……」
 握ってやった手から、少しずつ温もりが薄れていく。『隻腕の死天使』は深いため息をついて、男の手を胸元で組ませてやり、衣服を手にしてバスルームへ向かった。
 勢いのないぬるいシャワーをざっと浴び、薄っぺらなタオルで身体を拭いていると安ホテルのドアがコンコンコン、と控えめに叩かれた。
 開いている、好きに入れと声をかけると、すぐにキイ……とドアが開き、赤毛の青年がするりと潜りこんだ。
「っと。裸じゃねーか。さっさと服着ないと風邪ひくぞ、瑪瑙めのう
「……つい今しがた、依頼人が息を引き取ったばかりだ。風邪? 私は風邪などひかないよ、ジャン。そんなことより――」
「はいはい、分かってるって。このおっさんはいつもと同じようにウチで〈処分〉することになってるからさ。後は任せろ。他に何か?」
「いや……それなら、いい」
 隻腕の死天使――瑪瑙は、スルスルと衣服を身につけていく。まず下着、黒い合皮のパンツ。そして白いシャツに細身のタイ。最後に上から、同色の膝下まであるすらりとしたジャケットを羽織る。それを横目で眺めながら、ジャンは違法の紙巻に火を点けた。
「らしくない顔、してるぜ。一服点けるかい?」
「幻覚剤に興味はない。……私らしくない顔とは何だ?」
 幻覚剤ぃ? と、ジャンは大げさに笑い、甘い煙を吐く。
「んな、ヤバいブツじゃないって。いや別に? 俺の勘違いか思いこみかもしれねぇし。あんたはさ、殺しを何とも思わない人間だって思ってたんだけど、ひょっとしたらそうでもないのかなってさ。辛気くさい顔色じゃ、せっかくの美人がもったいねーぞ?」
「ふん」
 瑪瑙は片眉を上げ、素早くジャンの茶色のパンツから財布を抜いた。
「あっ、おい!」
「しけたものだな。まあいい、次はもっと割のいい仕事を持ってこい」
 既に前払いで金を受け取っていたが、財布の中から更に何枚か引き抜く。どうせ自分に紹介している時点で相当な額をピンはねしているはずだ。案の定、ジャンはそんな瑪瑙の行動を咎めずに、ちらっと苦笑して見せただけだった。
「ったく……。はいはい、俺にそんな口を叩けるのはアンタだけだよ」
 ジャンに背を向け、ドアをくぐる。階段を下りるとジャンの使いの少年がもう来ていて、瑪瑙の姿を見るとハッと息を呑んだ。
「203号室だ」
 すれ違いざまに教えてやると、少年はビク、と飛び上がった。
「ジャンの使いだろう? 早く行かないとまた折檻されるのではないか?」
「は……、はいっ、すぐに!」
 また、パートナーを換えたのか……。
 ジャンはそれなりに頭がきれて仕事もスムーズだが、私生活がだらしない。前のパートナーは筋肉質な大男だったのに、今回は線の細い、大して毛も生えていなさそうな少年おこさま――それにしても、ジャンはあの少年にいったい、自分のことをどう吹きこんだのやら……。あまり、たくさんの人間に自分という存在を吹聴されるのはごめんだ。
 いざとなったら殺してしまえばいいが、ああいう横のつながりが多い連中は後が面倒だ……。
 つらつらとそんなことを考えながら安ホテルの裏口のドアを開けると、クローネはすっかり夜になっていた。
(――天使さま、か……)
 ふと、あの男が最期に漏らした呟きが頭を過ぎり、自嘲の笑みがこぼれる。
『隻腕の死天使』、そんな二つ名で呼ばれるようになって、いったいどのくらいの時が過ぎたのだろう。そしてこの身は、何人を死に至らしめてきたのだろう――。
 瑪瑙は、殺人を生業なりわいにしている。文字通り、誰かを殺して金銭を受け取り、その金を使ってものを食い、いくつかの隠れ家を渡り歩いて暮らしている……。
 別に、根っからの殺人狂というわけではないし、人殺しそのものに快楽を覚えるわけでもない。誰彼かまわず殺して回ることはしないし、いくら報酬がよくても……瑪瑙自身が納得出来るだけの〈悪人〉でなければ、受けない。
 人を殺すのに美学も何もないとは思うが、これは瑪瑙がどうしても譲れない信条だった。
 悪人を屠る以外には、先ほどの男のように、わけあって自分を殺して欲しいというような、いわゆる〈自殺志願〉の者を手にかけることもある。悪人相手には容赦しないが、寂しい自殺志願者が相手となると、僅かに胸が痛む時がある。
 手にかける、とはいっても、瑪瑙は相手ターゲットの首を絞めたり、ナイフや剣で斬りかかったりするわけではない。瑪瑙が使うのは――毒。それも、瑪瑙自身・・・・という猛毒だ。
《天使の毒は甘い毒。死を迎える瞬間さえ至福の恍惚に満たされる……》
「ばかばかしい。……っ」
 吐き捨てると同時に、じくり――と、無いはずの左腕が痛んだ。
 少し、疲れた……。
 瑪瑙は得たばかりの金で、何か飲み物でも……と思い、酒場へ向かうことにした。


☆次回は4月15日(木)0時更新予定です。お楽しみに♪


by 玉置真珠 ¦ 00:05, Thursday, Apr 08, 2010 ¦ 固定リンク ¦ コメント(10) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

■トラックバック

この記事へのトラックバックURL:
http://www.thanatos-bl.com/machina/serial/blog.cgi/20100408000502

■コメント

主人公 2人が出てきましたね

まだまだ なぞはいっぱですが・・・ 了と 瑪瑙の出会いは

どういう風になるのでしょう!?


名前: 梨沙 ¦ 13:56, Thursday, Apr 08, 2010 ×


ちょっとずつ主要な登場人物が

増えてきてますね〜

第二話の若干のんびりした雰囲気

は素敵な展開へのワンクッション(笑)

次話も楽しみです。


名前: エシディシさん ¦ 12:21, Monday, Apr 12, 2010 ×


これらのレプリカのハンドバッグは、で出てくる行うに私の好きな%uE2808B%uE2808Bthnigsの一つは、(おそらく極めてsockingされていない)デザイナーのレプリカのハンドバッグを見てですが、私は広告が英国に悪影響を及ぼす可能性があると思います、私は実際にそれらのすべてを見て愛しているので、驚くべきものだ。それは奇妙な人が実際に広告が好き傷つけるのですか?まあ、それはそうであっても、私は絶対にレプリカブライトリングの時計は、彼らが戻ってドロップとして選んだことが大好き。私は、我々が時間内に戻っているようなものになって持ってきて、MONTRESロレックスこれら本当に私が愛している洗練さを披露している!あなたには、いくつかのショッピングのレプリカのハンドバッグのための気分で得ている?私は私が知っている!


名前: Hermes handbags ¦ 17:15, Saturday, May 04, 2013 ×


て選んだことが大好き。私は、我々が時間内に戻っているようなものになって持ってきて


名前: Replica Watches ¦ 14:32, Saturday, May 11, 2013 ×


これは私のサイトです、はじめまして、訪問する歓迎!


名前: swiss rolex replica ¦ 15:46, Monday, May 20, 2013 ×


どのような素晴らしいブログの各記事がとても古典


名前: Roger Dubuis Watches ¦ 15:05, Thursday, Jun 06, 2013 ×


どのような素晴らしいブログの各記事がとても古典


名前: Roger Dubuis Watches ¦ 15:06, Thursday, Jun 06, 2013 ×


私はあなたの文章を読むのが好きですと発%uE8A781は有用なや重要なことである。


名前: Replica Romain Jerome Watches ¦ 22:55, Sunday, Jul 28, 2013 ×


少し評価は、千の言葉よりも優れている


名前: Cheap Nike Heels for sale ¦ 17:46, Monday, Jul 29, 2013 ×


よく書かれていますが、私はあなたが良い書き込むことができると思います!


名前: nike洞洞鞋 奧運版男生%uE8B791鞋 ¦ 11:41, Thursday, Aug 08, 2013 ×



■コメントを書く

名前:

メールアドレス(任意):
    

URL(任意):

この情報を登録する

内容:

パスワード(任意):

ヒューマンチェック(選択した計算結果を入力):

最新エピソードへ

act11

act10

act9

act8

act7

act6

act5-2

act5

act4

act3

act2

act1

プロローグ

Cheap RCD Espanypol .. on act5

Cheap Sweden Soccer .. on act9

Cheap Netherlands So .. on act11

耐吉童鞋型%uE98C84 on プロローグ

耐吉童鞋目%uE98C84 on act5

2013nike新款高跟鞋 on act3

2013nike人氣高跟鞋目 .. on act2

nike洞洞鞋 奧運版男生 .. on act1

nike休閑鞋目%uE98C84 on act9

2013nike新款休閑鞋 on act10

2013nike新款氣%uE5A2 .. on act11

Nike Air Max High He .. on act3

Cheap Nike Heels for .. on act1

Nike Jordan 9 High H .. on act4

Nike Jordan 8 High H .. on act7

2010年 7月
2010年 6月
2010年 5月
2010年 4月
2010年 3月
   URLを携帯に送る

top


Powered by CGI RESCUE